パリ・オペラ座バレエ学校

 パリ・オペラ座バレエ学校の創設は1713年。パリ・オペラ座バレエ団の起源となる王立音楽アカデミーを創設(1661)した、フランス国王ルイ14世の命により、職業舞踊手育成が目的とされた。宮廷文化の華としてオペラと共に育まれたバレエは、ピエール・ボーシャンが考案した「5つのポジション」によって基礎技術を確立。宮廷から劇場へと場を移して発展するにつれ、プロの素養と技術を備えた専門家の育成が要請されたのである。

 18世紀後半から19世紀初頭にはパリ・オペラ座バレエ団の団員を育成するという目的も明確化され、独自の教育システムが整備された。こうして、「ラ・シルフィード」や「ジゼル」などの名作を生み出すロマンティック・バレエの時代が到来する。バレエ学校では、天才舞踊手として名高いオーギュスト・ヴェストリスや、名花として一世を風靡したマリ・タリオーニが教鞭をとり、豊かな芸術を後進に伝えていった。そして1876年、バレエ学校は前年に竣工したガルニエ宮(パリ・オペラ座)に統合されることになる。

 20世紀後半には、ダンス教育と一般教育を統合した、芸術家としての総合教育が目指され、1973年にクロード・ベッシーが校長に就任すると大幅な改革が実施された。20世紀の多様化したバレエに即して教育カリキュラムは多彩になった。また1987年にはパリ郊外のナンテールに寮施設を併設する広大な敷地を獲得して、最高の教育環境が準備された。ベッシー校長の下からは、ルディエール、プラテル、P.デュポン、ゲラン、イレール、ルグリ、モーラン、ピエトラガラ、ギエムなど、後に“ヌレエフ世代”と呼ばれる綺羅星の如き才能が巣立っていった。

 2004年、ヌレエフ世代の中でも品格ある演技で揺るぎないトップの座を誇ったエリザベット・プラテルが校長に就任。ベッシー時代の水準を保ちながら新しい時代を築きつつある。




to English Site

NBSについて | プライバシー・ポリシー | お問い合わせ