東京バレエ団が誕生したのは、1964年8月30日。戦後復興の象徴的イベントとして日本中が沸いた、あの東京オリンピックを約1カ月後に控えた夏でした。
 ソ連文化省から派遣されたバレエ教師たちを迎えて開設された、日本最初の専門的バレエ教育機関、「東京バレエ学校」が4年の活動の後に経済的に破綻し、周囲からその継承を望まれた当時31歳の舞台監督、佐々木忠次が、“プロフェッショナルなバレエ団”として立て直すことを条件に創設しました。東京バレエ学校はのちに日本バレエ史の礎をなした錚々たる顔ぶれを育て上げ、全幕バレエの上演など黎明期に確たる実績をあげており、東京バレエ団はその人材面とレパートリー、楽譜や衣裳、大小道具などを継承して出発したのです。
 その頃、すでに世界有数の歌劇場やバレエ団の招聘事業に参加し、実際に欧州やソ連のバレエ団を見て回った佐々木の目標は、当初から“世界レベル”でした。
 旗揚げ公演は「白鳥の湖」。つづいてバレエ学校時代に創作された「まりも」(音楽:石井歓、振付:A.ワルラーモフ、S.メッセレル)。そして、まだ日本にオーケストラ用の完全な楽譜がなく、その準備から始まった「ジゼル」初演。公演は順調に成功し、3年目の1966年には早くも第1次海外公演を、それも本場のソ連で1カ月にわたって実施するに至ったのです。
 この海外公演の成果によりソ連文化省から“チャイコフスキー記念”の冠称を許された東京バレエ団は、1968年にはマイヤ・プリセツカヤを招聘して「白鳥の湖」を、ソ連バレエの象徴的存在であるガリーナ・ウラーノワを指導に招いてブラッシュアップした「ジゼル」を上演し、大作「眠れる森の美女」を初演するという大車輪の活躍でした。
 そして1970年の第2次海外公演では、ソ連で1カ月公演をこなした後に、欧州に進出。「シンデレラ」「まりも」の全幕、「レ・シルフィード」を含むミックス・プロでローザンヌ、ジュネーヴ、パリ、ルクセンブルク、フランクフルトなどを巡演し、とくにパリでは〈第8回パリ国際ダンスフェスティバル〉で金賞を受賞して大きな注目を浴びました。このパリ公演をきっかけに、モーリス・ベジャールやピエール・ラコットとの親交が実現してゆくのです。

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