ミラノ・スカラ座 2013年日本公演

ダニエル・ハーディングにとってミラノ・スカラ座における定期的指揮活動は、 すでに8年にも及び、「我が家のように感じる場所」なのだという。 一方、コンサート指揮者としても、若い音楽ファンの間では大変人気が高い。 たとえばミュージック・パートナーを務める新日本フィルハーモニー交響楽団との演奏活動は、 ハーディングにとっても思い入れの深い大切なものであり、 いまや東京の音楽シーンのかけがえのない一部にもなっている。 今回は、去る6月、同楽団とのマーラーのリハーサル (全曲演奏は?と聞くと満更でもない反応だった)を終えたばかりの ハーディングの楽屋にて、ミラノ・スカラ座日本公演演目となる 『ファルスタッフ』について話をうかがった。

――『ファルスタッフ』はヴェルディの人生最後のオペラであり、この作曲家の悲劇性に親しんだ聴き手にとっても、大きな目標たりうる喜劇ですね?

ハーディング:ええ。晩年のヴェルディはイタリアであれだけ尊敬されていたにもかかわらず、長いこと「喜劇が書けない」と言われていました。あの壮大な悲劇の『オテロ』を書いた後で、ヴェルディはボーイトと秘密のディスカッションをやって、「悲劇以外のものができるということを見せてやろう」ということで『ファルスタッフ』を作ったのです。79歳のことでした。それは盆栽のように完璧であり、競走馬のように無駄なものがそぎ落とされた喜劇だったのです。

――『ファルスタッフ』のどこに天才を感じますか?

ハーディング:イタリアのオペラの常識をすべて破ったところですね。オペラを違うレヴェルに引き上げた。彼はまったく新しい旅立ちをしたといってもいいでしょう。喜劇とは“タイミング”が大事なのです。次から次へと面白いことが軽快に起きていく、それでいてすべてが完全にコントロール下におかれている、完璧な機械のように動いていくものです。
 これに対して、バロック時代以来のイタリア・オペラは、「私は彼を愛している、彼は私を愛していない…」というのを、何分間も長々と歌い続けるのがパターンです。ワーグナーは初めてそれを否定しましたが、イタリア・オペラでそれを初めて本格的にやったのはヴェルディの『ファルスタッフ』でしょう。
 『ファルスタッフ』は、本当の意味でのドラマ性の高いオペラであり、5分間くらいアリアを長々と歌ってもいいようなところでも、たとえば12小節(!)で終わらせている。これこそ、次から次へとめまぐるしく物事が起きていくコメディの手法をきちんと踏襲しているからなのです。
 第3幕で初めて若い恋人たちの歌らしい歌がありますが、これは主人公のアリアではないのです。そういった意味では、アクションとコメディが散々続いたなかで、純粋で若い二人の歌が歌われるのは、本当に美しくて最高な瞬間です。そういったつくりは、いままでのオペラではありえなかった。

――最後の「世の中(人生)すべて冗談」のシーンについては?

ハーディング:自分自身の死を目前に迎えたヴェルディが聴衆に訴えたかったことが、まさに前面に出ているんだと思います。
 いろんな嫌なことが起きるのが人生です。しかし、本当に素晴らしいことは、「おたがいがこうして在る」ということなのです。敵と戦ったり、喧嘩をしたり、いろんなことがあっても、「我々人間なんて結局はみんな馬鹿者である」と。「ちっぽけな存在である」と。だから、楽しく飲んで、歌って、結婚して、みんなで集おうじゃないかと。人生なんてあっという間のものなのだから。「どんなに苦しいことがあっても、他者という存在がいるのだから、それを大切にしようじゃないか」と。
 それをヴェルディは聴衆に訴えたかったし、自分自身の人生の最後に、そう考えたのだと思います。

――素晴らしい解釈ですね。

ハーディング:台本を作ったボーイトがヴェルディとやった共同作業は、かつてダ・ポンテがモーツァルトと行ったことに匹敵する最高の組み合わせです。ボーイトは、文学的な観点からいっても素晴らしい台本作家だったと思います。彼が書いている言葉には全部ウラの意味があって、一見外側は美しい言葉であっても、裏でクスクスと笑うような、男女のゲームが繰り広げられているのです。
 すべての登場人物たちが、だまし合い、化かし合っているかもしれないけど、ひどい人たちではないと思います。やめられない悪いことをついやっちゃうという感じ。生命に満ち溢れている人たちですね。学校を思い出してみてください。椅子を引いてからかったり、頭から水をかけてふざけたり、やりますよね? あれの範疇に入っているものですよ。
 子ども時代の子どもっぽさを覚えているというのはある意味大事なことだと思うんです。だけど、年寄りは黙って引っ込んでいろ、我々若い者がうまくやるんだみたいな風潮って、どこでも起きかねないじゃないですか。そうじゃないんです。年老いた人の眼の中にも、喜びやユーモアや眼識があって、「人生とはこんなにも短く、過去もすぐに終わってしまう、だから深刻になりすぎてどうするんだい?」と問いかけてくる。そういう達観したものの考え方がここにはあります。

――なるほど。

ハーディング:これはイギリス的な考え方でもあります。シェイクスピアの作品にはそれがよく出てくるんですよ。みんな自分のことをよっぽど「何様」と思い込んでいるんだ?と。相手を馬鹿にするのではなくて、自分も馬鹿なのだと気づくことです。みんながそれに気づけば、全員が相手を馬鹿だと思っているということは、全員が馬鹿であるということがわかる(微笑)。
 『ファルスタッフ』は、80歳の達観した大人になったヴェルディによる、“人生のレッスン”なのです。

          

ミラノ・スカラ座2013年日本公演
「ファルスタッフ」

会場:東京文化会館

2013年
9月4日(水) 6:30p.m / 9月6日(金) 6:30p.m / 9月8日(日) 3:00p.m. /
9月12日(木) 3:00p.m. / 9月14日(土) 3:00p.m.

指揮:ダニエル・ハーディング
演出:ロバート・カーセン

【予定される主な配役】
サー・ジョン・ファルスタッフ:アンブロージョ・マエストリ
フォード:ファビオ・カピタヌッチ (9/4,8,14)、マッシモ・カヴァレッティ (9/6,12)
フェントン:アントニオ・ポーリ
アリーチェ:バルバラ・フリットリ
ナンネッタ:イリーナ・ルング
クイックリー夫人:ダニエラ・バルチェッローナ

入場料[税込]
S=¥62,000 A=¥55,000 B=¥48,000 C=¥38,000 D=¥29,000

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