上野水香は日本バレエ界にとって得難いバレリーナである。
 登場は鮮烈だった。弱冠15歳にしてローザンヌ国際バレエコンクールでスカラシップ賞を獲得。日本人離れしたプロポーションと抜群の身体能力、そして優美なラインを兼ね備え観るものを陶然とさせた。モナコに留学後、欧州の有力カンパニーからのオファーがあったものの日本で踊る道を選ぶ。
 帰国後まもなく快進撃が始まる。9頭身と称される肢体から繰り出されるダイナミックな演技を目の当たりにして「日本バレエも新時代を迎えたか」との声が絶えなかった。『白鳥の湖』のオデット/オディールにおける長身の肢体と抜群の技巧を活かした演技やプティ作品で振りまいた、えもいわれぬ色香にバレエファンに留まらない多くの人々が魅了された。人気に奢ることなく世界に通用するプリマとしての矜持を忘れず研鑽を怠らなかったのだろう。力量は広く認められ、ミラノ・スカラ座バレエなど海外からも招聘される。
 2004年、東京バレエ団入団後は役柄を広げ、より世界へと羽ばたく。ベジャール振付『ボレロ』『バクチIII』、アロンソ振付『カルメン』などに主演。踊るたびに新境地を切り開き、一層目の離せない存在となってきた。『ドン・キホーテ』『ボレロ』などの主役を海外ツアーでも踊って称賛を浴び、マラーホフやマルティネス、サラファーノフ、ガニオら世界の超一流スターとの共演でも成功を収めている。
 充実期にある上野だが、今回はじめて『ジゼル』全幕の主演に挑む。ロマンティック・バレエ不朽の名作『ジゼル』。そのタイトルロールはプリマの試金石といわれる。病弱で今にも折れそうなくらいに華奢な、悲劇のヒロイン。第二幕では、ウィリとしてこの世ならざるものの哀しみを体現しなければならない。バレリーナなら皆一度は憧れるともいわれるが一筋縄にはいかない難しい役どころである。
 上野といえば近年進境をみせる現代作品のみならず『ドン・キホーテ』のキトリにおける快活な演技、『眠れる森の美女』のオーロラ姫でみせた眩いばかりのオーラといったように、古典作品でもその様式的世界に息づきつつ彼女ならではの個性を発揮してきた。回を重ねて踊りこむ『白鳥の湖』のオデット/オディール役では、演じるたびに表情が豊かになり、ドラマティックな資質も開花しつつある。踊りに品位や抑制も加わってきた。日本バレエ界の新時代を象徴するアンファンテリブルも成熟のときを迎えつつあるのだ。
 さらなる飛躍へのパスポートとして、いまここで『ジゼル』のタイトルロールに挑むことは時期を得ている。古典中の古典だけに求められるハードルは否応なしに高くなるが、成長著しい上野ならきっと応えてくれるだろう。初役ならではの型にとらわれない清新な演技も楽しみなところ。共演は高岸直樹。近年上野とのパートナーシップを深めているベテランが久々にアルブレヒト役を踊る。上野にとって何よりも心強い支えになるだろう。
上野の新たなる挑戦に期待したい。

高橋森彦(舞踊評論家)


 5歳からバレエを始める。1993年、15歳でローザンヌ国際バレエ・コンクールにてスカラーシップ賞を受賞した後、モナコのプリンセス・グレース・クラシック・ダンス・アカデミーに2年間留学。
 美しいラインと独特の存在感で、新時代のバレリーナとして注目を集めているダンサー。
 04年春、東京バレエ団に入団。フィレンツェにて『ドン・キホーテ』に主演して東京バレエ団デビューを飾る。また、ドイツにて『ボレロ』を踊り、いずれも現地にて評判を呼んだ。同年〈東京バレエ団40周年記念ガラ〉では『バクチIII』のシャクティと『エチュード』のエトワールを踊り、つづいて『ドン・キホーテ』のキトリ、マラーホフとの共演による『白鳥の湖』、『くるみ割り人形』と次々に主演。05年は『真夏の夜の夢』タイターニア、『パ・ド・カトル』グラーンをバレエ団初演し、マチュー・ガニオを相手に『眠れる森の美女』に主演。『M』ではローズを、全国縦断公演では『テーマとヴァリエーション』エトワール、『ドン・ジョヴァンニ』ヴァリエーション6、『ギリシャの踊り』ハサピコを踊った。06年は、マラーホフ新演出『眠れる森の美女』でリラの精、〈ベジャール=ディアギレフ〉では『ボレロ』を踊った。また、第11回世界バレエフェスティバル全幕特別プロ『白鳥の湖』でジョゼ・マルティネスと共演。07年は4月に『ドン・キホーテ』に再び主演。6月には、ミラノ・スカラ座日本公演『ドン・キホーテ』に客演し、主役キトリを踊った。8月にはチリのサンチャゴ国立歌劇場150周年記念ガラに出演し、『バクチIII』を踊る。また同月『白鳥の湖』でガニオと再び共演、10月には『バレエ・インペリアル』に主演。今回、満を持して「ジゼル」に挑む。



京都府宇治市生まれ。1986年に東京バレエ団に入団。87年、ベジャールの『ザ・カブキ』において弱冠21歳で由良之助に抜擢され一躍話題の的となる。以来、東京バレエ団のあらゆるレパートリーで主役を演じ、海外でも活躍。『ラ・シルフィード』『白鳥の湖』『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』などの古典バレエにおいても、近年とみに演技力の充実を見せ、欧米のダンサーにも勝るプロポーション(187センチ)で端正な舞台を見せている。
近年の主な舞台として、05年『真夏の夜の夢』オベロンを初演、12月には斎藤友佳理とともにリトアニア国立劇場ガラで『椿姫』パ・ド・ドゥを踊った。05年、06年とセルビア国立劇場で『ジゼル』全幕を踊った。06年は、マラーホフ新演出『眠れる森の美女』で4人の王子、〈ベジャール=ディアギレフ〉フォーキン振付『ペトルーシュカ』シャルラタンを新たに踊り、秋には『白鳥の湖』に主演した。07年は、『ザ・カブキ』、『ドン・キホーテ』、『ラ・シルフィード』、『バレエ・インペリアル』、『テーマとヴァリエーション』に主演したほか、ベルリン・ドイツ・オペラにて〈マラーホフ&フレンズ〉に吉岡美佳とともにゲスト出演している。


Photo:Kiyonori Hasegawa

主催:財団法人日本舞台芸術振興会/東京バレエ団 後援:東京バレエ協議会


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