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ショパンのいくつかのピアノ曲を用いた一幕のバレエ。1907年にマリンスキー劇場で「ショピニアーナ」というタイトルで初演された。ショパンの祖国ポーランドの色彩の濃い演出に改訂が加えられ、1909年、バレエ・リュスの初のパリ公演で現行の形となり、あわせて現タイトルに改められた。
月明かりに照らされた森。純白のチュチュをつけた空気の精たちが舞い踊る。特定の物語はなく、ただ幻想的なシーンが踊りで綴られる。ロマンティック・バレエの雰囲気を漂わせながら。後にシンフォニック・バレエ、アブストラクト・バレエなどの名前で定着する二十世紀のバレエへの橋渡しをした舞踊組曲でもある。
1970年、この作品をもって、第8回パリ国際バレエフェスティバルに参加。フェスティバルのオープニングを飾り、しかも金賞フォーキン賞受賞の栄誉に輝いた。東京バレエ団の実力を海外に知らしめた作品といえる。 |
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フォーキンがウェーバーのワルツ『舞踏への招待』(ベルリオーズ編曲)に振付けたこの一幕作品は、フランスの詩人・小説家であり、『ジゼル』の台本作者としても知られるテオフィール・ゴーティエの詩から想を得て創られた。「……あなたのまぶたを開けて下さい。私はゆうべの舞踏会で、あなたが胸につけて下さったあのばらの精です……」
バレエ・リュス旗揚げの1911年はゴーティエ生誕百年にあたる年でもあった。まずディアギレフが本拠地に定めたモンテカルロで、その後パリで公開されたが、薔薇の精をニジンスキー、少女をタマラ・カルサーヴィナが踊った舞台にパリの観客は熱狂した。初めての舞踏会の高揚感に包まれてまどろむ少女の寝室の開け放たれた窓から、薔薇の精が華麗な跳躍で不意に現れ、ひとしきり少女と踊ったのち、夜の闇へ飛び去ってゆく。このときニジンスキーの跳躍は伝説となった。
フォーキンはごく短期間に作品を完成させたが、振付の細部にこだわらないタイプだったため、両性具有的で揺れ動くような薔薇の精の動きはニジンスキーが考えたものだともいわれる。一場の夢のようでありながら、幻が現身の少女と交歓するこの世ならぬ熱情が立ち上り、どの少女も経験する思春期の憧れ——あるいは秘め事——を暗示するこの作品は、濃密な余韻と一種の充足、そして淡い哀しみを感じさせる。愛され、踊りつがれてきたのは、男性ダンサーの技巧の試金石になるからではないだろう。フォーキンはいう。「バラの精は魂であり、希望である。また、バラの香気であるとともに花弁の愛撫であり、口では言い表せないものである」(『ニジンスキー頌』)。 |
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夢幻的なドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』が流れるなか、幕が上がると岩棚に牧神が寝そべっている。ものうくけだるい夏の午後だ。やがてニンフたちが水浴びに訪れる。だが彼女たちは近づいてくる牧神に驚き、逃げていってしまう——。
ドビュッシーはフランスの詩人ステファヌ・マラルメの長詩『牧神の午後』にあててこの曲を作った。マラルメは詩の舞台化を望んでいたが果たせず、彼の夢はニジンスキーの処女作に溶け込んで舞踊史上に永遠にとどまることになった。跳躍や回転など立体的に空間を把握する技巧を廃し、登場人物たちは角ばった横向きの動きしか見せない。こうした基本姿勢を、ニジンスキーは古代ギリシャ陶器の図柄から思いついたらしい。徹底的に二元した舞台は従来のバレエへの挑戦であり、神話の姿を借りながら、人間の内奥にうずく欲望を直裁に描いたものであった。リーンカーン・カースティンは、「彼は単に別のアクセントを用いて語ったわけではない。そこからいくつもの新しい言語が生まれる可能性を秘めた、新たなアルファベットを創造したのだ」(『Nijinsky Dancing』)と書いている。ニジンスキーは跳ぶのを拒否することによって、異次元の舞踊空間へ飛んだ。
ニジンスキー自身の主演で『牧神』は1912年5月にパリで初演された。観客はとまどいを隠せず、ディアギレフはもう一度繰り返しての上演を命じた。未知の動きに加え、牧神がニンフの残したスカーフで自らを慰めるというラストに賛否両論の嵐が吹き荒れた。ディアギレフと反目しあうようになっていたフォーキンは、この作品をきっかけにバレエ・リュスを去る。完全なニジンスキー時代の到来となったわけだが、その翌年に彼自身がバレエ団を解雇されることになるとは、誰も予想していなかったに違いない。 |
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バレエ・リュスの船出は順風満帆だったわけではない。『ペトルーシュカ』にしても一行がパリに向かう途上のローマで、公演数週間前にようやく完成をみた。振付はミハイル・フォーキン、音楽はイーゴリ・ストラヴィンスキー。『火の鳥』『春の祭典』と並んで彼の三大バレエ音楽とされる。初演は1911年6月、パリのシャトレ劇場だった。
この作品は、ロシアの縁日で上演される人形劇ペトルーシュカを主題にした音楽から生まれた。舞台装置を作成したアレクサンドル・ブノワが中心となって台本を書き、振付は最後だった。「振付が先で音楽は後」という伝統は崩れたのだ。長い産みの苦しみをへて完成したのは、ロシアの人形劇の筋とはまったく異なる、「魂をもった」人形ペトルーシュカの悲劇を描いた一幕四場のバレエである。
謝肉祭で賑わう広場の見世物小屋から、親方の笛にあわせて三体の人形——道化のペトルーシュカ、バレリーナ、強くて大きいムーア人がぎくしゃくした身振りで登場する。愛と嫉妬の諍いが生じるが、所詮ペトルーシュカはムーア人にかなわない。魂をもつがゆえに傷つき、囚われの苦しみに絶望し、ついには殺されてしまう道化人形の哀しみを踊ったニジンスキーは、まさに変身したと評された。この日人々は、人形に仮託された人間の葛藤や孤独、そして悲劇をなかったこととしてすます群集の有様など、心理と現実を描いたバレエを見たのである。
最後、誰もいない広場で壊れた人形を片付けようとしている親方の前に、ペトルーシュカの亡霊が姿を現す。それは人間の情念が凝縮した瞬間であると同時に、ニジンスキーにとっては自分自身の苦悩に対する声なき叫びでもあったろう。 |
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2007年9月12日(水)7:00p.m. [キャストA]
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会場:東京国際フォーラム
ホールC |
2007年9月13日(木)7:00p.m. [キャストA] |
2007年9月14日(金)7:00p.m. [キャストB] |
2007年9月15日(土)3:00p.m. [キャストB] |
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S=¥14,000 A=¥12,000 B=¥10,000 C=¥8,000 D=¥6,000
エコノミー券¥=5,000(イープラスのみで8月3日(金)より受付)
学生券¥=3,000(NBSのみで8月3日(金)より受付)
※学生券は22歳までの学生を対象。公演当日に必ず学生証をお持ちください。
※未就学児童のご入場はお断りします。 |
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西宮公演 9月19日(水) 7:00p.m. 兵庫県立芸術文化センター TEL0798-68-0255
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