モーリス・ベジャール

Photo:Philippe Peche
これまでに東京バレエ団で上演されたベジャール作品
ボレロ
東京バレエ団初演:1982年7月19日
東京文化会館
さすらう若者の歌
東京バレエ団初演:1983年9月30日
東京文化会館
ロミオとジュリエット(パ・ド・ドゥ)
東京バレエ団初演:1983年9月30日
東京文化会館
ドン・ジョヴァンニ
東京バレエ団初演:1983年9月30日
東京文化会館
詩人の恋(パ・ド・ドゥ)
東京バレエ団初演:1984年9月6日
ブリュッセル・王立モネ劇場
ザ・カブキ
世界初演:1986年4月16日
東京文化会館
舞楽
東京バレエ団初演:1988年11月2日
東京文化会館
改訂:1989年7月21日
東京文化会館
火の鳥
東京バレエ団初演:1989年7月21日
東京文化会館
春の祭典
東京バレエ団初演:1993年4月9日
東京文化会館
M
世界初演:1993年7月31日
東京文化会館
ペトルーシュカ
東京バレエ団初演:1996年2月10日
ゆうぽうと簡易保険ホール
くるみ割り人形
東京バレエ団初演:1999年3月17日
神奈川県民ホール
バクチ III
東京バレエ団初演:2000年10月5日
東京文化会
ゲーテ・パリジェンヌ
東京バレエ団初演:2002年4月14日
東京文化会館
ギリシャの踊り
東京バレエ団初演:2003年1月16日
東京文化会館
中国の不思議な役人
東京バレエ団初演:2004年2月11日
神奈川県民ホール

モーリス・ベジャールは1927年1月1日、哲学者ガストン・ベルジェを父として誕生した。ダンサー、のちに振付家としてベジャールはパリで活動を開始、1954年にエトワール・バレエ団を設立、同団は1957年にバレエ・テアトル・ド・パリに発展する。1960年にベルギーに拠点を移し、20世紀バレエ団を設立。このカンパニーは25年後にローザンヌに移転し、ベジャール・バレエ・ローザンヌとなる。ベジャールは創作を行う土地と深い絆を結ぶのである。

エゴロワ夫人、ルーザンヌ夫人、レオ・スターツのもとでダンスの教育を受けクラシック・バレエを体得したベジャールは、まずヴィシー(1946年)でダンサーとしてのキャリアを開始し、ジャニーヌ・シャラ、ローラン・プティのもとで踊り、そしてロンドンのインターナショナル・バレエで踊る。クルベリ・バレエのスウェーデンツアーに参加し(1949年)、ベジャールは表現主義的な振付の可能性を見出す。初めてストラヴィンスキーの音楽と出会ったのも、スウェーデン映画の仕事を通してだった。

パリに戻ったベジャールは、批評家ジャン・ローランの支援を受けながら、ショパンの作品に熱心に取り組む。このときから彼はダンサーのみならず振付家として歩み始める。1955年、『孤独な男のためのシンフォニー』(P.アンリとP.シェフェールの音楽による)をエトワール・バレエ団により発表、既存のダンスに決別を告げる。独自の舞踊言語を操る術をもち『ハイ・ヴォルテージ』『プロメテウス』『三人のソナタ』(サルトルの戯曲『出口なし』に基づく)といった一連の作品を発表、高い評価を確立する。

1959年、ベルギー王立モネ劇場ディレクターに就任したモーリス・ユイスマンの委嘱により、ベジャール作品の金字塔『春の祭典』を創作。20世紀バレエ団を設立し(1960年)、ベジャールを頂点とするこの国際的バレエ団は世界中を駆け巡る。『春の祭典』に続き、『ボレロ』(1961年)、『現在のためのミサ』(1967年)、『火の鳥』(1970年)を発表。国際的に著名な哲学者である父の影響から、ベジャールは世界各地の文化に興味を抱き、多種多様な文明の表現(『バクチ』、『ゴレスタン』、『ザ・カブキ』、『ディブク』、『ピラミッド』)、および豊かな音楽レパートリー(ブーレーズからワグナーに至る)に強いこだわりを持つ。

ベジャールはダンスの教育にも関心を持ち、ダンス学校ムードラをブリュッセル(1970年)、続いてダカール(1977年)に設立。そしてダンス学校に留まらない創作の場、ルードラをローザンヌに設立する(1992年)。ベジャールのカンパニー、20世紀バレエ団は、1987年に断絶することなくベジャール・バレエ・ローザンヌへと移行。「表現者の本質を見極めるため」1992年に、カンパニーは30人ほどのダンサーに縮小される。『ニーベルングの指輪』、『中国の不思議な役人』、『リア王ープロスペロー』、『シェヘラザード』、『バレエ・フォー・ライフ』、『突然変異X』、『シルクロード』、『外套』、『少年王』、『水のリュミエール』、『リュミエール』、『東京ジェスチャー』、『魔笛』、『チャオ・フェデリコ』など、このカンパニーのために作られた作品は多数である。

ベジャールは、演劇作品(『緑の女王』、『カスタ・ディーヴァ』、『近代能楽集』『A-6-Roc』)、オペラ作品(『サロメ』、『ラ・トラヴィアータ』、『ドン・ジョヴァンニ』)、映画作品(『バクチ』、『俳優に関する逆説』)に加えて、小説、回想記、日記、戯曲といった多数の著書も発表している。1974年にエラスムス賞を授賞し、その後日本の天皇より勲三等旭日中綬賞(1986年)、ベルギー王国より王冠勲章グラン・オフィシエ(1988年)、日本美術協会より世界文化賞(1993年)、稲森財団より京都賞(1999年)を受ける。1994年、フランス学士院芸術アカデミー会員に選出。1995年12月4日、ヨハネ・パウロ2世の手からトゥギャザー・フォー・ピース・ファウンデーション賞を受賞。1996年12月3日よりローザンヌ市の名誉市民。2001年11月22日にはローラン・ペリエ「偉大なる世紀」賞を受賞している。

2002年8月、若いダンサーのための新バレエ団「カンパニーM」を設立し、新作『マザー・テレサと世界の子どもたち』を10月18日にローザンヌのボーリュー劇場で初演。

2003年10月、フェリーニの死後10年にあたり、フェリーニへのオマージュ『チャオ、フェデリコ』を発表。同年10月31日、在スイス・フランス大使より芸術文化勲章コマンドゥールを受章。

2004年、カンパニー創立50周年に際し、カンパニーの若手ダンサーたちと共同で『祖父である術』を制作。2005年、12あまりのベジャールの最も有名なバレエ作品の抜粋を含んだ『愛、それはダンス』、続いて同年12月に国際製作による最新作『ツァラトゥストラ、舞踊の歌』を、2006年には最新作『ダンサーの人生<ズィグとピュスが語る>』を発表する。

2007年11月22日。入院先のスイス・ローザンヌの病院で死去。享年80歳。