2013 年はイタリア・オペラを代表する作曲家ジュゼッペ・ヴェルディの生誕200 年にあたります。この記念の年に、イタリア・オペラの“総本山” にして、“ヴェルディの劇場” と異名をもつミラノ・スカラ座の公演を、日本に居ながらにして楽しめる!! 日本のオペラ・ファンにとってはこのうえない喜びの機会といえるでしょう。
 1813 年、北イタリアの小都市ブッセートに生まれたヴェルディは、わずか26 歳にしてスカラ座での処女作『オベルト』で成功をおさめました。オペラ作曲家としての名をスタートさせたヴェルディですが、続く2 作目では大失敗を喫し、オペラ作曲を断念しようとまで考えます。しかし、そこでヴェルディの才能と将来を確実にキャッチしたのが、ほかでもない、ミラノ・スカラ座支配人メレッリでした。オペラの失敗だけでなく、プライベートでも不幸な出来事に見舞われて落ち込むヴェルディは、メレッリから無理矢理台本を渡しされるのです。こうして誕生した『ナブッコ』は、有名な合唱“行け、わが想いよ金色の翼に乗って” とともに、イタリア人たちに熱狂的に迎えられました。ヴェルディはこのとき、イタリア人の心にとりつく偉大な作曲家となったのです。
 もっとも、ヴェルディは、6 作目『二人のフォスカリ』の上演を境に、スカラ座と縁を切ってしまいます。『オテロ』初演の1887 年まで、およそ42 年、ヴェルディはスカラ座のための新作を書かなかったばかりか、公式にミラノに足を踏み入れることさえしなかったと言われます。
 ではなぜ、このような絶縁関係があったにも関わらず、ミラノ・スカラ座が世界に認められる“ヴェルディの劇場” と呼ばれることになったのでしょう? それは、作曲家としてのキャリアを重ねるなかで深まるヴェルディの音楽を、正しく演奏するためのハイ・クォリティなオーケストラと指揮者が求められたことに結びつきます。ヴェルディが生きた19 世紀後半、ミラノ・スカラ座は世界でもトップクラスの歌劇場に成長していたのです。ミラノ・スカラ座の力が自作の上演に大きな力をもつことは、ヴェルディ自身も認めたものでした。だからこそ、パリで初演された『シチリア島の夕べの祈り』(イタリア語版)、ペテルブルクで初演された『運命の力』(改訂版)、パリで初演された『ドン・カルロ』(イタリア語4 幕版)など、イタリア国外で発表された重要な作品のイタリア初演をスカラ座に委ねたのです。
 ヴェルディの求めるものを最大に表すことができる力を備えた歌劇場、これこそが、スカラ座が“ヴェルディの劇場” の異名の原点といえるでしょう。
 ヴェルディが生きた時代から現代まで、ミラノ・スカラ座は多くの転換点を経てきました。古くはトスカニーニによる“楽譜原点主義”、カラスやデル・モナコをはじめとする名歌手の出現による“歌手のオペラ” の時代、さらにその後はベルカント・オペラ、バロック・オペラなど、レパートリー拡大の潮流といったように。
 ヴェルディ生誕200 年の節目を迎える2013 年。古い伝統を守るだけではなく、時代のなかで生き続ける「ヴェルディのオペラ」のためにスカラ座が選択したのは、新時代を担う俊英指揮者とのコラボレーションです。ダニエル・ハーディングも、グスターボ・ドゥダメルもイタリア人ではありませんが、だからこそ、ミラノ・スカラ座は二人の新鮮な情熱が注ぎ込まれる“熱いヴェルディ” を生み出せると確信しているのです。
 2013 年秋、ミラノ・スカラ座にとって、特別な年の特別なヴェルディが、日本のオペラ・ファンに届けられます。