脱“皇帝”リッカルド・ムーティ

1986年から2005年までの約20年にわたってミラノ・スカラ座の音楽監督を務めたリッカルド・ムーティが、“皇帝”と呼ばれるようになったのはいつからだったのだろう。強力な改革を押し進め、ミラノ・スカラ座を“イタリア・オペラの殿堂”として名実ともに復権させた業績によるところが大きいのではないか。しかし、スカラ座を離れてからのこの10年間は、“皇帝”として君臨していた頃とは異なり、純粋に音楽を愛し、自由に楽しみながら音楽に全エネルギーを注ぎ込んでいるように思える。それは、かつてムーティがフィルハーモニア管やフィラデルフィア管で聴かせた躍動感や心地よい緊張感、推進力といったものと通じるかもしれない。“皇帝”の重圧から解き放たれたムーティのタクトから生まれるのは、彼の根源的な才能と積み重ねたキャリアがほどよく溶けあった豊饒で純粋な音楽と言っていいのかもしれない。

そしていま、シカゴ響が「純粋に音楽と向き合いたい」というマエストロの考えを実現できる絶好のオーケストラとなっていることは間違いないところだ。

ムーティに音楽監督就任を決意させたのは、シカゴ響のメンバーからの多くの手紙や署名だったといわれている。2010 年秋の就任前から巷の人気も沸騰した。2009年1月、ヴェルディの「レクイエム」は、スポンサーですらチケットが入手できないという事態が起こり、特別にスポンサー限定の公開リハーサルが開催された。ヴェルディのスペシャリストであるムーティが振るとなればこの人気ぶりも納得だが、ムーティがシカゴ響で振るレパートリーは幅広い。シカゴ響の創立125周年を記念する2015/16年シーズンは、シャルパンティエ、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキー、プロコフィエフ、ヒナステラ、ブルックナー、リゲティ、コリアーノなど、フランス・バロックから現代アメリカまでを手がける。また、2016年のシェイクスピア没後400年にちなんだコンサート形式での「ファルスタッフ」も予定されている。2011年の「オテロ」、2013年の「マクベス」に続いて、ヴェルディの“シェイクスピア・オペラ”が完結するこのプロジェクトは、“ヴェルディのスペシャリスト”リッカルド・ムーティあってこその企画だ。

“皇帝”の重圧から解き放たれたムーティは、まるでヴェルディが晩年に達した境地のように、楽々と変幻自在にアメリカの名門オーケストラを操り、次々にシカゴ響の歴史に残る名演を放っている。そのしなやかさとスケールの大きさ、名人芸に裏打ちされた輝かしい表現力は、ジャン・コクトーの「美は、楽々たる様子をしている」という言葉を思い出させる。

Photo:Todd Rosenberg