「誰でも楽しめる名作」 このようなうたい文句が似合うオペラ(オペレッタ)は少なくない。けれど「こうもり」ほど、とっつきやすいと同時に懐が深く、楽しいと同時に味があり、観るたびに新しい発見があり、人生のいつの段階にいても楽しめる、そんな作品はちょっとない。
アドリブもふんだんに盛り込まれた愉快なストーリーと、わくわくするようなヨハン・シュトラウスの音楽は、何も知らずに観ても十分楽しい。とくに第2幕の舞踏会のシーンの華やかさと、〈シャンパンの歌〉〈こうもりのワルツ〉をはじめ次々と繰り出される名曲の数々は、初心者でもとりこになることうけあいだ。
だが「こうもり」の一番のポイントは、くっきりとキャラの立った登場人物によって描かれる人間模様ではないだろうか。涙と笑い、そしてちょっぴりのほろ苦さ・・・ここには、夢のなかにひとつまみの現実が撒かれている。それに気づいたとき、「こうもり」の面白さはぐっと広がるはずだ。
お話の仕掛け人は、“こうもり博士”ことファルケ。友人のアイゼンシュタインにからかわれた仕返しに、大舞踏会を含めた大がかりな復讐劇をたくらむ。アイゼンシュタイン以外の登場人物は、どこまでこの復讐劇を承知しているのか?その謎解きも、観るひとに任せられているような気がしてくるのが、快(怪?)人物ファルケの、そして「こうもり」の不思議さだ。
標的にされたアイゼンシュタインは、典型的な中年ブルジョワ男性の役どころ。弁護士の不手際もあって牢屋に放り込まれる破目になり、その前の気晴らしにと罠とも知らず舞踏会に出かけ、つい浮気心を起こして最後は妻にとっちめられる。あまりの分かりやすさについ共感してしまう殿方も多いのでは?
対照的にしたたかなのが、2人の女性主役たち。昔の恋人との逢引をうまくごまかし、亭主の浮気癖をやりこめるブルジョワ奥様のロザリンデ、変装して舞踏会に出かけ、まんまとパトロンを見つけて、“女優”への第一歩を踏み出す小間使いのアデーレ。喜劇では昔から、男より女がうわてと決まっているものだが、「こうもり」もその点ぬかりない。
主役以上に強烈なのが、彼らを取り巻く脇役たち。純朴でまじめなゆえに笑いを誘う刑務所長のフランク、ロザリンデの昔の恋人で、やや能天気なアルフレート、第3幕でひとり芝居を披露する酔っ払いの牢屋番フロッシュ、そして正体不明のロシア貴族で、倦怠感あふれる怪人オルロフスキー公爵。どのキャラクターも独特の存在感に満ちている。それが際立つのも、シュトラウスが彼らにぴったりの音楽をつけているがゆえだろう。
主役から脇役まで、手の抜けない「こうもり」。その点、フォルクスオーパーの「こうもり」はぜいたくだ。主役には今が盛りの歌手、脇役には大ベテランを揃えた。アルフレート役は名歌手のコロ、フロッシュ役にはこの役を得意とするツェドニク、そしてオルロフスキー公爵には、フォルクスオーパーの初来日公演でこの役を歌い、聴衆の度肝を抜いたコワルスキー。何を隠そう、筆者も度肝を抜かれたひとり。どうあっても、駆けつけなければならないのです・・・。
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