英国ロイヤル・オペラ 2010年日本公演
■ページ構成
作品解説
ヴェルディの音楽によって、誰の心にも刻み込まれる美しく強い愛の物語
「椿姫」はまぎれもなく、世界中で愛されているオペラのトップ3に入るにちがいない。もっとも、パリの高級娼婦と純真な青年の悲恋は、原作であるデュマ・フィスの小説、戯曲ともに大ヒットとなったが、オペラがこれほどまでに人気を獲得したのは、ほかでもない、ヴェルディの音楽の力というべきだろう。ヴェルディは登場人物たちの性格や心情を、繊細に、ドラマティックな音楽で織りあげているのだ。たとえば、とどれか一つ、を挙げるのは難しい。感情の微妙な変化を見事に表わしているものとしては、第1幕、ヴィオレッタが、娼婦である自分が本当の恋に目覚めたことに戸惑い、無理にそれを払拭しようと歌うアリアをはじめ、第2幕のヴィオレッタとジェルモンによる長大な二重唱での二人の心のやりとりも外せない。敵意に近い猜疑心をもつ出会いは、やがて互いが理解し合うものとなり、そして、愛するがゆえに身を引く決意をするヴィオレッタの苦しみが、同時にジェルモンにとっても生木を裂く辛さを覚えるこの場面に、ヴェルディは聴く者の心にも痛みを感じさせるような音楽をつくっているのだ。また、終幕には死を前にしたヴィオレッタの精神の倒錯も、音楽が表している。一見すると、アルフレードには、愛の奥深さを知るヴィオレッタとジェルモンほどの複雑さはないが、若さや情熱あふれる音楽によって、その純真さが表されている。 愛も財産も失い、病に侵されたヴィオレッタは、その最期をようやく駆けつけたアルフレードに看取られる。傍らにはジェルモンも。ほんの一時、希望の光を感じ、あるいは最後の言葉を遺せたことで、ヴィオレッタが報われたことになるのかどうかは別として、幕が降りたとき、誰の心にも、人間味あふれるヴェルディの音楽とともに描かれた、ヴィオレッタの美しく強い愛の物語が刻まれることはたしかだ。
英国ロイヤル・オペラの「椿姫」
1994年、英国ロイヤル・オペラが27年ぶりに行った「椿姫」の新演出は、そのまま歌姫アンジェラ・ゲオルギューの名を決定づけるものとなった。巨匠ゲオルク・ショルティが指揮をとったこのとき、ゲオルギューはデビューして2年ほどのいわば“注目の新鋭”だったのだが、その美しさ、華やかさ、ショルティをも魅了した魔法のような歌声、そして真に迫る女優なみの感情表現をもって、誰もが驚嘆するほどのヴィオレッタを披露したのである。第1幕での軽やかなコロラトゥーラ、第2幕での愛の犠牲を表わすリリックとドラマティック、双方の表現力、そしてほとんど一人舞台のような第3幕を演じ切る演技力…、ゲオルギューはこれらヴィオレッタ役に要求される厳しい条件をクリアするというだけにとどまらず、“ヴィオレッタのために生まれてきた歌い手”とまで称され、世界の舞台で人々を魅了し続けている。英国ロイヤル・オペラが、18年ぶりとなる日本公演の「椿姫」に、そのゲオルギューをキャスティングしたのは、絶対の自信作を披露しようという意図にほかならないだろう。加えてキーパーソンであるジェルモンにサイモン・キーンリサイドを据えたのも大きな魅力だ。ゲオルギューとキーンリサイドはともに演技派であるうえ、近年ではこの役でバイエルン国立歌劇場でも共演しているから、繊細な表現のやりとりの隅々までを知り尽しているにちがいないのだ。さらに、アルフレード役を演じるジェームズ・ヴァレンティは、7月にゲオルギューとの共演で英国ロイヤル・オペラ・デビューを果たし、日本へとやって来る。目下急上昇の勢いをもつテノールとしての注目がプラスされることになる。 英国演劇界の重鎮リチャード・エアによる演出は、原作のもつテーマ“愛するがゆえの犠牲”を追求することに徹底している。まばゆいほどの華やかさに満ちた夜会、束の間の穏やかさを感じさせる愛の巣、燭台のほのかな灯りに浮き上がる死の部屋・・・これらスケールの大きな舞台美術のなかに描き出されるヴィオレッタの愛の在り方は、奇を衒った演出では味わうことができない真の「椿姫」というべきもの。名演出と呼ばれる所以である。 アントニオ・パッパーノは、音楽監督就任から7シーズン目となった昨年6月に、この名演出「椿姫」を初めて指揮した。オーケストラや合唱に根付く伝統を大事にしながら自分のやり方を追求するというパッパーノの音楽づくりは、ヴェルディの音楽の魅力を全面に出し、劇場全体に満たした緊張感で聴衆を感動へと引き込んでしまう。 オペラ・ファンにとって、「こんな「椿姫」が観たかった!」という上演が実現する。 岸 純信 (オペラ研究家)