ベルリン国立歌劇場
ドン・ジョバンニ トリスタンとイゾルデ モーゼとアロン イントロダクション
来日記念特別演奏会
公演概要
 
 
 ダニエル・バレンボイムがベルリン国立歌劇場の音楽監督に迎えられたのは、1992年に劇場が創立250年を迎えたときのこと。就任するや数々の斬新な企画を打ち出し、オペラ・ファンの話題をさらってきました。なかでも音楽監督就任直後から進めてきたワーグナーの全10作のオペラ新制作と、前代未聞の全10作連続上演は、この由緒ある歌劇場に金字塔を打ち立てることになりました。日本でも、2002年には《ニーベルングの指環》全曲の圧倒的な上演が実現したのですから、日本のオペラ・ファンにとって、バレンボイム+ベルリン国立歌劇場というと、真っ先に「ワーグナー」が思い浮かぶのは当然かもしれません。しかし、バレンボイム+ベルリン国立歌劇場は、さらに進化しようとしています。2007年秋の日本公演では、バレンボイムとベルリン国立歌劇場が15年間に培ってきた“威力”と“魅力”が、あらためて明らかになることでしょう。
 今回上演される演目は、『ドン・ジョヴァンニ』と『トリスタンとイゾルデ』が2000年、『モーゼとアロン』が2004年に初演されたもの。このラインナップをみると、これはバレンボイム率いる、ベルリン国立歌劇場の魅力の全てを伝えようという意気込みが感じられます。
 『ドン・ジョヴァンニ』は、バレンボイムにとって初めて指揮したオペラであり、ドイツの名門オペラハウスとしては欠くことのできない作品。今回のプロダクションでは、現代の感性に基づいた新鮮なオペラの楽しみが披露されます。『トリスタンとイゾルデ』は、ベルリンに「ワーグナー」という看板を確立させたバレンボイム+ベルリン国立歌劇場の十八番。そして、バレンボイムが「これを日本で上演するのは自分の義務だ」とまで断言するシェーンベルクの『モーゼとアロン』は、ほとんどの日本のオペラ・ファンにとっては、“最初”の出会いになるかと思います。日本でこの作品が演出を伴った上演として果たされるのは、1970年のベルリン・ドイツ・オペラ来日公演以来、37年ぶりのこととなりますが、上演準備に多くの時間が必要とされる大作だけに、海外での上演も多くはありません。それだけに、今回のバレンボイム指揮ベルリン国立歌劇場による望みうる最高水準の上演は、オペラ・ファンにとって、決して見逃せないものになることでしょう。
 今回の3演目は、ベルリン国立歌劇場のもつ異なる魅力を多面的に発揮するという点で、ベストのプログラムといえます。2007年秋、バレンボイムとベルリン国立歌劇場15年の集大成をお見せします。
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 1992年、ベルリン国立歌劇場は創立250周年を迎えた。この劇場はベルリンで最も古い劇場建築であると同時に、世界で最も美しいオペラ劇場のひとつに数えられる。1741年から1743年にかけて、建築家ゲオルク・ヴェンツェラス・フォン・クノーベルスドルフによってフリードリヒ大王の宮廷歌劇場として建造され、1742年12月7日には工事中にもかかわらずここでカール・ハインリッヒ・グラウンの『クレオパトラとシーザー』が上演された。1811年以降は「王立劇場」としてベルリン市民やドイツオペラにも開放された。
 19世紀末にはヨゼフ・ズーヒャー、フェリックス・フォン・ワインガルトナー、カール・ムック、リヒャルト・シュトラウス、レオ・ブレッヒなどの指揮者が歌劇場の名声を国際的な水準にまで高めた。
 ナチズムが権力を握ると国立歌劇場の発展は突如として中断され、エーリッヒ・クライバー、オットー・クレンペラー、レオ・ブレッヒなど個性豊かな多くの芸術化が亡命した。しかし当時の総支配人ハインツ・ティーチェンの外交的手腕のおかげで、オペラ座は高い水準を保つことができた。
 第二次世界大戦中の1941年、オペラハウスは空襲によって破壊され、翌年復興されたものの、1944年にはゲッベルスの「総力戦」によりオペラ公演は公式には禁止、1945年には2度目の戦災を被った。
 戦争が終わるやいなや、アンサンブルは再び結集し、「アドミラル・パラスト」を仮劇場とした。亡命先からヨーロッパに戻ってきたクライバーが尽力し、建築家リヒャルト・パウリックの監督下で1952年から1955年にかけてベルリン国立歌劇場はもとの美しい姿に復元され、1955年9月4日、フランツ・コンヴィチュニーの指揮とマックス・ブルクハルトの演出による、リヒャルト・ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』で再開場を祝した。
 1961年に東西ベルリンの間に壁が築かれて、その活動は大きな制限を受けることになったが、支配人のピッシュナーとリムスクのもとで国立歌劇場はその国際的な名声を維持し、レパートリーもドイツの古典派やロマン派はもとより、同時代のオペラやバレエの作品、さらには海外作品へと拡大していった。
 1989年にベルリンの壁が崩壊し、1990年に東西ベルリンが統合されると、ベルリン国立歌劇場は再びヨーロッパの他のオペラハウスと同等に認められることになった。
 1992年には国際的に活躍しているダニエル・バレンボイムが音楽総監督に就任。バレンボイムは2000年秋にはベルリン・シュターツカペレの生涯首席指揮者に選出され、指揮者兼ピアニストとしてベートーベンの交響曲全曲とピアノ協奏曲全曲を演奏した。また、2002年の「フェストターゲ」では、10年間にわたり演出家ハリー・クプファーとの共同制作で創られたワグナー・オペラ10作品が初めて一挙に上演された。2002年夏には、ペーター・ムスバッハが総裁に就任。
 それ以後、ベルリン国立歌劇場は国際的名声を持つ開放的で魅力的なオペラハウスとしての評判をいっそう高めた。演奏会とオペラのレパートリーの継続的なケア、新しい形式や形態の推進が歌劇場の意欲を表わしている。数々の新プロダクションや20世紀オペラに積極的に着手するほか、美術、建築、振付など他分野との複合的な企画も取り入れられている。ペーター・ムスバッハの総裁としての活動は芸術内容、主題、媒体としてのオペラの位置、オペラの将来の発展への関与、そして他の芸術形態や新しい挑戦へのオープンな姿勢によって特徴づけられている。
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