もっと楽しく! オペラへの招待 [2] ~アンバランスなストーリーに、完全無欠の音楽『魔笛』

インタビュー・レポート 2017年4月 8日 12:24


バイエルン国立歌劇場の来日まであと半年をきりました。音楽ジャーナリストの飯尾洋一さんによる、大好評の連載コラム第二弾をお届けいたします。



アンバランスなストーリーに、完全無欠の音楽『魔笛』

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)





 モーツァルトの「魔笛」は、どこか落ち着かない気分にさせられるオペラだ。


 「魔笛」はしばしば子供たちにも鑑賞可能なオペラとして取り扱われる。しかし、メルヘン風の舞台設定とは裏腹に、このオペラは大人にとってもかなり歯ごたえのある作品だ。なんといってもストーリーが一筋縄ではいかない。


 よく言われることだが、「魔笛」では登場人物の善玉、悪玉の設定が途中で入れ替わっている。第1幕で夜の女王が登場し、王子タミーノにさらわれた娘パミーナを救ってほしいと訴える。パミーナ救出作戦開始! この流れで行けば、タミーノはザラストロ率いる悪の組織からパミーナを救い出してハッピーエンドを迎えるというのが常識的なストーリー展開だろう。


 ところが、ザラストロは実は高徳の人であることがわかり、彼はパミーナを夜の女王から守っているのだという意外な展開が続く。第2幕ではタミーノはザラストロ教団が授ける試練に立ち向かう。試練を乗り越えれば、パミーナと一緒になれるというのである。善玉と悪玉が入れ替わってしまっているのだが、主人公が得られるご褒美が美しい娘であることには変わりがない。


 その意味ではこのオペラは男子の「モテたい!」がストーリーの原動力になっているわけだが、見る側にとっては特段ザラストロ教団に共感する要素がないため、後半はどこか「モヤッ」とした気分が残る。これってかわいい女の子にふらふらとついていったら、よく知らない宗教の信者にされちゃった男子の話なんじゃないの......。ひょっとして夜の女王も教団側とグルだったりして(んなわけないか)。


 第2幕でくりひろげられる試練の儀式には、友愛結社フリーメイソンの教義が反映されているという。モーツァルトも、この歌芝居を上演する興行主シカネーダーもフリーメイソンの一員だった。「魔笛」のいくぶん奇妙なストーリーも、同志であれば「腑に落ちる」ところが多々あるのかもしいれない。


 しかし、フリーメイソンに縁もゆかりもない者としては、さらわれた姫を助け出すために主人公が次々とミッションをクリアするというのは、どこかゲーム仕立てのようにも見える。思い出すのは国民的名作アクションゲーム。パミーナがピーチ姫とすれば、タミーノはマリオ。とすれば、パパゲーノはルイージで、ザラストロは......クッパ?


 それにしても、この話の結末って相当ぶっ飛んでるんじゃないだろうか。夜の女王とモノスタトスらが「炎と剣で信心ぶった連中を追い払ってやりましょう」と息巻いて神殿に乗り込んできたものの、稲妻が鳴ったと思ったらあっという間に闇の力は打ち砕かれ、ザラストロたちが勝利の歌をうたう。むむ、今のはなにが起きたのか? 本当だったらここで夜の女王対ザラストロのスペクタクルなバトル・シーンがくりひろげられるべきでは。と、どこか割り切れない思いを残すストーリーだが、裏を返せば、それだけ余白があるからこそ、演出家の手腕や見る人の想像力によっていくらでもイメージが膨らむ作品ともいえる。


 一方、物語に対して音楽のほうはまさに天衣無縫、天才だけが書きうる奇跡の名作となっている。次から次へと絶美の音楽があふれ出てきて、モーツァルトの才能には限りがないと痛感する。作曲は1791年。つまり、モーツァルト最期の年である。この年、モーツァルトはピアノ協奏曲第27番を完成させ、歌劇「皇帝ティートの慈悲」を書きあげ、この「魔笛」、さらにクラリネット協奏曲を作曲し、未完に終わった「レクイエム」に取り組んだ。ひとりの人間が一年間にこれだけ歴史に残る名曲を書いたことは人類史上、後にも先にもないのでは。奇跡の名曲は奇跡の一年から生まれている。アンバランスなストーリーに、完全無欠の音楽。この不思議な取り合わせが「魔笛」の魅力の源泉となっているのではないだろうか。





photo:Wilfried Hoesl


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