『M』はMishimaのMである。三島由紀夫自身、亡くなる直前に「矛盾に満ちた45年」と振り返っているが、たしかに華やかであるが紆余曲折に富んでいる。小説家であり劇作家であった三島は、自らの人生そのものも一つの作品として創り上げないではいられなかったようだ。この『M』においても、三島の人生と作品が渾然と一体になって、一つの作品になっている。

ベジャールは『忠臣蔵』をモティーフにした『ザ・カブキ』では、文字通り歌舞伎から多くのアイディアを得ているが、この『M』が能の影響を受けていることにも、観客はすぐにお気づきになるであろう。ベジャールは三島をバレエで表現するにあたって、次の<キーパーソン>を登場させている。

<キーパーソン>
少年: 少年時代の三島であるとともに、全編にわたって活躍する。ベジャールは「天才はいつも子供の心を持っている」というが、その象徴でもある
イチ、ニ、サン、シ: 三島の分身。4人で三島を表すが、なかでも「シ」は「死」でもあり、狂言回しとして随所に顔を出し、次第に三島を死に導いていく。
聖セバスチャン: エロティックであるとともに、完全なる純粋性を備えた三島の理想のシンボル。

幕開きは波の音、潮騒で始まる。『M』の構想はベジャールがギリシャの海の船上で、一人だけで3週間過ごした時に生まれたが、海は三島にとっても特別な意味を持っていて、海へのあこがれはライト・モチーフのように三島の終生を貫いている。真昼の海に、老女に手を引かれ学習院初等科の制服を着た少年が現れる・少年時代の三島だ。三島は祖母・夏子に溺愛され、彼女の影響を強く受けた。少年は飛び跳ねながら、「イチ、ニ、サン」と大声で叫ぶ。その言葉を受けて、老女が着物を脱ぎ捨てながら「シ」と続ける。「シ」が姿を現す。このあと、海の女たちによって童謡が歌われるなか、「シ」によるマジックのシーンがある。

少年は「シ」に引っ張られるように文机に向かう。

「シ」は祖母であり、三島は文学好きの祖母により古典の手ほどきを受ける。「イチ」「ニ」「サン」の登場。それに「シ」も加わるが、三島は『鏡子の家』において、自分自身を4人の登場人物に分けて描いたとされるが、ここではベジャールはそれに倣っている。4人が三島の分身なのである。「海上の月」が登場するが、それは母・倭文重のイメージにほかならない。

いつのまにか「海上の月」の膝枕で寝ていた少年は、「海上の月」に手を引かれて机の前から立ち上がり、舞台をめぐる。

着物に袴姿の男が静かに舞台に現れる。弓道の所作にのっとって、矢を射る。同時に舞台中央の的が戸板返しになり、ファンファーレの鳴り響くなか、聖セバスチャンが登場する。

三島は聖セバスチャンに憑かれていた。その青年美といい、異教性、官能性、退廃という点でも、三島の“美の規範”に合致していたようだ。

舞台上方には大きな円形の鏡が現れ、ソロを踊る聖セバスチャンを映し出す。

鏡は三島自身をも映し出すことになる。三島の分身は、一人で、または4人が重なり合ったり離れたりしながら三島の代表作をイメージさせるタブローを次々に繰り広げる。

『禁色』
『午後の曳航』
『鹿鳴館』
『鏡子の家』

三島は創作活動の一方で、貧弱だった肉体を鍛えることに熱心になり、ボディビルや剣道、ボクシングに励む。

そして三島文学の頂点であり、三島美学の象徴とも言える作品に到達する。

『金閣寺』

この後、聖セバスチャンのソロが踊られる。セバスチャンは三島の理想を体現するものであり、文学において三島が目指したものにようやく手が届いたのだ。

聖セバスチャンが舞台に倒れこむと同時に、背景幕が振り落とされ、それがプラスティックの海のように広がって、舞台全面を覆う。そこで今度聖セバスチャンは、苦悶にみちたソロを踊る。

『豊穣の海』

この作品は、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の4部からなる輪廻転生の物語であるが、小説家・三島の遺書でもある。豊穣の海とは月面の中央に見える広い平野に与えられた名称であるが、豊穣とは名ばかりで、そこは生命も水も空気もない一種の砂漠である。このタイトルには、次第に三島の心を覆ってきた宇宙的なニヒリズムが象徴的に表されている。

行動は肉体の芸術である。肉体が完成されると、三島はどんどん行動的になる。『葉隠入門』や『文化防衛論』『行動学入門』などの啓蒙的な書を著し、自衛隊への体験入学をたびたび行なう。やがて、プライベートな軍隊「楯の会」をつくり、その隊員とともに自衛隊で訓練をつむ。

楯の会の制服を着た男たちが登場。

1970年11月25日、三島は楯の会の隊員を率いて陸上自衛隊市谷駐屯地の総監を訪ね、当初の計画どおり総監を縛り上げ、自衛隊の決起をうながすが果たせず、「天皇陛下万歳」と叫んで割腹自殺を遂げる。三島はこの日本で一番長く続いている天皇家、すなわち「天皇制」を守ることで、日本の伝統、文化を守ることができると考えたようだ。政治体制ではなく、伝統、文化の「天皇制」を目指したのだろう。

舞台では、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』から「愛の死」が鳴り響き、桜吹雪が舞い散るなか、少年の三島は切腹する。

人は死を迎えるとき、それまでの出来事が走馬灯のように駆けめぐるというが、シャンソンの「ジャタンドレ」の甘い調べとともに、すべての登場人物が現れる。「シ」が少年三島の体内から出る血でそれらの人物を繋ぐと、風に吹き消されるように消えてゆく。

そして、また潮騒が聞こえ、再び冒頭の海のシーンに戻っていく…。

この日、三島の書斎の机の上には、「限りあるならば、永遠に生きたい」と記された紙片が残されていたという。

2000年10月<ベジャール・ガラ 2000>プログラムより転載
Photos: Kiyonori Hasegawa

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