ローマ歌劇場日本公演が行われる2023年の幕が開きました! あまたの上演が世界中で行われている『トスカ』ですが、巨匠フランコ・ゼッフィレッリ演出は"王道"というべき舞台。その魅力を、2008年の初演をご覧になったオペラ評論家の香原斗志さんにご紹介いただきました。
人気演目であるだけに、プッチーニの『トスカ』はこれまで、さまざまな演出で鑑賞する機会があった。そのなかから「お気に入りをひとつ選べ」といわれれば、迷わずローマ歌劇場でのフランコ・ゼッフィレッリ(1923-2019)の演出を挙げる。
私が鑑賞したのは2008年1月20日。同じ月の14日に初日を迎えたばかりの新制作の舞台だったが、もう15年も経つのが信じられない。2021年に亡くなったジェンルイジ・ジェルメッティが指揮した。
キャストもすばらしかったが、私の最大の関心は、そのときすでに80代半ばに達していたゼッフィレッリによる新演出にあった。ひょっとすると、これがあらたに手がける最後の演出になるのではないか。そう思えばこそ、ローマを訪れたのである。
むろん、舞台は期待にたがわないものだった。いつもながらに舞台は徹底的に作りこまれている。この劇場から徒歩で着ける聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会の内部が、石や漆喰細工一つひとつの質感から光の加減や空気の感触にいたるまで、おそろしいまでに精巧に再現されている。むろん、衣裳にも一切の手抜きがなく、またゼッフィレッリの手にかかると、どんなに色彩が豊富でも、見事に調和してしまう。だから、テ・デウムの荘厳さはたとえようもなかった。
第2幕のフェルネーゼ宮殿も、第3幕の聖アンジェロ城も、どこにも隙がない。ゼッフィレッリも軸線をあえて傾け、斜めから空間を眺めた舞台を手がけることが少なくなかったと思うが、ローマ歌劇場の『トスカ』は3つの幕すべて、正面から眺めたほぼ左右対称の舞台だった。すると、ごまかしが効かない。円熟のきわみに達した巨匠の自信のあらわれだと感じられた。初日ではないのに、演出家がカーテンコールに、他人の肩を借りながら現れたのも、この舞台にかける思いの強さを象徴しているように思われた。
Photo: C. M. Falsini-Teatro dell'Opera di Roma
ゼッフィレッリは公演プログラム上でインタビューに答え、「プッチーニが望んだように演出した」と語っていた。
「燭台のことも、通行許可証のことも、トスカがそれを持って慌ただしく出ていくことも、みな台本と音楽のなかに書かれています。それなのに、このお手本のような傑作を裏切るということがまったく理解できません。プッチーニの指示を変更したり軽視したりする人は大バカ者だと、私は世界に向かって宣言します。演出家にできるのは、作者からゆだねられた物語をしっかり語ること。それだけです」
事実、ゼッフィレッリが演出した舞台は、そういう舞台だった。台本で指定された具体的な場所がきわめてリアルかつ壮麗に再現され、登場人物がリアリティのある動きをする。言ってみれば、それだけなのだが、それ以上になにが必要だろうか。そこがしっかり押さえられさえすれば、完璧な舞台になる。だが、多くの演出家は、この基本を押さえる力がないから、目先を変える方向に走るのではないか。そんなことさえ考えさせられた。
プッチーニが望んだとおりに演出できれば、それ以上は要らない。それができているのがローマ歌劇場の『トスカ』であり、そういう舞台は、15年はおろか何年経っても古くならない。
しかも、今回はソニア・ヨンチェヴァ、ヴィットリオ・グリゴーロという、現在、望みうる最高のキャストである。力強さと抒情性、声の輝きというトスカに求められる要素が高い次元でバランスされたヨンチェヴァ。声の艶と縦横無尽の表現力はそのままに、歌唱の力強さを増しているグリゴーロ。きわめて演技巧者でもあるトップスター2人を得て、ゼッフィレッリの渾身の舞台は、さらに輝きを増すに違いない。
Photo: C. M. Falsini-Teatro dell'Opera di Roma
香原斗志(オペラ評論家)