もっと楽しく! オペラへの招待 [3] ~『タンホイザー』、社会に抑圧された若者の物語

インタビュー・レポート 2017年5月 6日 11:02




いよいよバイエルン国立歌劇場『タンホイザー』のプレミエまであと15日!日本公演まであと4か月です。音楽ジャーナリストの飯尾洋一さんによる、大好評の連載コラム第三弾をお届けいたします。




『タンホイザー』、社会に抑圧された若者の物語

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)







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キリル・ペトレンコ(バイエルン国立歌劇場音楽総監督 / 『タンホイザー』指揮)




 今回のバイエルン国立歌劇場来日公演で上演される演目はワーグナーの『タンホイザー』とモーツァルトの『魔笛』。たまたまだろうが、この両作にはうっすらと共通項も感じる。ストーリーの前半と後半とで微妙にタッチが異なるところや、教義や儀式の物語である点が、少し似ている。


 おそらく、『タンホイザー』はワーグナーのオペラのなかではもっともフレンドリーな作品といえるのではないだろうか。ワーグナーのオペラに接する際に必要なのは、まずは気合い。『パルジファル』とか『神々の黄昏』とか『ニュルンベルクのマイスタージンガー』などの長大な作品の場合、自分は滝に打たれる気分で劇場に向かう。なにせ、これらの作品は長い。お尻が痛くなるくらい長い。でも、音楽は最高にすばらしい。心はいつまでもこの音楽に浸っていたいと願う一方、体が悲鳴を上げるのがワーグナー。たとえるならチャンピオンズリーグの試合に出場するサッカー選手くらいの気合で、万全のコンディションを整えて劇場に向かわなければ作品に太刀打ちできない。


 その点、『タンホイザー』の上演時間は正味3時間と少しくらいの長さで、まだ救いがある。音楽的にもストーリー的にも比較的明快。それでもワーグナーである以上、圧倒的な音楽体験をもたらすという意味で滝行にはちがいないのだが、『パルジファル』が真冬に高さ20メートルくらいの大滝に打たれるのだとすれば、『タンホイザー』は真夏に水浴びも兼ねてリフレッシュするカジュアル滝行くらいのイメージだ(想像だけど)。


 『タンホイザー』はストーリーもおもしろい(以下ストーリーの核心に触れるのでネタバレあり。そんな注意が古典的オペラに必要かどうかはともかく)。騎士タンホイザーは禁断の地ヴェーヌスベルクで愛欲の女神ヴェーヌスの虜となっている。ビバ快楽。しかし人間、快楽だけの日々にはいつまでも浸っていられないもの。タンホイザーは清らかな乙女エリーザベトが待つ人間界へと帰ってくる。


 ところが、せっかく帰ってみると、人間の世界もいいことばかりじゃない。最初は帰還を喜んでくれたヴォルフラムら騎士仲間たちも、タンホイザーがうっかり「うひょっ!ヴェーヌス最高~」と口を滑らせたばかりに、彼を罪人扱いする始末。唯一、味方してくれたエリーザベトのとりなしによって、タンホイザーはローマ教皇に赦しを請うべく、巡礼の旅に出る。しかし教皇はタンホイザーを赦してくれない。
「この手にある杖に緑の葉が生い茂らない限り、お前が救われることはない」
 なんという無理ゲー。杖に緑の葉っぱなど生えるわけがなかろう。自暴自棄になったタンホイザーは、ヴェーヌスのもとへと帰ろうとするが、エリーザベトが自らの命を犠牲にして天に祈りを届ける。タンホイザーも絶命するが、教皇の杖に緑の葉が芽吹く。タンホイザーの魂は救済されたのだ......。


 このオペラは自分のなかでは「ダメ男もの」に分類されている。ひとりの男がふたりのステキな女性の間でふらふらするというのは、(オペラに限らず)ダメ男ものの黄金パターン。ヴェーヌスいいなあ、でもエリーザベトもいいなあ、でもやっぱりヴェーヌスのところに帰ろう、と主人公がふらふらする。そう書いてみると、ビゼーの『カルメン』とも似ている。カルメンとミカエラの間で揺れるドン・ホセみたいな男がタンホイザー。


 見逃せないのは、タンホイザーは「モテる」ということだ。ヴェーヌスにも求められ、エリーザベトにも愛される。タンホイザーには選択肢がある。ひるがえって、ヴォルフラムら騎士仲間ときたらどうだろうか。ヴェーヌスにもエリーザベトにも相手にされないモテない男たちは、タンホイザーを責めることしかできない。言ってることは立派なのだが、さっぱり共感を呼ばないタイプの男たちである。それって、親切心に見せかけたタンホイザーへの嫉妬なんじゃないの?


 好き勝手に愛欲の女神と聖女の間を自由に往来する型破りな新世代騎士になってたかもしれないタンホイザーが、周囲に咎められて悔い改めることになったばかりに、エリーザベトともども命を落とすことになってしまった。「救済なんかより現世が大事だよっ!」という視点で見れば、社会に抑圧された若者の物語として、タンホイザーに共感を寄せることも可能なんじゃないだろうか。


 『タンホイザー』は、序曲がコンサートでもしばしば単独で演奏される人気曲となっている点も心強い。というのも、この入念な序曲は本編に対する音楽的な予習機能を持っている。冒頭の厳かな主題は本編で巡礼の合唱として登場する。中間部で奏でられる妖しくにぎやかな音楽は愛欲の女神ヴェーヌスへの賛歌。とても楽しそうである。しかし、ふたたび巡礼の合唱が返ってきて、雄大なクライマックスを築いて荘厳なムードで序曲を閉じる。どうやら快楽は退けられて、聖なるものが勝利を収めるのであろうという結末が早くも音楽のみから予感される。ふたつの対立する世界が音楽の性格によって雄弁に描き分けられているのも、『タンホイザー』の親しみやすいところだろう。


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クラウス・フロリアン・フォークト(『タンホイザー』タンホイザー役)





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