33年ぶりの新演出『ファルスタッフ』

 ヴェルディのオペラ『ファルスタッフ』。イタリアの演出家、ジョルジョ・ストレーレルの名舞台がこれまでスカラ座の定番であったが、この春、33年ぶりに新演出が登場している。ロンドン、コヴェントガーデンとの共同制作は、まず昨年5月、ロンドンで成功を収め、ヴェルディの生誕年を祝う第一弾としてミラノにやってきた。
 前奏曲を持たない作品ということもありタクトの始動とともに開幕する。目の中に飛び込んでくるのは古びて荒んだガーター亭ではなく広がる壁すべてに美しい木目を配した、そして空間にベッドは置かれているもののレストラン風の多数のテーブルが整然と並んだゴージャスな部屋。緩慢に構えるファルスタッフと忙しく動きまわる二人の従者、怒りをぶちまけるカイウス医師という構図はあくまでも変わらず、しかし、細かく整理された各々の動きが小気味よい。
 文豪、シェイクスピアにより世に送りだされた≪ウィンザーの陽気な女房たち≫は、ヴェルディ自らがオペラ化するまでかなりの年月を要している。『シモン・ボッカネグラ』の改訂、『オテロ』を成功に導き、揺るぎない信頼を得たボーイトにより『ファルスタッフ』と表題をあらためてヴェルディに手渡される。よくできた台本であるからこそヴェルディは苦労した。苦労ながらも綿密に、そしてオペラ作曲家として生きてきた知恵をふんだんに注ぎ込むことになる。夢に見つづけた喜劇創作への情熱は、ボーイトの霊感に導かれるように昇華することになる。
 演出家、ロバート・カーセンの舞台は1950年代の英国の上流階級社会。原作が15世紀初頭とあるので600年ほど時代の隔たりがあろうか。カーセンはこのオペラ『ファルスタッフ』を人間の奥底に潜んだ複雑な感情が交錯する中で生まれる悲喜劇的要素をもった社会派コメディとして捉えている。
 この『ファルスタッフ』には幾つもの見どころがある。まず、驚かされるのが第1幕第2場。庭園転じて舞台上のすべてがシャンデリアに照らされる格調高いレストラン。ナンネッタとフェントンという若い恋人たちの濁りのない愛の象徴を中核に、他の女性たち、男性たちがから騒ぎの中で対極をなす。動きの巧み、何よりヴェルディの音楽に纏わりつく意図的な言葉の持つリズム感がダニエル・ハーディングの紡ぐ緻密なアンサンブルの中で心地よく響いてくる。ライティングの変化がもたらす描写の急転換も見事である。
 引き回されたあげくテムズ川に放り出される主人公の図はなんとも愉快である。ファルスタッフの巨体が婦人らの思惑により右往左往、血眼になって探し回るフォードとその一派というコミカルな動きが第2幕第2場、パステルカラーのキッチンで展開される。ヴェルディの設定では屏風の裏に隠れる巨体、はたまた、同じ屏風に隠れて愛を囁く恋人たちというものがあるが、カーセン新時代の舞台に屏風はなく、キッチンの収納棚、あるいはクロスの掛かるテーブルの下が秘密の場所となる。恋に盲目なナンネッタとフェントンがテーブルの下で愛を語るも、そこに隠れている者こそファルスタッフと勘違いした男たちはヴェルディの音楽に合わせてコマ送りのようにそこを取り囲む。クロスが剥ぎとられて若い二人が暴かれたその瞬間、一時的な落胆はあるもののすべてがシャッフルされて何もなかったかのように再び巨体捜しがはじまる。ここでもカーセンの探究が緻密に生かされている。歌詞のリズムをうまく演技に乗せることで交差するアンサンブルをより立体的に見せることに成功した。ここにボーイトからカーセンへの重要な橋渡しを感じるとともにハーディングならではの彩色に息をのむ。
 ここまですべて幕の第2場のみの紹介となったが、全幕において問答形式の展開ということで簡素な仕掛けの第1場に対して結果の提示ともいえる第2場に重みをおいているあたり、そこにもカーセンの卓越したバランス感覚なのであろう。
 最終幕の第2場は圧巻である。深夜、ウィンザーの公園にはただいくつもの星が煌めいている。迷信に震えるファルスタッフを尻目に舞台は最終部に向かって進んでいく。『ファルスタッフ』ではヴェルディの最大の英知、フーガをどのように観せるかが課題となる。これこそカーセン、ハーディングならではの感性の結実であろう。いくつもの長方形のテーブルを舞台と垂直に組みその上を奥から手前に行進させてフーガが進行する。いま一度、配役を紹介する終演後の挨拶のような感じである。ハーディングの音楽が繰り返されるフーガの中でどんどん高揚しながらしまいにはそのテーブルを囲んだ大晩餐と相成り幕が下りる。  アンブロージョ・マエストリをはじめ粒ぞろいのアーティストの歌唱、演技ともにすばらしい。ヴェルディの傑作に相応しい、生誕年に相応しい、何よりスカラ座という殿堂に相応しい『ファルスタッフ』は、シェイクスピア、ボーイト、そしてカーセンの時を超えた夢のコラボレーションであろう。

〈マラーホフの贈り物〉ファイナルへの想い ウラジーミル・マラーホフ インタビュー

ミラノ・スカラ座2013年日本公演
「ファルスタッフ」

会場:東京文化会館

2013年
9月4日(水)/ 9月6日(金)/ 9月8日(日)/9月12日(木)/9月14日(土)

【予定される主な配役】
サー・ジョン・ファルスタッフ:アンブロージョ・マエストリ
フォード:ファビオ・カピタヌッチ (9/4,8,14)、、マッシモ・カヴァレッティ (9/6,12)
フェントン:アントニオ・ポーリ
アリーチェ:バルバラ・フリットリ
ナンネッタ:イリーナ・ルング
クイックリー夫人:ダニエラ・バルチェッローナ

<チケット発売日>
2演目セット券 (S,A,B券) 3月23日(土) 10:00a.m.より
一斉前売開始 (全公演のS〜D券) 4月13日(土) 10:00a.m.より

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