英国ロイヤル・バレエ団 2008年日本公演 最新情報

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岩城京子ロンドン取材 Archive

英国ロイヤル・バレエ団 ティアゴ・ソアレス インタビュー

先日のプロモーションの際、空港からホテルに荷物を置いただけで、まっすぐにNBSに駆けつけてくれたティアゴ・ソアレス。彼の最初の取材がこの岩城京子さんのインタビューでした。「目が充血しているから、サングラスをかけたままでもいいかな・・・」と言いつつ、丁寧に質問に答えてくれたティアゴ。バレエを始めて10年足らずで、彼がいかにしてロイヤルのプリンシパルまで上り詰めたのか・・・興味深いインタビューとなりました。

ティアゴ・ソアレス インタビュー
岩城京子(演劇・舞踊ライター)

生まれつきの気品漂う物腰とラテン系ならではの情熱的な色香で、コヴェントガーデンの客席を桃色吐息でうめつくすティアゴ・ソアレス。バレエを習い始めて5年強でロイヤル・バレエ団への入団を認められてしまった恐るべき身体的素養の持ち主である彼は、実は『白鳥の湖』のジークフリートから『眠れる森の美女』のカラボス(!)まで踊りこなせる無二のアクターダンサーでもある。カリスマ・テクニック・演技力のすべてにおいて並ならぬポテンシャルを抱く27歳の若きブラジリアン・プリンシパルにその生い立ちから話を訊いた。

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――16歳で本格的にバレエを始めたと聞きました。これは一般的にはかなり遅いスタートですよね。

確かにそうだね。けど僕は8〜9歳の頃から兄と一緒に地元のヒップホップ大会に出場してたし、あと食事面での生活が保証されることもあって同時期にサーカスの訓練学校にも通っていた。僕はブラジルのとても貧しい家庭で育ったから、ストリートから抜け出すためならなんだってチャレンジしてたんだ。で、そんなおり16歳のときにある男性が僕のもとにやってきて「君にはすばらしいバレエダンサーになれる才能があるよ」と言ってきた。それで僕は初めてリオにあるバレエ学校に出向くことになって、本当に一目でバレエが好きになってしまった。だからそれからは毎日バレエ漬け。一日少なくとも6時間はレッスンを受けていた。でもそうしたハードな訓練の成果もあって、2年後の98年にはパリ国際バレエコンクールで銀賞をとれるまでに成長していたよ。

――あなたはその後、母国のリオ・デ・ジャネイロ市立劇場で数年間プリンシパルとして活躍して、02年にロイヤル・バレエ団に移籍します。その経緯について教えてください。

01年に僕はモスクワ国際バレエコンクールで金賞を受賞したんだけど、その受賞者のガラ公演にちょうどロス・ストレットン(当時の芸術監督)が来ていたんだ。それでよりインターナショナルな場で踊ることを切望していた僕は、彼にそのとき直接オーディションを受けたいと申し出た。それがきっかけで半年後にバレエ団に呼ばれることになって、僕はモニカ・メイスン(現芸術監督)の前で審査を受けたんだ。そのときモニカは僕に「あなたには確かに才能がある。けどまずは私たちと同じ身体言語を覚える必要がある。だからまずは群舞からはじめなさい。すぐにソリストにしてあげるから」と言ってきた。当時すでにブラジルでプリンシパルとして踊っていた僕としては、いきなり宮廷で槍を持って突っ立ってるような役に戻るのは正直つらかったけど(笑)、でもダンサーにとってのロイヤル・バレエは役者にとってのハリウッドみたいなものだから。すぐに「イエス」と応えたよ。

――入団後数年間は、王子から、カラボスから、シンデレラの義理の姉妹まで、本当に幅広い役を演じていましたよね。

僕が最初に主役を任されたのはナターシャ(ナタリア・マカロワ)版の『眠れる森の美女』。そのときはジョニー(ジョナサン・コープ)が体調を崩して、僕が代役を務めることになったんだ。けどそのとき僕はカラボスも踊ってたし、ペザントのパドドゥも踊ってたし......、君がいま言ったようになんでもかんでも踊っていた。その頃は本当に何か役柄に空きがあるとまわりの人たちが「ティアゴ、ゴー!」って言って僕を送り込んでいたんだ(笑)。一度なんか同じショーで「王子とカラボスの一人二役ができないか」って提案されたときがあってね。さすがにそのときは「ノー」って断ったけど。

――あなたがオリオンを踊った『シルヴィア』を、1月のコヴェントガーデンで観ました。悪役であるにも関わらずどこかシンパシーを感じてしまう人間味のある役作りが印象的でした。

ありがとう。それは嬉しいコメントだね。オリオンというのは本当に、ただの獣ではないんだ。彼は単純に絶望的なまでにシルヴィアの美しさに惚れていて、彼女をモノにしたいがために無理矢理に連れ去ってしまう。なぜなら彼はそれしか術を知らないから。奴隷を従えるような身分の彼にしてみれば、人間はモノとして扱って手に入れてもいいものなんだ。だから僕からしてみればオリオンは確かに荒々しい男ではあるけど、彼は彼なりに精一杯生きてるだけ。ただの悪役ではまったくない。あとはお客さんには是非アシュトンの、最高に知的な振付けを堪能してもらいたい。特に第3幕のパドドゥでは振付けそのものが"人物像の対比"を語っている。つまりアシュトンはおのずと女性が神のように強く美しく見えるように、そしてそれに対比して男性がもろく素朴に見えるようにと振付けを構成しているんだ。本当に見事なできばえの芸術作品だよ。きっと日本のお客さんにも楽しんでもらえるんじゃないかな。

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マリアネラ・ヌニェスとともに(NBS事務所にて撮影)
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ルパート・ペネファーザー(英国ロイヤル・バレエ団)インタビュー

演劇・舞踊ライター、岩城京子さんによる、インタビュー最終回は、『シルヴィア』でアミンタを演じる、ファースト・ソリストのルパート・ペネファーザーです。長身と端正な容姿を兼ね備えたペネファーザーは、日本でも人気を集めること間違いありません。


ルパート・ペネファーザー インタビュー
岩城京子(演劇・舞踊ライター)

ジョナサン・コープが去り、ダーシー・バッセルが引退したいま、英国ロイヤル・バレエ団はまさに喉から手が出るほど"地元育ち"のローカルヒーローの誕生を待ち望んでいる。そんな期待を一身に背負い、現在ファースト・ソリストとして次々に大役をまかされているのが27歳のルパート・ペネファーザー。金髪長身のノーブルな風貌に、穏やかで包容力のあるダンススタイルで『くるみ割り人形』『眠れる森の美女』といった古典作で王子役をふられる機会の多い彼。取材場所でも「アフター・ユー(あなたのあとに)」といってこちらにまず席をすすめ、私が着座したことを確認してからゆったりと腰を落ちつけるという王子ぶりを披露。かと思えば「いまの僕の趣味はガールフレンド!」なんて照れながらも素直に答えちゃう普通の男の子ぶりも愛らしく、ここ日本でもますます人気が上昇しそうだ。


―――子供のころはまるで映画『リトルダンサー』状態で、多くの女の子に混ざってひとり稽古をしていたと聞きました。


ハハ、まさにそのとおりです。僕とは双子の姉妹の影響でバレエを7歳のときに始めたんですけど、12歳でホワイトロッジ(英国ロイヤル・バレエ学校のロウワースクールの呼称)に行くまでは、ただ単に踊りながらまわりの子と遊んでいるという感覚だったので、さほどその状況に違和感を持つこともなかったんです。けど14歳のときにトリン・アーツ・エデュケーション・スクールという場所で気持ちも新たにバレエを学びはじめたときに、僕はバレエという芸術表現と「真実の恋に」落ちてしまった。それでそのみずからの心に従うかたちで、遊びではなく、プロフェッショナルなキャリアを目指そうと思い、16歳のときに英国ロイヤル・バレエ学校のアッパースクールに入学したんです。

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『シルヴィア』アミンタ(photo:Bill Cooper)

―――その頃のロイヤル・バレエ団には綺羅星のごき男性スターたちがひしめいていましたよね。


本当にそうでしたね。イレク・ムハメドフがいて、ジョナサン・コープがいて、テディ(熊川哲也)が信じられないトリックを日々披露していて......。だから僕は本当に食い入るように彼らの公演やリハーサルを毎日見ていた記憶があります。


―――あなたはわりと古典的な王子役をふられることが多いですが、実は『ロミオとジュリエット』や『マノン』といったドラマティックな役柄もお好きだと伺いました。


もちろん古典作を踊っているときも非常に楽しいのですが、僕はそれと同じぐらいドラマ性のあるバレエも好きです。それこそがこのカンパニーの誇るべき特性のひとつだとも思いますし。だから今シーズンのはじめにロミオを踊れたことは、僕にとって大きな出来事でした。あとは、とりあえずいつの日か『マノン』のデ・グリューを踊りたい。というか、絶対にあの役は引退する前に一度は踊ってやる(笑)! もちろん、もっと精神的にマチュアになる必要があるのは自分でも分かっていますけど。でも心のなかではもう、いつか踊ると決めているんです。偶然にも隣の家に住んでいるベストフレンドのヘンリー・セント・クレア(ファースト・アーティスト)とも、たまにそんな話を熱くするんですよ。

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『シルヴィア』アミンタ(photo:Bill Cooper)

―――今回日本でも踊られる『シルヴィア』のアミンタ役は、あなたが初めて挑んだ全幕物主役でしたね。

そうです。4年前の初演のときは、正直、あの下半身がスースーする衣装で舞台にあがるのが多少照れくさかった覚えがあります(笑)。でもアミンタはそんなことに照れる間もなく、いきなり難しいソロを幕開きに踊らなくてはならないので、今考えるとあのころは少し踊りに十分に対応しきれていない部分もあったように思います。けど少し余裕が生まれてきて役に自然と入り込めるようになってからは、衣装のことも気にならなくなりましたし、主席レペティトゥールのドナルド・マクレアリーにつきっきりで教えてもらった踊りに完全に集中することができるようになった。アシュトン・スタイル特有のポール・ド・ブラ、美しく優雅な身体のそらせ方、とても素早いフットワーク。しかもそのすべてを適確にマスターしたうえで、テクニック至上主義に陥ることなく、きちんと物語性を観客に伝える。そう考えるとこれは本当に難しい役柄で、今でも僕は研鑽を積んでいる最中なんですけど、でも日本でまたアミンタを踊れることは心から楽しみにしています。これはリップサービスでもなんでもなく、僕は本当に日本が大好きなんです。友達の何人かは東京で英語教師をしてますしね。だから僕もいつか本気で東京に住もうと思っているんですよ。

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サラ・ラム(英国ロイヤル・バレエ団プリンシパル)インタビュー

演劇・舞踊ライター、岩城京子さんによる、インタビュー第3弾はサラ・ラム。今回の日本公演では、『シルヴィア』、『眠れる森の美女』の両作品に主演します。日本では、まだあまり知られていないラムの素顔をご紹介します。


サラ・ラム インタビュー
岩城京子(演劇・舞踊ライター)

西洋のフェアリーテールからそのまま飛び出てきたような可憐な容貌を持つサラ・ラム。その繊細なガラス細工を思わせる雰囲気から『眠れる森の美女』や『ラ・シルフィード』といった古典的な役柄で評価を受けることが多いが、彼女自身の言葉に耳を傾けていると、サラが単なる可愛いお人形さんではないことに気づかされる。ボストン・バレエ・スクールに通いつつハーバードの夜間学校に通い、身体と頭脳の両方を鍛えてきた才女。言葉のはしばしから「バレエの世界でベストになりたい」という骨太な哲学と情熱が溢れ出す。

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『眠れる森の美女』 オーロラ

――あなたは最初、画家になりたかったのだと聞きました。

ええ、本当に小さかった頃に。だけどあるとき自分の絵を客観的に眺めて「私はそこまで偉大な画家になれない」と気づいてしまった。それで同時に学んでいたバレエに将来の夢を切り替えたんです。なぜなら私は昔から自分のやることでは「ベストでいたい」という願望が常にあったから。8、9歳ぐらいのときに、より自分に才能があると思えるダンスに目標をスイッチしたんです。でももちろんバレエに関しても、最初からなんでもできる神童だったわけではないですよ。ボストン・バレエ・スクールに入学して、マダム・タチヤナ・レガートという素晴らしい恩師に出会ってから、徐々にダンサーとしての才能を開花させていくことができたんです。それで運良く17歳のときにボストン・バレエ IIに入団して、翌年にはメインカンパニーに参加することができました。

――ボストン・バレエ団のプリンシパルの地位にまでのぼりつめながら、なぜ04年にロイヤルバレエ団に移籍することを決められたのでしょう。

レパートリーが素晴らしかったこと、芸術監督のモニカ・メイスンを尊敬していたこと、ここのダンサーを尊敬していたこと、それに何より年間通してかなりの公演回数を踊れる環境が整っていたこと。アメリカのカンパニーでは、これほどの回数はこなせませんからね。それにプリンシパルダンサーになれたからといって、それがダンサーとしての最終ゴールではない。身体性、精神性、人格、知性、自己規律、衝動、それに欲望。こうした複合的要素にたゆまず磨きをかけ、さらに素晴らしいダンサーになるよう努力しつづけなければならないんです。

『眠れる森の美女』オーロラ

――あなたは強靭なテクニックを保持しながらも、それを誇示せず、全体を淡いオーラで隠すかのような控えめなダンススタイルを好みます。それはなぜでしょう。

私の考えではバレエにはある種の"文学的な味わい"があるべき。つまり私は目の前で10回転するダンサーを見て「ワオ!」と即物的に興奮するようなエンターテイメントを届けるのではなく、劇場を後にした観客がダンスの物語性や美しさをゆっくりと脳内で反芻できるようなそんな体験を授けたいんです。で、そのためにはダンサー自身も、身体だけでなく頭脳のすみずみまでフルに活用して作品に挑むことが必要。ただ身体的な美しさを見せたり、生まれながらの才能を見せるだけではなく、バレエの総合芸術性を頭できちんと処理して舞台上で提示すべきなんです。なんだかこんな話をしていると、私がとても頭でっかちでかたくなな人間に思われそうですけど、そうではなくてただ単に私は「ダンサーはバカだ」と思われたくないだけなんです(笑)。

――最後に、日本で踊られる『シルヴィア』と『眠れる森の美女』に期待されることを教えてください。

シルヴィアのほうがオーロラよりも性格的に奔放。だから個々の踊りもより演劇的に自由で、動きに流れがあると言えます。私は何より演技に没頭して踊ることを好むので、人間的に様々な側面をもつシルヴィアはとても好きな役柄のひとつです。逆にオーロラはあの16歳の誕生日のバリエーションに示されるように、すべてが純粋さと端正さを表すためにある。ですので、もう少し固定的で制御された踊りを求められます。とはいえオーロラの古典的な美しさも私は愛していますし、毎回、踊ることに喜びを感じます。日本のお客さまにも私の踊りを見て、喜びを感じていただけたら嬉しいです。

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マリアネラ・ヌニェス(英国ロイヤル・バレエ団プリンシパル) インタビュー

演劇・舞踊ライター、岩城京子さんによる、インタビュー第2弾はマリアネラ・ヌニェス。今回の日本公演で、『シルヴィア』『眠れる森の美女』の両作品に主演するヌニェスの魅力に迫ります


マリアネラ・ヌニェス インタビュー
岩城京子(演劇・舞踊ライター)

彼女が舞台に登場したとたん、花咲き匂うような春がその場に訪れる。現ロイヤル・バレエ団の最年少プリンシパルであるマリアネラ・ヌニェスは、瑞々しく愛くるしくエネルギーに満ちた表現をその強靭な技術力によって視覚化し、劇場中の観客を瞬時に恋に落とすことができる。彼女が『シルヴィア』の最終幕でアミンタとの愛に満ちたパ・ド・ドゥを踊るのを目の当たりにし、知らずのうちに暖かな笑顔がこぼれてしまわない観客はいないだろう。アルゼンチンのコロン劇場バレエに弱冠14歳で入団して以来「ずっとバレエに恋し続けているの!」と目を輝かすマリアネラ。今回の来日公演で日本の観客は、そんなチャーミングな彼女の全幕物をはじめて目にする機会を得る。

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『シルヴィア』 シルヴィア

---あなたはアルゼンチンでバレエを習い始め14歳のときにプロの道を歩み始めました。その早熟なキャリアの経緯をまず簡単に教えてください。

自分でもこれは驚きなんですが、私は6歳のときにすでに「プロのダンサーになる」と母親に宣言していたんですね(笑)。だから8歳でコロン劇場バレエ学校に入学して、5年間スクールに通って、14歳のときにカンパニーに入団したわけですけど。自分としては「着実に自分の目標に近づいているな」と思うだけで、特に早熟であるという意識を持つことはありませんでした。ちなみに私は在学中からカンパニーのリードダンサーであるマキシミリアーノ・グエラと踊らせてもらう機会に恵まれていたんですけど。一度、彼とは日本の『世界バレエフェスティバル』(97)にも参加したことがあるんですよ。あのとき私はまだ...、15歳だった! で、話を戻すなら、そのあと私は年間27公演しか踊れないアルゼンチンのカンパニー状況に少し不満を抱くようになって。シルヴィ(ギエム)やダーシー(バッセル)やヴィヴィアナ(デュランテ)といった私の大好きなダンサーたちがみな在籍していたロイヤル・バレエを目指すことにした。ただ(アンソニー)ダウエルに入団許可をもらったとき、私はまだ15歳だったから。年齢制限から1年間、ロイヤル・バレエ・スクールに通う必要があった。『世界バレエフェスティバル』に出演した2ヶ月後にスクールでバーレッスンを受けている、というのは当時の私にとってはかなり飲み下しがたい現状だったけれど。今となっては逆にとても良い経験をさせてもらったと思っている。もし仮にあのまま何の疑問も持たずにトントン拍子にキャリアを積んでいたら、私はいまある自分の成功をそれほど感謝できていなかったと思う。

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『シルヴィア』 シルヴィアとアミンタ(ルパート・ペネファーザー)

----19歳でプリンシパルに任命されて以後、数々の主要演目を踊られてきました。特にあなたの場合はキトリ、スワニルダ、オーロラ、リーズなど、どちらかというと悲劇よりもハッピーな演目を踊ることが多いですね。

そうなの! というのも私はいつでも舞台に立つと自然と笑顔になってしまう。バレリーナとしてそこに立てていることが嬉しくて嬉しくてしょうがなくて、ハッピーな笑みがこぼれてきてしまう。だから今回日本で踊る『シルヴィア』も、体力的には本当に過酷でズタボロに死にそうな状況になるのだけど。私にとっては舞台にいるときが人生最高の瞬間だから。そのまま本当に疲れ果ててステージ上で死んでしまっても......本望かもしれない(笑)。まあそれは冗談だけど、でも本当にアシュトンの振付は観客が思う以上に技術・体力ともに大変。彼の振付はあまりにも音楽性が美しく、あまりに上半身の使い方が優雅だから、人はどれだけ難しいステップを下半身でしているかを意識することがないんです。けど実は...、特に1幕などは、とんでもなく高度な技術を求められる。つまりアシュトン作品というのは、私の分析では、高難度なテクニックを優雅さの後ろに「隠す」ことであの独自の美しさを生み出しているんです。

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『眠れる森の美女』オーロラ

----日本では『シルヴィア』のほかに『眠れる森の美女』でも主演されます。あなたのオーロラは数年前に劇評で「1946年の初演以後、ロイヤル・バレエ史上最高のオーロラ」と讃えられましたね。

あれは今までのバレエ人生で最高の賛辞でした! でも本当に私はオーロラを踊るのが大好きなんです。とくに技術面や身体面でピークを迎えている25歳の今だからこそ、こうした古典演目には全力で挑みたいと思う。もう少し歳を重ねたら、こうした純度の高いクラシックを踊るのは難しくなってしまうかもしれませんからね。7月の日本公演は本当に楽しみ。私の踊りを観てひとりでも多くの方がいつもより幸せな気持ちになって劇場を後にしてくれたら、これほど嬉しいことはないです。

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ゼナイダ・ヤノウスキー インタビュー

ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスでは現在『シルヴィア』を上演中です。主役のシルヴィア、アミンタは、日本公演の主演キャストでもある、ヤノウスキー&マッカテリ、ヌニェス&ペネファーザー、ラム&ボネッリの3組のペアが演じています。先月、演劇・舞踊ライターの岩城京子さんが、日本公演に先駆けて『シルヴィア』をロンドンで観劇し、ヤノウスキー、ヌニェス、ラム、ペネファーザーの取材をしてきてくださいました。これから4回にわたり、岩城さんによるインタビュー記事をお届けします。


ゼナイダ・ヤノウスキー インタビュー
岩城京子(演劇・舞踊ライター)

知性とエネルギーと音楽性に満ちた、輝くほど美しいニンフ。ゼナイダ・ヤノウスキーが舞う『シルヴィア』のタイトルロールを目の当たりにして、ロイヤル・バレエが今後後世に受け継ぐべきアシュトン・スタイルの「現代的な神髄」をそこに認めた気がした。52年にマーゴ・フォンティーン主役で初演された本作は、どちらかといえば小柄でか弱くロマンティックな雰囲気の女性のために創られた役とされてきた。だがその真逆の性質を持つ大柄で力強く現代的なヤノウスキーは、見事にこの役柄が要求する柔和な美しさと細かなステップを体現しつつ、そこにモダンな知性をも上乗せしてみせた。しかもレオ・ドリーブの楽曲の流れるようなメロディを身体そのもので体現してみせる、洞察力に富んだ音楽的フレージングも見事。94年にロイヤル・バレエ団に入団してから徐々に昇進を重ね、01年にプリンシパルに昇格したヤノウスキー。そのゆったりとした歩みがあったからこそ、すべてのパに知的分析が行き届いた洗練美の極地ともいえる彼女ならではのスタイルが完成され、いま英国中のバレエファンの心をにわかに射止めつつある。

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―――本格的にバレエを始めたのが、とても遅かったと聞きました。

ええ。私の両親はともにリヨン・オペラ座のバレエダンサーで、カナリア諸島で学校を開いてバレエを教えたりしていたんです。けど、そうしてあまりにもバレエが身近にあったからこそ逆に、踊りが大好きだったにも関わらず、自分が職業的にその道を歩むという選択は考えたことがなかった。むしろ画家になりたいと思っていたんです。でも14歳のときに今はボストン・バレエにいる弟のユーリと共にキューバにバレエ留学することになって。にわかにバレエに惚れ込んでしまった。それで16歳のときに私はヴァルナ国際バレエコンクールで銀賞を受賞して、パリ・オペラ座バレエ団に入ったんです。ただオペラ座の規律だらけの生活はあまり水があわなかったようで(笑)、3年後にはロイヤル・バレエ団に移籍することを決めました。

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―――95年にファーストアーティスト、96年にソリスト、99年にファーストソリスト、01年にプリンシパル。入団数年でプリンシパルに指名されるダンサーもいるなかで、あなたの昇進はとてもゆるやか。それはあなたにとって良いことだったのでしょうか。

少なくとも私個人にとっては、とても良いことでした。というのも私は「スローラーナー(時間をかけて学ぶ人)であること」に大きな信念を抱く人間だから。たとえば急いで走って目的地にたどり着いてもさほどの達成感が得られないのと同じように、ゆったりと時間をかけて一歩一歩ゴールに近づいていったほうが充実度は大きい。それにもし仮に私が20代前半のときに大きな役をもらっていて、しかもそれを10年踊り続けろと言われていたら、多分退屈して窓から飛び降りていたと思う(笑)。でも私は幸運にも、ある程度年齢を重ねたときにそれらの大役と巡り会うことができた。それはとても素晴らしい出会いで、自分の知性が十分に成熟したときに役柄と対峙することができたからこそ、その役をより彩り豊かに解釈することができた。言うなれば若いときの私はアーティストとしてはまだ未完成で、テクニックつまり"単語"を持っていただけだった。でも今は、その単語を使って文章全体をどう彩るかという"彩色方法"を考えることができる。で、私の考えでは、そこにこそアーティスト一人一人の独自性が滲み出てくるんです。

―――シルヴィア役をあなたは見事"彩って"いましたね。

ありがとう。でも最初のころはやっぱりステップとステップをどうつなげたらいいのかわからなくて。まるで「こう・し・て・しゃべ・って・いる・みたい」に踊りがカクカクしていた(笑)。でもいったん音楽のフレージングを自分なりに解釈して、ムーヴメントの軌道の描きかたを決めたら、おのずと自分なりの役柄の色合いが生まれてきた。でもいつも言うんですけど...、本当にシルヴィアは体力的に大変な役なんです。1幕、2幕、3幕とそれぞれまったく異なるスタイルの踊りをものにしなくてはいけないから。『白鳥の湖』がフルマラソンだとしたら、これはトライアスロン! でもそれほどハードでも、踊るたびに喜びが増すとても素晴らしい演目なんです。

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photo:Bill Cooper

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