新『起承転々』〜漂流篇VOL.9 東敦子の蝶々さん

東敦子の蝶々さん

 世界を股にかけて活躍したソプラノの東敦子が亡くなったのは1999年の12月25日の未明のことだった。敬虔なカトリックの信者であった東さんは、キリスト生誕2000年祭の幕開けを飾るサン・ピエトロ寺院の聖なる門が開くのを待っていたかのように帰天した。
 東さんはミラノに居を構え、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場、ウィーン国立歌劇場、ベルリン・ドイツ・オペラ、ブエノスアイレスのテアトロ・コロン、モスクワのボリショイ劇場をはじめ、20を超える国の90に及ぶ歌劇場で、プリマドンナとして活躍した。1978年に活動の拠点を日本に移すと、なぜか私がマネージャーをつとめることになった。NBSの創立者である佐々木忠次が東さんと親しくしていて、彼女が日本に居を移し、日本でも活動することになったことを契機に、東さんが佐々木にマネージャーを頼んだのだ。佐々木はしばらくするとそれに飽きてしまったのか、「お前やれ」の一言で、私にその役が回ってきた。当時私は20代半ばだったが、それから東さんが病院で亡くなる前日まで、その時々によって多少距離感は変わったものの、つかず離れずの関係が続いた。
 佐々木もそうだが東さんも個性が強かった。「私はプリマドンナよ」という強烈な矜持があって、若かった私は面食らうことがたびたびだった。佐々木が昨年4月に亡くなった際、不世出の名バレリーナ、シルヴィ・ギエムは「私の人生を変えたササキさん。あなたは私の建築家だった」と語ったが、その顰みに倣えば、私にとって佐々木忠次と東敦子の二人は、「私の建築家だった」と言えるかもしれない。
 その二人が一緒に一つの舞台を創ったことがあった。1973年の4月のこと。佐々木が東敦子主演の『蝶々夫人』をプロデュースしたのだ。私はその舞台を観ていないが、その時の話は佐々木から何度か聞いていた。東さんは20数か国で500回以上、『蝶々夫人』に主演し高い評価を得ていたが、それまで日本の舞台に出演する機会がなかった。そこで、佐々木が東さんの蝶々さんの素晴らしさを日本の観客に紹介しようと制作に乗り出したのだ。指揮者にはプッチーニを振らせては当代随一と言われたアルジェオ・クワドリ、演出は海外でも活躍していた青山圭男氏に依頼、それぞれの役にふさわしいソリストを揃えた。オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団、コーラスは二期会合唱団だった。その公演のプログラム誌がじつに凝ったもので、和綴じに見立てた体裁で、いまでは考えられないが、プログラムの扉ページに本物の蝶を一頭ずつ和紙に埋め込んであった。和文に加えイタリア語など欧文の記事も掲載されており、とてもうまく編集されていたが、それは音楽評論家の黒田恭一氏の手になるものだった。私はその凝りに凝ったプログラムを見て、きっと公演そのものも凝ったものだったに違いないと思いを馳せたものだ。佐々木といえばミラノ・スカラ座やウィーン国立歌劇場など次々にオペラの引っ越し公演を実現した人というイメージが強いかもしれないが、若いころは国内オペラ団の制作に数多く携わっていた。この『蝶々夫人』を制作した翌年には、バイエルン国立歌劇場をカルロス・クライバーとともに初めて招聘した。それを皮切りに、本格的にオペラの引っ越し公演を手がけるようになる。
 今年の5月、東さんの愛娘、二田原阿里沙さんから久々に手紙が届いた。44年前にNHKが放送したあの『蝶々夫人』の映像が見つかったので、一度観てほしいとのことだった。私としては誰からもNHKが収録したことも、テレビ放送されたことも聞いたことがなかったので、びっくり仰天だった。その後、試写の場で観させてもらった映像は、私の想像を超えるもので、まさに絶頂期の東さんがそこにいた。演奏の水準は高く、NHKが放送したものだから画質もいい。東さんの弟子の照屋江美子さんが、東さんへの恩返しのつもりでDVD化したいとの意向をもっており、すでにその準備にとりかかっておられた。照屋さんからNBSに発行元になって欲しいと頼まれた。佐々木が制作し、東敦子が主演した『蝶々夫人』のDVDの発行元だから喜んで引き受けることにしたが、DVDの製作資金の捻出をはじめ、完成にこぎつけるまでの労はほとんどすべて照屋さんが負ってくれたものである。私も東さんには恩義を感じているだけに、この映像が日の目をみることになったことが嬉しく、照屋さんをはじめご尽力いただいた方々に感謝したい。
 このDVDは東さんの18回目の命日に合わせ、12月25日に発売される。44年ぶりに東敦子の蝶々さんが蘇る。青山圭男氏は「日本をイタリアに近寄せ乍ら猶且つ日本人が抵抗なく受け入れられる蝶々夫人をつくる」と演出意図をプログラム誌に書かかれているが、当時の覇気にあふれた熱気が伝わってくる。あのころ舞台芸術の世界に満ちあふれた若々しい情熱とエネルギーは、いったい、どこに行ってしまったのかと思うのは、私だけだろうか。一人でも多くのオペラ愛好家にこの『蝶々夫人』の映像を観ていただくことで、あのころの「時代の熱気」を感じてもらいたい。そして、あのころ創る側も観る側も抱いていた熱い思いが蘇ってほしいと願っている。