「ラ・バヤデール」~誕生から現在まで~ (2)
「ラ・バヤデール」~誕生から現在まで~ (2)
「ラ・バヤデール」演出の変遷
マリウス・プティパによって1877年にペテルブルグのボリショイ(現マリインスキー)劇場で発表された『ラ・バヤデール』は、プティパの存命中に、2度改訂版が出されている。 次のプティパ自身による蘇演は、1900年に、皇帝一家と親密に交際し劇場で絶対的な力をもっていたプリマのマチルダ・クシェシンスカヤがの希望により行われた。
1912年には、ニコライ・レガートが、プティパ亡きあとの復元演出を行った。この版は、不必要な削除や単純化が批難されたとはいえ、レパートリーに残り、1917年の革命後も再演された。しかし、この後の1941年のチャプキアーニとポノマリョーフの新演出が出るまでに、第4幕が消えてしまった。舞台装置が焼失してしまったとか、神の怒りで神殿が崩壊するという内容が、宗教を公的には認めなかったソ連の芸術としてふさわしくないと判断されたのかなど推測されているが、理由は明確にはされていない。いずれにしても、劇場から依頼された二人は、3幕ものでプティパ版からもっとも遠い演出を行った。
1948年には41年版の二人が再び新演出を行い、有名な「金の像」の踊りが、ズプコフスキーによって振り付けられた。
これらの後に出てくるのが、現マリインスキー劇場出身で欧米で活躍してきたナタリア・マカロワが、アメリカン・バレエ・シアターのために1980年に演出した版である。マカロワは失われてしまった第4幕を再現したが、音楽はランチベリーによる新しいものを用いている。
村山久美子(バレエ評論家)
トラックバック(0)
トラックバックURL: http://www.nbs.or.jp/global/mt/mt-tb.cgi/242
コメントする