今観たいバレエが二つ揃った。この公演が発表されたときに、まずそう思った。『カルメン』はいうまでもなく、自由を渇望するヒロインの物語。そして一方の『スプリング・アンド・フォール』は「春と秋」というタイトル通り、私たちのこの一年あまりの生活からすっぽりと抜け落ちてしまっていた季節感を、瑞々しく蘇らせてくれる作品だからだ。
奔放なロマの美女に翻弄されて身を滅ぼす純朴な青年ドン・ホセの破滅を描いた「カルメン」は19世紀フランスの小説家メリメの作。ビゼー作曲のオペラとしても広く知られ、20世紀以降はバレエにおいても多くの名演出が生まれてきた。今回上演されるのは、1967年にモスクワで初演されたアルベルト・アロンソ版。闘牛場を模し、ぐるりを塀で囲まれた半円形の舞台で繰り広げられる愛と死のドラマだ。1時間足らずの作品のすべてが独特の緊張感に包まれていて、愛のアダージオの濃密なひとときでさえ、死の気配がじっと背後の闇に潜んでいるかのようだ。
華やかなエスカミリオ(闘牛士)、冷酷非情な監視者でもあるホセの上官ツニガ、そして運命=死を象徴する牛といった、それぞれの本質を極限まで強調した一点突破の人物造形。そしてビゼーの原曲を弦と打楽器だけに編曲した音楽などが、作品のこの空気に大いに貢献しているのだが、最大の魅力はなんといってもカルメンそのひとだ。
ここでのカルメンというのは、"観られるヒロイン"である以上に、自ら"見る女"であると思う。初演者のマイヤ・プリセツカヤにとりわけその印象が強いが、その後にこの役を踊ったバレリーナたちもやはり、強く、鋭く、ときには誘うような視線で相手を見定め、多情ではあっても誰の言うなりにもならない自分を主張してきた。選ぶのは私、と。
強く張り詰めた脚線の美しさ、艶めかしいのに媚びの気配もない腰のひねり、そして相手をからかうように突き出したかかと等、動きそのものが雄弁で、インパクトがある。けれどもそれら以上に、カルメンという人物を象徴するのが、バレエのヒロインとしては珍しく幕開きから舞台の中央に登場して肘を張り、相手を射抜くようなその視線なのではないだろうか。
一方のジョン・ノイマイヤー振付『スプリング・アンド・フォール』は、簡素な白い衣裳のダンサーたちの踊る物語のないバレエだ。タイトルには「跳躍と落下」の含意もあり、喜びそのままに飛び跳ね、重力と戯れるように床に寝転がるというもっともシンプルな舞踊の構成要素が、磨き上げられた振付として示される。澄んだ空気の対流のような趣きの中に若者特有のむずむずするようなエネルギーも感じられるのが、巨匠の奥深い音楽感覚を伝えている。
音楽はドヴォルザークの「弦楽セレナーデ」。まず1991年に第1、4、5章を用いて世界初演され、その後第2、3章が加わって全曲版となった。アンサンブル主体の作品の中、第4楽章のパ・ド・ドゥはひときわ叙情的だ。ノイマイヤーの当時のミューズであったジジ・ハイヤット、時のスターだったパリ・オペラ座のマニュエル・ルグリのために作られ、ガラ公演などでも踊られている。
Photos: Kiyonori Hasegawa
長野由紀 舞踊評論家
5月2日(日)14:00
会場:東京文化会館
「カルメン」
カルメン:上野 水香
ホセ:柄本 弾 ほか
「スプリング・アンド・フォール」
沖 香菜子、秋元 康臣 ほか
指揮:井田 勝大
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
S=¥13,000 A=¥11,000 B=¥9,000
C=¥7,000 D=¥5,000 E=¥3,000
※バレエホリデイ特別ペア割引あり(S、A、B席)
※バレエホリデイ体験シートあり(S、A席)