財団法人 日本舞台芸術振興会
HOME最新情報NBS公演一覧チケットの予約チケットの予約






過去の公演情報
  シュツットガルト・バレエ団  
    公演概要  
    「オネーギン」  
    「ロミオとジュリエット」  
    来日予定メンバー  
    シュツットガルト
ドラマティック伝説
 
  過去の公演一覧にもどる  

シュツットガルト・バレエ団
奇跡はこうして生まれたクランコとシュツットガルト・バレエドラマティック伝説
 1961年、ドイツのシュツットガルトに芸術監督として一人の振付家が招かれた。英国ロイヤル・バレエ団の若手振付家であり、機智に富んだ多彩な作品が高い評価を得ていたジョン・クランコ。当時まだオペラから独立したバレエ団が存在しなかったドイツにおける、一地方都市で、伝説は始まった。
 新しいメンバーを募るため早速オーディションを行ったクランコは、彼のミューズとなるマリシア・ハイデに出会う。その頃、他のバレエ団のコール・ド・バレエにすぎなかったハイデは、自分が見出された理由を「クランコのオーディションはとても風変わりなことをやらせました。それに臨機応変について行けたのが私だけだったのです」と語っている。また、まもなくリチャード・クラガンが入団し、のちにシュツットガルトの看板となる黄金ペアが誕生する。

 シュツットガルト・バレエ団の最初の成功は、1962年にハイデを主演に上演された『ロミオとジュリエット』だった。巧みな空間構成による演出とダンサーたちの親しみやすく生き生きとした演技が絶賛を浴び、本作はのちに作られるおびただしい同題名作のひとつの規範となった。
 クランコは生涯で古典の再演出から抽象バレエ、レビューに至るまで、大小さまざまな作品を90ほど創作したが、その卓越した才能がもっとも際立っていたのが物語バレエだった。言葉を使わないダンスという表現で、長編文学のあらすじを流暢に語り、登場人物の性格や心理をリアルに描いて見る者を共感させる才能は、奇跡とまで言われた。なかでも、プーシキンの原作をロマンティックに描く『オネーギン』と、シェイクスピアの喜劇をアクティヴな笑いで包む『じゃじゃ馬馴らし』は傑作との評価を獲得した。



 
 そして1969年、シュツットガルト・バレエ団は当時ダンスの中心地と認められていたニューヨークで、初のツアーを3週間にわたって行い、歴史的な成功を収めた。ニューヨークといえば抽象バレエの巨匠バランシンのお膝元にもかかわらず、『ロミオとジュリエット』『オネーギン』『じゃじゃ馬馴らし』といった物語バレエで、観客はハイデのドラマティックな演技に、また彼女とリチャード・クラガンの絶妙なパ・ド・ドゥに心から泣き、笑った。新しいカンパニーが発足してわずか7年で成し遂げられた偉業を、新聞は“シュツットガルトの奇跡”と書きたてた。
 クランコのもと、つねに自由で創造的な気風に満ちていたシュツットガルトでは、若手振付家の育成の場も設けられた。ジョン・ノイマイヤー、イリ・キリアン、ウィリアム・フォーサイス。来たる時代に世界のバレエ地図を塗り替える大物振付家たちが、ここから育っていった。
 悲劇は突然訪れた。1973年、2度目のニューヨーク公演から帰還の途中、クランコが機内で没したのだ。享年45歳、あまりにも早過ぎる死はバレエ団に大きな衝撃を与えた。しかし残された者たちの結束は固く、クランコが築いた伝統は信念をもって受け継がれることになった。
 その信念とは、初のニューヨーク公演の直前にクランコが語ったという言葉に象徴されるだろう。「私の血潮の中には劇場がある。私は芸術性を証明するのではなく、観客たちを楽しませたいのだ」。
シュツットガルトから巣立った才能が新たなバレエの歴史を創った!
 





   サイトマップ   |   お問い合せ   |   NBSについて

Copyright by 財団法人日本舞台芸術振興会