東京バレエ団がイタリア4都市を訪れた第36次海外公演。ボローニャ公演について、舞踊評論家の海野敏さんによるレポートをご紹介します。
午後10時半、ストラヴィンスキーの『春の祭典』が力強く終曲した途端、満席の会場から熱い歓声と拍手が沸き起こった。私は観客の一人として、日本のバレエ団が古典バレエの傑作『ラ・バヤデール』と現代バレエの巨匠ベジャールの2作品を高い芸術的水準で演じ切り、ボローニャの観客を感動させたことに胸を打たれた。
今回のボローニャ公演は急ごしらえの仮設舞台での上演で、ダンサーにとって決して条件の良い公演とは言えなかった。それにもかかわらず、千数百人の観客の心をしっかりつかんだダンサーたちに惜しみない賛辞を送りたい。今年創立60周年を迎え、半世紀以上にわたって海外公演を重ねてきた東京バレエ団の底力を見せつけられた思いがする。
今年の東京バレエ団の海外公演は、イタリアを広くカバーする4都市で実施された。地中海に浮かぶサルディーニャ島の都市カリアリ、イタリア南部の美しい港町バーリ、イタリア中部の観光地リミニ、そしてイタリア北部にあってヨーロッパ最古の大学を擁し、「美食の街」として知られるボローニャである。
日本には多数のバレエ団が存在するが、東京バレエ団ほど多くの海外公演を実現してきたバレエ団は他にない。バレエに限らずとも、50人を超える規模の舞踊・演劇の団体として、海外公演の回数は突出していると言ってよい。1966年、モスクワでの初めての海外公演から数えて、2024年は36回目の海外ツアーであり、1.6年に1回のペース。私が鑑賞したボローニャ公演は、通算でなんと798回目の海外公演であった。
ボローニャには18世紀に設立された伝統あるボローニャ歌劇場があり、本来はそこでの上演だったそうだが、今年は同劇場が改修工事中。そのため、コンベンションセンターとして使用されている建物内の広い会場に、仮設の舞台と千数百の座席を設けた新劇場での上演となった。
チケットは早々に完売。開演は午後8時半。その1時間前に劇場へ行ってみると、劇場の外にはすでにボローニャ市民が数十人集まり、開場を待って談笑していた。
幕開けは『ラ・バヤデール』第2幕より"影の王国"。東京バレエ団がレパートリーとしているのは、バレエ・ブラン(白いバレエ)の傑作であるプティパの原振付を尊重したマカロワ版である。まずは冒頭、毒殺されて死んだニキヤの幻影が1人ずつ現れ、だんだんと増えてゆくコール・ド・バレエが見どころだ。
しかし、今回の仮設舞台は天井が低く、奥行きがやや狭く、通常の"影の王国"のような坂はない。また背景幕もなく、照明も劇場専用ではないため、美術・照明で十分な舞台効果を上げるのは難しい。いわばダンサーの踊りだけで勝負しなければならない状況である。
そのような条件にもかかわらず、東京バレエ団のコール・ド・バレエは素晴らしかった。先頭のダンサーが2歩進むと2番目のダンサーが登場し、その2人が同時に2歩進むと3番目のダンサーが登場し、3人が同時に2歩進むと4番目のダンサーが登場する。こうして24人のダンサー全員がアラベスクとタンデュという2つのポーズと2歩の前進をシンクロさせて繰り返す振付は、十分に優美で幻想的だった。
コール・ド・バレエに続く主役のパ・ド・ドゥも申し分ない。金子仁美がニキヤ、宮川新大がソロルを演じた。金子は踊りにくそうに見える場面があったが、メリハリのある演技がたいへん良い。コーダでは、素早いピケ・トゥールネとシェネの連続で魅了した。宮川はいつもながら力強い跳躍、回転で実力を発揮。また、工桃子、伝田陽美、政本絵美の各ヴァリエーションも、それぞれの持ち味を生かした見応えのある踊りだった。
休憩を挟んで後半は、モーリス・ベジャール振付の2作品を続けて上演した。
『ロミオとジュリエット』よりパ・ド・ドゥは、秋山瑛がジュリエット、樋口祐輝がロミオを演じ、さらに群舞として男性10人が出演。
前半、秋山と樋口の踊りはとても楽しげで、恋愛の悦びがしみじみと伝わってくる。秋山は入り組んだ振付でもからだのラインを崩さず美しい。樋口はベジャール特有のからだをくねらしたり歪ませたりする動きを踊りこなし、またサポートも安定していた。
ベルリオーズの楽曲を使った本作品は、シェイクスピアの戯曲を題材にしながら、ベジャールが反戦をテーマとして作ったバレエである。後半では男性群舞が2組に分かれて争う姿が描かれ、やがてロミオとジュリエットは折り重なって死んでゆく。欧州で暮らしてみると、ウクライナ戦争もガザの虐殺も隣国の出来事であり、とても身近だ。満席の客席へ反戦のメッセージが伝わったことと思う。
『春の祭典』は東京バレエ団が誇る貴重なレパートリーであり、かつてベジャールを振付家として一躍有名にした傑作。ストラヴィンスキーの名曲を用い、人間の原初的なエネルギー、性的な欲動を正面から描いた画期的なバレエである。
生け贄を演じたのは榊優美枝と大塚卓。また4人の若い娘を加藤くるみ、中沢恵理子、長谷川琴音、長岡佑奈、2人のリーダーを鳥海創、本岡直也、2人の若い男を井福俊太郎、山下湧吾が演じた。
総勢49人のダンサーの演技は、初めは控えめだが少しずつテンションが上がり、やがて燃え立つごとく激しくなってゆく。後半、男性たちが登場して、寄り添い固まっている女性たちを取り囲む場面からは一気呵成に盛り上がる。幕切れの直前、2人1組になった男女が一斉に激しく腰を打ち合わせる場面は、その迫力に圧倒された。熱い演技がボローニャの観客の心を打ったことは、カーテンコールでの歓声と拍手が証明している。
東京バレエ団がこれからも海外公演の回数を重ね、日本から世界への優れた文化発信が継続することを願ってやまない。
海野 敏(東洋大学教授・舞踊評論家)
東京バレエ団〈第36次海外公演─イタリア〉は、「文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術等総合支援事業(国際芸術交流))|独立行政法人日本芸術文化振興会」の助成を受け、株式会社木下グループの支援のもと、イタリアの4都市を約1か月の旅程で巡り、合計13回の公演を行います。このツアー全体が終わった時点で、東京バレエ団の海外公演は33か国158都市、通算799回の公演を達成することになります。