イタリア・オペラの殿堂によるヴェルディ・オペラの神髄 ミラノ・スカラ座 TEATRO ALLA SCALA 2009年日本公演
イントロダクション 「アイーダ」 「ドン・カルロ」 最新情報 来日特別演奏会 公演概要

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ミラノ・スカラ座2009年日本公演通算100回のレポートがクラシカ・ジャパンで下記のとおり放送されます。


◆クラシカ・ジャパン(スカパー! 各CATV局)

番組名:クラシカ・ラウンジ #81
コーナー名:クラシカ・トピックス「ミラノ・スカラ座日本公演通算100回」
初回放送:11月1日(日) 19:30~
放送期間:11月1日(日)~11月7日(土)

詳細は、こちらでご確認ください。

本日行われた記者会見の模様が、下記のサイトに掲載されています。

◆MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/music/090903/msc0909031656003-n1.htm

◆YAHOO! ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090903-00000005-pia-ent

ミラノ・スカラ座「アイーダ」を指揮するバレンボイムとパレスチナ人思想家エドワード・サイードの発案で、対立するイスラエルとアラブ諸国の若い音楽家たちが共に演奏するオーケストラ"ウエスト・イースタン・デヴァインオーケストラ"演奏会がNHK「芸術劇場」で放映されます。

□番組名:NHK「芸術劇場」(NHK教育テレビ)

□放送日:2009年4月3日(金)22:30-24:45 NHK教育

□放送内容
情報コーナー「バレンボイム 平和への祈り」
公演コーナー「バレンボイム指揮 ウエスト・イースタン・デヴァインオーケストラ演奏会」

昨年12月7日、ミラノ・スカラ座2008/2009シーズンの幕開けを飾った、ダニエレ・ガッティ指揮『ドン・カルロ』。田口道子さんのレポートでもこのプレミエの模様をお伝えしましたが、このたび各新聞批評がミラノ・スカラ座から届きましたので、ご一読ください。


『フィナンシャル・タイムズ』 アンドリュー・クラーク

『ドン・カルロ』は、かなり充実したできばえだった。その健闘ぶりの背景には、スカラ座とこのオペラの特別な関係がある。なぜなら、元々は1867年のパリで5幕物のオペラとして上演されたこの作品を、ヴェルディはここスカラ座で、4幕形式のイタリア語版に書き換えたからである。スカラ座でのオープニングは長大なセレモニーと化し、4時間30分という長丁場の一夜となった。しかし、舞台の工夫がみごとだったので、時はまたたくまに過ぎていった。今回の成功の立役者として真っ先に挙げられるのは、ダニエレ・ガッティである。そのゆったりとしたテンポは、常に「レガート・カンタービレ」。しかし、無理な作為は微塵もなく、絶妙にコントロールされており、ヴェルディの器楽部分の美しさと歌唱のしなやかさを浮き彫りにした。それは随所に発揮され、なかでも、人生と愛への別れを歌いあげるドン・カルロとエリザベッタのフィナーレの二重唱は白眉となった。エクサン・プロヴァンスやザルツブルク音楽祭でサイモン・ラトルとともにワーグナーの《指環》を手がけているフランス人演出家、シュテファン・ブラウンシュヴァイクが果たした功績も大きい。ブラウンシュヴァイクは、スカラ座が歌の劇場であることをよく心得ており、その演出は、ティボー・ファン・クローネンブロックがデザインしたルネサンス期スペイン風の僧衣や上衣とともに、歌うという行為を何よりも優先させるものとなった。しかし、ブラウンシュヴァイクは、ヴェルディのオペラの元となったシラーの戯曲に対しても、きわめて深い洞察を示した。‥‥異端者火刑の場面は異様なまでの迫力で、大勢の登場人物からなるフレスコ画ではなく、個人のドラマが描き出され、フィリッポ2世に対する私刑に立ち会っているかのようだった。  
スチュアート・ニールのカルロは――力強く、明晰かつ繊細――大きな驚きだった。ダリボール・イェニスは満足すべきロドリーゴ像を作りあげた。アナトリー・コチェルガは、冷徹無比の宗教裁判長。フィオレンツァ・チェドリンスは控えめなエリザベッタで、歌いあげる箇所よりもピアニッシモにおいてその力量を発揮した。代わってプリマドンナの役割を担ったのがドローラ・ザージック。公演は成功のうちに終わった。

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『ジョルノ』 エルヴィオ・ジュディチ
ますます評価を高めるスカラ座での『ドン・カルロ』公演‥‥ダニエレ・ガッティの指揮もまた、明暗のコントラストをますます強め、音楽としてもドラマとしても深い内容に裏打ちされた無限のディテールに彩られたものとなった。それとぴったり調和していたのが、本物の演出によって作られた舞台、すなわち、単なるイメージではなく、登場人物たちの内面世界を照らし出すことに腐心した舞台作りである。‥‥音楽も舞台も――オペラ作品である以上、当然といえば当然だが――キャストに焦点が集められた。ますますはっきりしてきたのは、スチュアート・ニールの実力のほど‥‥当初はもちろん慎重さが目立ったが、その後は充実した安定感と力強さにあふれていた。つややかな美声が、明暗のコントラストに一層の磨きをかけ、それによって、興味深くも多面的な役柄を表現するのに成功した。異端者の火刑の場では、切り裂くような鮮烈なB音をいともやすやすと歌いこなした。つづいて秀逸だったのが、ミカエラ・カロージのエリザベッタ。ゆたかな声量、魅力的な陰影に富む中・低音域、響きわたる高音域は、宙に薄く漂うのも、包みこむのも思いのまま。それはアポッジョや呼吸の卓越したコントロール技術のたまものである。スケールゆたかな声量とすばらしい声質、それに、言うにおよばず、洗練されたそのフレージングや演技において、アンナ・スミルノヴァはファーストキャストのエボリを圧倒した。‥‥嬉しい驚きだったのが、バリトンのトーマス・ヨハネス・マイヤー。声量よりも美声に優るマイヤーの、牢獄の場面でのたぐいまれな繊細さは心に深く響いた。


『イル・ガッゼッティーノ』 マリオ・メッシニス

ダニエレ・ガッティは、フィリッポ2世の苦悩や、このオペラの政治的駆け引きと激情の場面だけをことさらクローズアップするのではなく、ストーリーのいくつもの流れの間に完璧なバランスを作りあげる。それによって、ドラマチックな緊張を直截な洞察力で掘り下げると同時に、哀切きわまりない数々の場面を、登場人物たちの不安に打ち震える内面を、ドン・カルロとエリザベッタの品位に満ちた悲嘆を浮き彫りにする。器楽パートを綿密に分析したガッティは、ヴェルディ音楽とオーストリア=ドイツ文化との間の――あからさまではないが、地下水脈のように流れている――近親性を強調する。管弦楽による荘厳な表現が、隅々にまで神経が行き渡ったフレージングの繊細さと共存する。‥‥それは独創的かつ啓発に満ちたテクスト解釈といえる。あらゆるパートにわたってこれほど透明かつコンパクトな音楽をスカラ座管弦楽団から聴いたのは稀にみる経験である。オーケストラは、さまざまな音域が均質にほどよく溶け合い、まるで中央ヨーロッパのような音を奏でた。

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『イル・ソーレ24オーレ』 カルラ・モレーニ

観客は‥‥『ドン・カルロ』を観るために――ただそれを観るためだけに!――スカラ座に足をはこんだ。音楽のためだけに訪れた観客は、知性を全開にし、感動に身を任せながら、みずからの五感を通じて体験した。
指揮台に立つガッティの卓越した統率力の功績。緊迫したテンポ、安易な迎合は一切なく、反対に、細部までコントロールを効かせ、オーケストラをこれでもかとばかりに駆り立てる。そこに奏でられる音楽はこよなく美しく、特に独奏の部分は、洗練されたテイストと繊細な分節法によって引き立てられる。ガッティのこのスカラ座のヴェルディこそは、ムーティ、アッバード、そしてその前の時代の最良の伝統を汲みあげるものである。毅然として伝統をよみがえらせるガッティの腕は、舞台に完璧に映し出され、このオペラについての苦い直観によってさらに磨き上げられる。たとえば、宮廷の軽やかな情景が、異端者の火刑の場と対比される。あちらでは死に向かい、こちらでは祝祭へと急ぐ。スカラ座に音楽監督が必要だとするなら、ここにその監督がいる。

『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』 ジョージ・ルーミス
ブラウンシュヴァイクがエクサン・プロヴァンスやザルツブルクで手がけているワーグナーの《指環》の制作に対しては賛否両論が入り乱れたが、今回のスカラ座での制作は、元々の規模に立ち返った注目すべきものであり、伝統的な舞台演出のもつメリットが生かされている。
ブラウンシュヴァイクのアプローチは、このオペラが今回のような形――つまり、ヴェルディがミラノの上演に際して改訂した4幕版――で上演されたとき、特別な意味をもつ。そこではフォンテヌブローの森の場面が省かれるが、あざやかな記憶として残される。

2月15日(日)の日本経済新聞にミラノ・スカラ座2009年日本公演の特集記事が掲載されました。
「アイーダ」、「ドン・カルロ」の作品解説、「ドン・カルロ」を指揮するダニエレ・ガッティ、「ドン・カルロ」でエリザベッタ役を演じるバルバラ・フリットリのインタビュー、ミラノ・スカラ座の衣裳工房レポートなどが掲載されています。

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