「新風」と「伝統」の鮮烈な出会い、スカラ座の「新時代」を見せつける

 寒い朝だった。  散歩がてら、スカラ座のチケット売り場の前を通りかかった筆者は、思いがけない光景に目を疑った。
 コートやマフラーで身を包んだミラノっ子たちが長蛇の列を作り、寒風に頬を赤くしながら、当日券の売り出しを待っている。
 昨今のイタリアの歌劇場では珍しくなった熱気のある光景に、久しぶりに出会ったのだ。
 開演前の劇場にも、同じ熱気が溢れていた。客席は超満員。国外からのツアーも多いようで、バスの駐車が許可されているスカラ座脇の通りには、大型バスが何台も並んでいる。
 当夜の演目は『リゴレット』。1853年にスカラ座初演が行われて以来40以上のシーズンで取り上げられた、スカラ座でもっとも上演回数が多い人気オペラだ。とりわけ、1994年に制作されたジルベール・デフロの演出による現在のプロダクションは、スカラ座の看板プロダクション。金と赤を基調にした豪華なマントヴァ公の宮殿は、公爵とその宮廷の放埒さを、スカラ座の「高さ」を活用した三階建ての壁が象徴するスパラフチーレの酒場とその周囲の雰囲気は、町外れの寂しさと、夜の闇に稲妻がひらめく嵐のシーンを劇的に演出する。客席にいるだけで舞台の一員になった気分にさせてくれる「劇的」な空間も魅力のスカラ座に、これほどふさわしいプロダクションはない。歌手の歌や演技を最優先した演出であることも、イタリア・オペラファンには嬉しい限り。共同制作がさかんになり、世界中の大劇場で同じプロダクションに遭遇することが珍しくない昨今、スカラ座ならではの壮麗なプロダクションが体験できるのも『リゴレット』の人気の大きな理由のように感じられた。ここには、劇場で非日常を体験できるイタリア・オペラの美しき伝統が生きている。
 その伝統と、楽壇の新しい潮流を担う指揮者との出会い。それこそが、今回の『リゴレット』で観客がもっとも期待したことだっただろう。世界のクラシック音楽界を席巻しているベネズエラの若き風雲児、グスターボ・ドゥダメル。スカラ座には2006年の『ドン・ジョヴァンニ』でデビュー、好評を得た。筆者も公演に接したが、スピード感溢れる思い切った音楽づくりに強い印象を受けた覚えがある。だから、これぞスカラ座!という今回のプロダクションに出会って、ドゥダメルの鮮烈な音楽がどんな色を帯びるのか、とても興味があったのである。
 果たして、新鮮な体験だった。
 溌剌とパワフルで思い切りのいい音楽が、スカラ座の空間をいっぱいに満たしてゆく。彼の自在な棒に反応して敏捷に鳴るオーケストラは、色鮮やかな交響楽のよう。ヴェルディの初期から中期にかけての作品は、オーケストラが単純だとよく言われるが、『リゴレット』は実はとてもシンフォニックな作品なのだ。ほぼ同じ時期に書かれた『椿姫』と比べれば分かるけれど、音楽全体、とりわけオーケストラが厚い。そのことがよくわかる音楽作りだった。そこをここまで大胆に強調した指揮は、ドゥダメルだからこそ。彼の演奏を聴けば、ヴェルディの(中期までの)オーケストラが物足りないという先入観は吹き飛ぶ。
 歌手で一番印象に残ったのは、ジルダを歌ったエレーナ・モシュク。ルーマニア出身のベルカント・ソプラノで、女性らしいしっとりと艶やかな美声と、精度の高さと柔軟さが同居したテクニックが魅力の実力派スターである。ジルダ役は得意中の得意で、来日公演でも共演するイタリアの国宝級バリトン、レオ・ヌッチと共演した映像も発売されている。近年とくに安定度を増し、スカラ座への登場もひんぱんだ。
 当夜のモシュクはほんとうに素晴らしかった。「女」と「娘」の間をゆきかうジルダを、夜の露に濡れたような湿り気と翳り、そして情感を漂わせた声を自在に駆使して、小柄で可憐な姿ともども十全に表現していた。すみずみまで繊細でありながら豊かで彫啄のゆきとどいた弱音と、技術的な完璧さに心の震えがともなったコロラトゥーラの技量には、ただただ息を飲むばかり。コロラトゥーラの一音一音に、恋人や父を想う女心の切なさがにじむ表現力はまさに至芸だった。
 タイトルロールを歌ったゲオルグ・ガグニーゼは、リゴレットを十八番とするグルジアの大型バリトン。スケール感豊かな美声が、ドゥダメルの鳴りのいいオーケストラと渡り合うさまは迫力満点。リゴレットという人間の真摯さを浮き彫りにした解釈にも好感が持てた。  しかし公演を締めたのは、スパラフチーレとマッダレーナを歌った2人の若手だった。役柄にふさわしい、官能的でみずみずしい容姿と声を備えたケテワン・ケモクリーゼのマッダレーナ、若々しく豊かで、深みのあるバスの音色と、朗唱的なやりとりに高い演劇性を発揮したアレクサンドル・ツィムバリュクのスパラフチーレ。この2人は『リゴレット』という作品の要なのだ、それを確認できたのもまた、当夜の大きな収穫だった。
 伝統のプロダクションとスター歌手に加え、上り坂の若き演奏家たちがその存在を印象づけた『リゴレット』。スカラ座の「新時代」と定義づけられるにふさわしい公演は、間もなく日本で幕を開ける。

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ミラノ・スカラ座2013年日本公演(2013年3月発売開始予定)
「リゴレット」

会場:NHKホール

2013年
9月9日(月) 6:30p.m. / 9月11日(水) 3:00p.m. / 9月13日(金) 6:30p.m. / 9月15日(日) 1:00p.m.

【予定される主な配役】
マントヴァ公爵:ジョセフ・カレヤ
リゴレット:レオ・ヌッチ、ゲオルグ・ガグニーゼ
ジルダ:エレーナ・モシュク、マリア・アレハンドレス
スパラフチーレ:アレクサンドル・ツィムバリュク
マッダレーナ:ケテワン・ケモクリーゼ

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