東京バレエ団創立50周年特別号

永遠の都で見せた「生命の祭典」

 星空に包まれた古代の遺跡に、地鳴りのような拍手が響く||。時空を超えた生命の祭典が、2夜にわたって繰り広げられた。東京バレエ団の創立50周年を記念する第27次海外公演の最終地は、イタリア・ローマのカラカラ浴場跡。30カ国152都市目となる、このツアーに同行した。
 カラカラ野外劇場公演は6月27、28の両日、「ギリシャの踊り」「ドン・ジョヴァンニ」「春の祭典」という、モーリス・ベジャール作品の3本立て。本番に先立つ会見では、現地の記者から「なぜ『ザ・カブキ』など、バレエ団オリジナルのベジャール作品を上演しないのか」との質問も飛んだ。劇場機構の制約から全幕物を選べなかったにせよ、結果としてこの3作は「舞台」と共鳴し、強烈な磁場を生み出したように思われる。
 開演は午後9時、南欧の初夏の日没時刻だ。巨大な遺構を借景に、夏季のみの特設ステージが組まれている。夕映えに飛び交うカモメたち。波の音と共に、ダンサーが舞台に現れた。柄本弾(2日目は梅澤紘貴)らの伸びやかな動きが、観客の意識を一瞬にして、文明の父祖の地ギリシャへと誘い出す。
 休憩を挟んで、上野水香(渡辺理恵)ら女性陣による「ドン・ジョヴァンニ」。難度の高いバリエーションで、ソリストが競い合う。男性の不在が、いにしえの女神たちの心理戦をほうふつとさせた。
 夜のとばりがおりて、ストラヴィンスキー独特のリズムが、獣の心音のように鳴り響く。ベジャール版「春の祭典」は、生と性のめくるめく饗宴だ。生贄役は、吉岡美佳と梅澤(奈良春夏と岸本秀雄)。選ばれた男女の恍惚と不安が、刻々と色を変える照明と相まって、爆発的なエネルギーを醸していく。廃虚が生命を得たかのように、れんがの壁にさまざまな表情が浮かんで見えるのには驚かされた。みそぎの場であり、社交場でもあった浴場が、古来宿してきた力だろうか。3500人の拍手と足踏みで、客席が揺れた。
 招聘元であるローマ歌劇場の舞踊芸術監督ミシャ・ヴァン・ノックは、偶然にもベジャールの愛弟子だった。終演後、「『春の祭典』は数え切れないほど見てきたが、今回が最高」と絶賛。中でも、吉岡ら生贄の演技を「特別な調和がある」とたたえ、吉岡は「技術を超えた『何か』を現出させることが、私たちの使命」と応えていた。
 海外、野外と、どこまでもアウェーな舞台には、困難もつきまとう。上野によると、舞台袖は漆黒の闇で足元も見えず、手探りでトウシューズをはいたという。本番中には、顔面を虫がはうアクシデントにも見舞われた。そんな苦労を、観客にはみじんも感じさせないダンサーたち。語弊を恐れずに言えば、「芸術の神にささげられた生贄」を連想することもしばしばだった。
 千秋楽の翌日は、ローマの守護聖人ピエトロ(ペテロ)とパウロの祝日に当たった。壮絶な刑死を遂げたピエトロの墓の上に大聖堂が建てられたと聞くが、街を歩けばこの都市全体が、幾層もの「生贄」の上に成り立っていることが実感される。建国神話の女性たち、古代ローマの英雄群、そして殉教者らの十字架の列……。自伝によるとベジャールは、「春の祭典」を遺跡で上演することを夢想していたという。生贄に託された再生への祈りは、ようやく所を得て、昇華されたのかもしれない。旅の終わりに、そんなことを考えた。
 東京バレエ団の第1次海外公演は、1966年。創立から2年後に本場ソ連へと打って出た心意気には、改めて感嘆を禁じ得ない。その背景には佐々木忠次総監督の「体形では劣っても、『和』の精神では引けをとらない」との信念があったという。果たして一糸乱れぬ群舞が評判を呼び、ベジャールとの出会いにつながった。そして今、この不世出の振付家の遺した作品群が、海外公演の目玉となっている。
 ここにも生命の再生が見て取れる。バレエ・リュスからベジャールへ、そして東京バレエ団へと受け渡された命の祭典が、来世紀へと引き継がれていくことを、祈らずにはいられない。

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