ローマ歌劇場 2014年日本公演

 2012年11月26日、ローマ歌劇場のシーズン・オープニングの前日にマエストロ・ムーティが初日を飾る『シモン・ボッカネグラ』のレクチャーをなさるというので、心を弾ませて、ローマ大学の講堂へ出かけた。マエストロは最近、ご自身のピアノ弾き語りでオペラの解説をし、少しでも多くの観客に上演作品の内容を理解してもらう試みをしておられる。同年5月には『アッティラ』のレクチャーもこのローマ大学講堂で行われた。
 会場は学生ばかりでなく一般のオペラ・ファンも詰めかけて、満員の状態だった。
 マエストロが登場するやいなやピアノで『シモン・ボッカネグラ』の序曲を弾いて始まったレクチャーは大変興味深く、観客はマエストロのピアノの弾き語りと楽しいお話にすっかり時間の経つのを忘れて熱心に耳を傾けていた。  レクチャーは前半と後半の二部構成で、間にフィエスコ役のバス歌手とアメーリア役のソプラノ歌手のアリアがマエストロのピアノ伴奏で演奏された。  まず最初に、『シモン・ボッカネグラ』に対するマエストロの考えから話が始まった。
「『シモン・ボッカネグラ』はヴェルディの作品の中でもあまり上演されない、印象の薄いオペラだと思われがちですが、決してそうではありません。むしろ傑作中の傑作であるといえると思います。確かにこの作品を発表する前にあまりにも有名な三作『リゴレット』、『イル・トロヴァトーレ』、『椿姫』の大成功があったので、人々のヴェルディの新作に対する期待は並々のものではなかったし、家に帰ってからも自然に口ずさむような耳に残るメロディーがなかったことも事実で、ヴェルディ自身も劇的効果に乏しい悲しい物語だとの自覚があったでしょう。しかし、初演から20年以上経った後に、ボーイトが台本を書き直した改訂版は大成功を収めました。以後は、この改訂版で上演されることになったのです」
ヴェルディの中後期に生まれて、後期に改定されたこの作品は「ヴェルディを熟知してからでないと演奏できない」と思っていらしたマエストロが今まで温めていた作品で、今回初めて指揮するとのことだった。
「『シモン・ボッカネグラ』にはヴェルディの人生の悲しい出来事が重ねられています。シモンは最愛の妻を亡くし、フィエスコは最愛の娘を亡くしていますが、ヴェルディ自身も最愛の妻と娘を一度に失っているのです。プロローグと3幕から成るこの物語は、かなり難解な作品なので、今回の上演ではあえて字幕をつけることにしました」。マエストロは字幕には反対というこだわりがある方で、スカラ座が日本公演をした時も字幕をつけることは許可してくださらなかった思い出がある。「オペラは芸術文化なので鑑賞の準備をして劇場に向かうべきだと思います。1800年代にサンクトペテルブルクでイタリア・オペラが上演されても字幕は無かったし、イタリアでフルトヴェングラーがワーグナーの大作を演奏した時も字幕なしに観客は理解しました」と例を挙げ、「字幕があると観客が舞台よりも字幕のほうに目を向けてしまいがちです。せっかく演出家が手の動きなど細かく演技指導したにもかかわらず、その動きを誰も見ていなかったということになってしまったことがあります」と笑わせた。そして、いかにヴェルディがイタリアの音楽文化を大切にしていたかを表わす、1883年に友人であり弁護士であったピローリに宛てた手紙も紹介した。その手紙には当時ドイツ音楽がイタリアにも蔓延していることに触れ、イタリアはイタリア音楽をもっと大切にしなくてはならないと訴えている。
 ここで、『シモン・ボッカネグラ』から2曲のアリアが演奏され、いよいよマエストロのオペラ解説が始まった。この後半はほとんどピアノの弾き語りだったが、何といっても一番興味深かったのは初版と改訂版の序曲の比較を聞かせてくださったことだ。まずは今日通常演奏されている改訂版の序曲で、「このテーマは穏やかな海の情景を思わせる、まるでシューマンのピアノ曲のようです」とおっしゃりながら演奏した。それから初版の序曲を弾いてくださったが、ほとんどの人が初めて聞いたのではないだろうか。あまりにも改訂版との違いに驚いたが、この序曲のメロディーは改訂版でもフィエスコのアリアやアメーリアとシモンの二重唱に反映されている。「物語は14世紀、中世の海の町ジェノヴァが舞台になっていることから、海の存在が重要な位置を占めています。ヴェルディの音楽には次のドビュッシーなど印象派の前触れが感じられ、改訂版は次の作品『オテロ』を思わせる作風になっています。物語は暗く悲しい題材ですが、対照的に優しさあふれるアメーリアの存在があります」とアメーリアのアリアの前奏を弾き、アメーリアとガブリエーレの二重唱、アメーリアとシモンの二重唱そしてフィナーレを弾きながら歌って、いかに言葉と音楽が深く繋がっているかを教えてくださった。レクチャーに参加してオペラ鑑賞が益々楽しみになって帰路についた。ローマ歌劇場の『シモン・ボッカネグラ』公演は全公演完売だった。

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