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公演概要 ファルスタッフ トゥーランドット フィレンツェ歌劇団 ニュース
フィレンツェ歌劇場
 イタリア・ルネサンスの中心地として美術、音楽、哲学が栄えたフィレンツェでオペラが産声をあげたのは16世紀のこと。音楽家、詩人、哲学者、文藝思想家がめざしたのは、人間の情熱の偉大さを表現するようなドラマの創出でした。以来、今日までオペラはイタリア芸術の精髄として人々に愛されています。
 このオペラ誕生の地の歴史的背景と意義、音楽史における大きな使命を担うものとして誕生したのが「フィレンツェ五月音楽祭」です。1933年、ヴィットリオ・グイによって創設されたこの音楽祭は、イタリア最古にして最大のものであり、バイロイトやザルツブルクと並び、ヨーロッパにおける三大音楽祭として認められています。しかも、フィレンツェ五月音楽祭は、ワーグナー作品にのみ限定されたバイロイト音楽祭やモーツァルトの生地として知られるザルツブルク音楽祭とは一線を画す独自の路線で続けられ、ミラノ・スカラ座と並びイタリア・オペラの最高峰として世界にその名を馳せています。
 たとえば、現在ではバイロイトでも映画監督を演出家として起用することは珍しくありませんが、20世紀を代表する舞台監督や映画監督を招くことをはじめ、舞台装置家、衣裳デザイナーに世界的名声を馳せた画家や彫刻家を起用するといったスタイルは、フィレンツェ五月音楽祭がどこよりも早く取り入れた手法のひとつなのです。
 フィレンツェ五月音楽祭が世界中の期待と注目を集める理由には、レパートリー面における充実が挙げられます。古典的な作品から最新の傾向にいたるまで常に目を配り、忘れられた過去の作品や音楽家の再発見にも力を注いでいるからです。「ロッシーニ・ルネサンス」「ドニゼッティ・ルネサンス」といった潮流が巻き起こったのも、フィレンツェ五月音楽祭での舞台が契機となっています。18世紀には、オペラといえばどこの国においてもイタリア・オペラだったことと同様に、時代を経た現在においても、フィレンツェは世界のオペラ界をリードする存在であり続けるのです。
 「メータとフィレンツェの絆よ、永遠なれ」。テアトロ・コムナーレで新演出上演の演奏終了と同時に掲げられた垂れ幕に書かれたこの文字は、フィレンツェ市民のメータへの熱狂ぶりを伝えるエピソードのひとつです。メータがフィレンツェ五月音楽祭芸術監督のポストに就いたのは1980年代なかばのこと。当初はニューヨーク・フィルの音楽監督との兼務だったことから、フィレンツェを腰掛にしているという非難の声があがったということですが、フィレンツェの人々の間にマエストロ・メータへの愛着が生まれるまでに、多くの時間はかかりませんでした。
 メータがフィレンツェの芸術監督のポストに就いて、はじめに着手し、そして最大の功績のひとつといえることに、オーケストラを目覚しく成長させたことが挙げられます。就任から10年後には、オーストリアはザルツブルク音楽祭にデビューを飾るなど、国際的にもトップクラスの仲間入りを果たしたのです。オーケストラの水準を高めることは、即ちレパートリーの拡大や表現の柔軟性など、オペラに必要な“武器”をもつことに等しいといえます。実際に、メータ就任から現在までに、フィレンツェ歌劇場の上演レパートリーは一挙に広がっています。そして、そのいずれもが、目を見張る出来栄えで、世界の期待に応えてきました。こうした成果を生み出してきた背景には、フィレンツェ歌劇場では、世界中のどこのオペラハウスでも実現不可能なほどに上演準備の時間がかけられることがあります。音楽的にだけではなく、人間的にも緻密なアンサンブルを練り上げていくことを可能にする、この劇場側の姿勢は、メータの信条と一致しています。指揮者も歌手も、世界中を忙しく飛び回らなければならない現在、彼らの多くは、時間と芸術水準の間で自問自答や葛藤を余儀なくされているのです。
 すでに40年余のオペラ指揮者としてのキャリアをもつメータの、作品への敬愛と音楽づくりへの情熱が満たされる場、それがフィレンツェ歌劇場なのです。


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