NBS News Web Magazine
毎月第1水曜日と第3水曜日更新
NBS日本舞台芸術振興会
毎月第1水曜日と第3水曜日更新

2023/02/01(水)Vol.463

ローマ歌劇場2023年日本公演に向けて
ローマ歌劇場の輝ける歴史を知ろう
2023/02/01(水)
2023年02月01日号
TOPニュース
オペラ

ローマ歌劇場2023年日本公演に向けて
ローマ歌劇場の輝ける歴史を知ろう

4年ぶりに日本に本格海外引越し公演を甦らせてくれるローマ歌劇場。来日公演はこれまでにも重ねていますが、今回はこの劇場で初演された『トスカ』を上演します。この機会に、ローマ歌劇場の輝ける歴史をご紹介しておきましょう。

前身コスタンツィ劇場の時代

ローマ歌劇場の前身であるコスタンツィ劇場は1880年11月に開場しました。劇場の名前は、1871年に統一イタリアの首都となったローマに近代的な歌劇場を建設しようと私財を投じたドメニコ・コスタンツィに由来しています。こけら落としにはロッシーニ作曲『セミラーミデ』が上演されました。劇場の運営がコスタンツィ家による私営であったことは、新作の初演に際しても政治当局の介入を避けられる利点ともなりました。
代表的なものとして挙げられるのが、1890年5月のマスカーニ作曲『カヴァレリア・ルスティカーナ』や、1900 年1月のプッチーニ作曲『トスカ』です。『カヴァレリア・ルスティカーナ』はオペラ史においてヴェリズモ・オペラの幕開けとなり、『トスカ』はローマのご当地作品というだけでなく、その後世界中で愛されるイタリア・オペラの代表的作品の一つとなったことは周知の通りです。

王室歌劇場へ

コスタンツィ劇場は、1926年にローマ市に買収され、王室歌劇場となります。部分的な改修も行われました。15カ月の休場の後、1928年2月にボーイト作曲『ネローネ』で再開場。折りしも、1929年にアメリカを皮切りに世界的に拡大した大恐慌の影響でニューヨークのメトロポリタン歌劇場で仕事がなくなった一流のイタリア人歌手たちが、ムッソリーニ率いる時の政権によってローマに続々と呼び寄せられました。加えて名指揮者トゥリオ・セラフィンを音楽監督に迎え、スカラ座に比肩する黄金時代を迎えました。

1940年代の劇場と劇場前の広場

ローマ歌劇場

世界大戦後、王政から共和政への政体の変化に伴い、ローマ歌劇場と再び改称されました。1958年にはローマ市庁による改修が行われ、ファサードや入口、ロビーなどに大規模な変更が加えられました。しかしちょうどそのころ、オペラ史に残る大スキャンダルが起きてしまいます。大統領臨席のもと、全盛期を迎えていたディーヴァ、マリア・カラスを招いた『ノルマ』の公演で、カラスが第1幕終了後に不調を訴え降板してしまったのです。場内に怒号が渦巻く大騒動が起こり、身の危険を感じたカラスは劇場に隣接するホテルへと避難しますが、暴徒たちがホテルを取り囲む事態となったことは有名です。この事件は、カラスの没落を示しただけでなく、ローマ歌劇場にとっても大きな痛手となったといえます。
ローマ歌劇場に再び輝きをもたらしたのは、2010年リッカルド・ムーティの終身名誉指揮者就任でした。2011年にはイタリア統一150年を記念してイタリア人の魂のオペラ『ナブッコ』を新制作、ヴェルディ生誕200年を迎える2012/2013年には珠玉のヴェルディ・オペラを上演。ローマ歌劇場の栄光が甦った!と称されました。2014年にはムーティ率いるローマ歌劇場日本公演が行われたので、多くの日本のオペラ・ファンも実感されたことでしょう。

Photo: Teatro dell'Opera di Roma/ Silvia Lelli

とはいえ、ヤマあればタニあり。2014年9月に劇場運営のさまざまな問題が勃発、ムーティの辞任も発表され、一時は歌劇場の合唱団とオーケストラの全解雇が発表されてしまいます。ほどなく撤回はされたものの、あわやローマ歌劇場は消滅の危機にあったのです。

その後、世界中を襲ったコロナ禍。被害の大きかったイタリアでは2020年3月4日には首相府令によりすべての公演、リハーサルの中止を余儀なくされました。しかし、ローマ歌劇場では早くも3月18日には無料配信を開始するほか、劇場閉鎖や入場者数制限下でもさまざまなアイデアに積極的に取り組みました。
現在は、新音楽監督ミケーレ・マリオッティのもと、オペラ発祥の国の首都ローマの歌劇場として、現代、そして未来をみつめています。
2023年秋、日本のオペラ・ファンは、ローマ歌劇場の公演に、苦闘の時期があろうとも、乗り越え、そしてさらに輝きを増す伝統の力を感じることになるのではないでしょうか。