ウィーン国立歌劇場 『サロメ』への旅

東方へ。はるかな国へ。

冒険ではなく、旅立つことができる。観光の時代が幕を開けようとしていた。鉄道はすでに路線を拡大していたが、新たに寝台車や食堂車が加わった。ガソリン・エンジンを積んだ自動車も走り始めていた。ライト兄弟の飛行機が空を飛んだのは1903年だった。

はるかな国はどんな様子なのか? リュミエール兄弟の版画がそれを映し出す。カラー写真の発明も目前だった。

でも、はるかな国は旅立つ、鉄道より自動車より、飛行機より映画より、優れた発明があった。ラヴェルの歌曲「シェエラザード」は1904年にパリで初演されている。同じ年にミラノで初演されたのが、プッチーニの『蝶々夫人』だ。その翌年にはドレスデンで『サロメ』が初演される。想像力は飛行機より速く、音楽は鉄道より正確に、東方への夢を実現させた。

『サロメ』に序曲はない。幕が開いてすぐ、宮殿の警護隊長ナラボートがサロメの美しさを讃える。このオペラで描かれるのはサロメの物語なのだ。だが、幕が開き、ナラボートが歌い出すまでの、ほんのわずかな時間で、聴く者は東方への旅を終える。クラリネットが上へ向かってゆくだけの間で、実際にいる場所がウィーンだろうが東京だろうが、人はヘロデの宮殿のテラスにいる。

驚くべきことに、宮殿のテラスは暑い。羽織っている上着をつい脱ぎたくなるような暑さだ。多分宮殿の中はもっと暑い。ヘロデたちはやがてテラスに出てくるはずだ。

暑いだけでなく、香りがある。乳香か、それとも没薬か? 強い、官能的な香りが微かな風に乗って漂っている。

そんなはずはない、とお思いの方は、ウィーンの『サロメ』をお聴きになってみるのをお勧めする。一流の指揮者が振った時のウィーンのオーケストラがどんなものなのか、『サロメ』を聴けばわかる。それは、暑く、芳香を放つ。

R.シュトラウスは『サロメ』の宮廷歌劇場(現在の国立歌劇場)で上演しようとした。当時監督だったマーラーも、なんとか上演にこぎつけようとする。検閲を通そうと、ヨカナーンの名がいけないならバル・ハーンでどうか?なんて涙ぐましい努力をしている(シュトラウスとマーラーの往復書簡集)。結局実現できなかったのだが、どうしてシュトラウスがウィーンでの上演を望んだのか、現代のウィーン国立歌劇場の『サロメ』を聴けばよくわかる。

『サロメ』の後になって、シュトラウスは「アルプス交響曲」を作っている。東方の暑さや匂いを描いてしまった作曲家は、山登りとアルプスの冷気を音楽にするくらい、難しくなかったのだ。

ナラボートの死体を見た後、ここは寒いと言い出したヘロデは、サロメに踊りを所望する段になって、今度は暑いと言い出す。オスカー・ワイルド得意の絢爛たる修辞は、シュトラウスによって実体になる。ヘロデの感じる寒さや暑さが、そのまま音楽の温度に反映されるからだ。もちろん、いつだってというわけじゃない。ドレスデンのオーケストラなら時に可能だろう。ウィーンのオーケストラだったら、いつでも可能になる。

二千年の時を隔てた、はるか東方の国へ、旅立つ術が20世紀の初頭に発明された。自動車より、飛行機より速い、魔法のような術は、『サロメ』というオペラだった。そこは暑く、芳香がたちこめている。妖しい少女が踊り始めたら、危険が迫っている。背筋も凍る冷気が地下牢から上がってくるのを覚悟しなければならない。ウィーンの『サロメ』は、ゾクゾクするような旅へと、人を誘う。


「サロメ」個性豊かな歌手陣

ヨカナーン
マルクス・マルカルト
Markus Marquardt

しっかりとした歌い方で存在感を示す適役ヨカナーン

1970年デュッセルドルフ生まれ。シュツットガルト歌劇場メンバーを経て、2000年からドレスデン国立歌劇場のソリストとして活躍している。ウィーン国立歌劇場には2011年にデビュー。強烈なインパクトで圧倒するというより、しっかりとした歌い方で存在感を示すタイプの実力派。まさに、『サロメ』のヨカナーン役は適役。

ナラボート
ヘルベルト・リッペルト
Herbert Lippert

芯のある美声をもつ生粋のウィーンっ子テノール

ウィーン少年合唱団のソリストからウィーン音楽大学、ウィーン国立歌劇場にアンサンブル・メンバーとして加わった生粋のウィーンっ子。ウィーン国立歌劇場には1985年にデビュー以来、数々の役で出演しているほか、フォルクス・オーパーでも活躍。透明度をもつ芯のある声質が魅力。


ヘロディアス
イリス・フェルミリオン
Iris Vermillion

深みのある艶やかな響きで魅了するドイツのメゾ・ソプラノ

ドイツ、ビーレフェルト生まれ。アーノンクール指揮によるモーツァルト作品で世界の注目を集めるが、深みのある艶やかな響きでR.シュトラウスやワーグナーのオペラでも認められている実力派メゾ・ソプラノ。ヘロディアス役は、ウィーン国立歌劇場のほか、ミラノ・スカラ座、バイエルン国立歌劇場でも演じ、高評を得ている当たり役の一つ。

ヘロデ
ルドルフ・シャシンク
Rudolf Schasching

多彩なレパートリーを誇る実力派ベテラン

オーストリア、オーバーエスターライヒ生まれ。ザンクト・フローリアン少年合唱団での活動を経てウィーンで声楽を学んだ。オペラ歌手としては20年以上のキャリアにおいて、ワーグナー作品の数々の役柄をはじめ、R.シュトラウス、モーツァルトほか、50以上ものレパートリーをもつ。2000年からはチューリッヒ歌劇場のメンバーとして活躍している。


ウィーン国立歌劇場2012年日本公演

R.シュトラウス作曲『サロメ』

会場:東京文化会館

10月14日(日)3:00p.m.
10月16日(火)4:00p.m.
10月19日(金)7:00p.m.

入場料[税込]:

S= ¥59,000 A= ¥52,000 B= ¥45,000
C= ¥38,000  D= ¥29,000


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