〈オペラ・フェスティバル〉特別企画〈旬の名歌手シリーズ〉。
いよいよチケット発売です!
3公演・4公演 セット券 NBS WEB チケット先行発売 [ 座席選択可 S〜B席 ]
4/25(月)21:00〜5/11(水)18:00
単独券 NBS WEB チケット先行発売 [ 座席選択可 S〜D席 ]
4/27(水)21:00〜5/11(水)18:00
〈旬の名歌手シリーズ(Ⅰ)〜(Ⅲ)〉に関しては、こちらをご確認ください。
ファン待望の〈旬の名歌手シリーズ〉、3つのコンサートについて各回の期待と魅力を音楽評論家の堀内修さんにご紹介いただく2回目はフアン・ディエゴ・フローレス。現代を代表する名テノールの魅力は「優美さ」にあり!
この時の狂乱は舞台でなく客席で起こった。狂乱したのは舞台で歌う『ルチア』のヒロインでなく、ドニゼッティ『連隊の娘』を聴いている客席の2000人だ。第1幕で兵隊姿のテノールが「友よ、今日は楽しい日だ」と歌い始めるや、客席が固唾を呑む。美しい高音が響くたびに2,000人が息を呑み、歌い終わったところで狂乱が起きた。歌ったのがフアン・ディエゴ・フローレスだったからだ。
2006年の事件だから、あれから16年経つ。若い人気テノールは、いまや現代を代表する「テノーレ・ディ・グラツィア」となっている。あの時東京で聴いて、興奮と熱狂が忘れられない人に、優美なテノールとして洗練度を増したフローレスに再会できる日がやってくる。そんな前のことは知らないよというなら、初めての優美なテノール体験になる。
「グラツィア」は優雅、気品がある、上品といった意味だけれど、テノールにこれが付くとイメージがはっきりする。古いオペラ・ファンなら往年の名テノール、アルフレード・クラウスの名を出せばすぐ納得できるはずだが、強大な声やこれみよがしの歌い方と対極にある、上品な美声と優美で繊細な表現を持つテノールを指す。いまフローレスはオペラの世界を代表する、人によっては唯一のと断言するテノーレ・グラツィアだ。
劇場を狂乱させたテノールとは別人みたいに思えるが、本当は大きく変わったわけじゃないのかもしれない。フローレスが最初に東京で歌ったのは20歳そこそこのころだった。世に出た時から特別な声が認められ、注目されていたので、日本で歌うのも早かったのだ。すぐにわかる輝かしい高音があったけれど、この時印象的だったのは柔らかい美声のほうだった。
驚異的なテノールとして本領を発揮し、日本のオペラ・ファンの人気を集めるのはその後、オペラ界の寵児となってからだ。ロッシーニ『セビリャの理髪師』のアルマヴィーヴァ伯爵を歌ったフローレスは、このオペラの評価そのものを変えてしまう。タイトル・ロールはバリトンのフィガロで、取り持ち役のフィガロがその機智で若いロジーナと伯爵を結びつける、なんてオペラじゃないのが明らかになったのだ。あまりに難しいので長いあいだ全部は歌われなかった伯爵の大アリアを、フローレスは完全なかたちで歌った。200年前とは歌唱法が変わっているから、初演後初めての、実声による歌唱ということになる。ペーザロのロッシーニ・フェスティバルで大評判になったその歌が東京でも歌われた。そして『セビリャの理髪師』が、生き生きした魅力を持ったアルマヴィーヴァ伯爵が町娘に恋し、その恋を成就させるオペラになってしまった。それが何年か後の『連隊の娘』の狂乱につながった。
だが『セビリャの理髪師』のアルマヴィーヴァ伯爵も『連隊の娘』のトニオも、歌の曲芸師なんかじゃなかった。確かにフローレスは空前の高音の響きと超絶技巧とで聴衆を圧倒したが、伯爵の歌には知性豊かなロジーナが夢中にならずにはいられない気品があり、トニオの歌には恋人だけでなく連隊の兵士たちが仲間として迎え入れたくなるような青年の魅力が備わっていた。
ロッシーニやベッリーニやドニゼッティの、つまりベルカント・オペラのテノールとして、フローレスはいまなお右に出る者のいない実力を誇っている。だが歌う役は広がった。ヴェルディ『リゴレット』のマントヴァ公くらいじゃない。プッチーニ『ボエーム』のロドルフォだって歌うし、オッフェンバック『ホフマン物語』のホフマンも歌う。舞台を観たわけでなく、映像でしか知らないのだけれど、マスネ『ウェルテル』のウェルテルなど堂に入っていた。第2幕で歌われる「春風よ、なぜ私を目覚めさせるのか」のアリアは、すぐ後に死を選ぶはずの、悩めるウェルテルのものだった。
ドニゼッティだって、いまフローレスが歌って人気になっているのは超絶技巧で人を圧倒する『連隊の娘』のトニオではなく、優しい歌で人の共感を得る『愛の妙薬』のネモリーノだ。フローレスのネモリーノが歌う「人知れぬ涙」は、各地で劇場を狂乱させはしないが、人をうっとりさせているらしい。
狂乱を起したテノールは成長した、というよりもその本性を露わにしたのではないだろうか。長い間、声に目がないイタリア・オペラの愛好家たちが求め、愛でてきた本格的「優美なテノール」を味わう機会は、これから訪れることになるのだろう。
堀内 修(音楽評論家)
フアン・ディエゴ・フローレス Juan Diego Flórez (テノール)
ペルーのリマ出身。リマ国立高等音楽院、フィラデルフィアのカーティス音楽院で声楽を学び、1996年、ペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバルで、『マティルデ・ディ・シャブラン』の主役を歌って大成功を収め、国際的なキャリアをスタートさせた。弱冠23歳にしてリッカルド・ムーティの指揮のもと、ミラノ・スカラ座のシーズン開幕作品に出演を果たした。以来、世界中の著名な歌劇場、最高峰の指揮者たちとの共演を重ねる。近年はこれまで定評のあったベルカント・オペラに加え、フランス・オペラにレパートリーを広げ、高評を博している。録音も数多く、BBCからは「史上最高のテノール」と称され、オーストリア政府からは「宮廷歌手」の称号を授かるなど数多くの栄誉を受けている。ユネスコの親善大使をつとめるほか、音楽を通じてペルーの子どもたちを支援するプロジェクトを立ち上げ、これまでの功績に対して世界経済フォーラムから「クリスタル賞」が授けられるなど、社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる。