「伝統に魅了されていながら、 同時に新しいものに惹かれている…… 僕たちは息をのむような感動をもとめて 『聖なる怪物たち』を創っていました」
――『聖なる怪物たち』では古典舞踊とコンテンポラリーダンスという対立項が融合されています。本作であなたが振付家として試みようと思ったことを教えてください。
「劇中のダイアローグで使われる「emerveillè」(あまりの美しさに息をのむ、感情の動き)というフランス語が、僕がやろうとしたことの本質を表してくれているように思います。その息をのむような感動を求めて、僕たちは自分たちの持つ古典的な身体を新しい方向に導いていくことにしました。道のり、つねに僕らを牽引してくれたのは好奇心です。シルヴィが劇中語るように、クリスマス・ツリーを初めて見て驚愕した子どものような感動を求めて好奇心を頼りに進んでいきました。僕にとってのクリスマス・ツリーの驚愕は、初めてコンテンポラリーダンスに出会ったとき。それはまったく新しい素晴らしい出会いだった。だからといって僕は、自分の歩んできた古典の道をいきなり否定しようとは思いませんでした。そうではなく、このとてもパワフルで有効な古典的身体をコンテンポラリーな作品に利用したいと思った。それはシルヴィも同じだと思います。彼女も伝統に魅了されていながら、同時に新しいものに惹かれている。だから僕は本作で、古典的身体を保ったまま、コンテンポラリーダンスに歩み寄り、そしてそのなかに侵入したいと思ったのです」
――本作は06年から7年続けられています。作品に対しての印象(例えば幼年時代のエピソードや自分のソロパート)が変わることはありますか。
「この作品は、僕が最も長く再演を繰り返している作品です。自分のカンパニーの作品は、最大でも2年半しかツアーしませんから。でもこの作品はたまにこうして単発で何度か再演できるので、飽きることなく踊り続けることができています。時にすべてを作り直したいなと思うこともありますよ。それで『聖なる怪物たちパート2』を作りたいなと。幼年時代の想い出について印象が変わることはありません。僕の子どものころの記憶はとてもクリアなんです。僕は実際にクリシュナに憧れていたし、実際にカタックの枠を超えたところへ行きたいと願っていた」
――バングラデシュ系英国人であり、カタックを基礎に置くコンテンポラリーダンサーであるあなたは何かと、領域、境界、その境界を超越するというテーマを作品で取り上げるように思います。
「そのとおりです。僕は子どものころ、クリシュナの他に、マイケル・ジャクソン、モハメッド・アリ、そしてブルース・リーにも憧れていたんですが、彼ら3人に共通することは、つねに自分たちをある一定の枠組みのなかに押し込もうとする声と戦っていたということです。僕はただの黒人じゃない、ただの中国人じゃない。そうした戦いに挑む姿に、僕は子どもながらに共感したんだと思います。実は人にとって最も難しいことは、自分がどんな『枠組み』に入りこんでしまっているかを認識すること。その枠組みが認識できて初めて、自分だけの声を獲得できるんです。でもさらに難しいのは、いったんその声を発見したら、その後、その声をどう手放すか。僕はつねに、自分に与えられた枠組みを認識し、打破し、そこから自分だけの枠組みを構築し、さらにそれを再び破壊するという行為を続けるべく創作を行っています。実際にできているかどうかは、わかりませんが(笑)」
――劇中あなたが「これは正しいのか?」と激しく自問自答するシーンがあります。あの感情はどこから出てきたものなのでしょうか。
「感情の源は、つねに誰かの正しさを押し付けられてきたことへの理不尽さだったように思います。だから僕はあの場面で『これは正しいのか。誰が正しいと言うのか。誰がこの古典舞踊のムーヴメントを正しいと言うのか。誰が正しいこととそうでないことを決めるのか』ということを問い直したかった。これはとても重要な問いです。最新作の『iTMOi』(2013)で僕がストラヴィンスキーに興味を持ったのも、彼が自分の芸術表現に同じ疑いを持っていたからです。正しいことを疑うことは、芸術家にとって、あるいは少なくとも僕にとっては大事なことなのです。
(インタビュー/岩城京子 演劇・舞踊ライター)