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Photo: Jeff Gilbert

2020/11/04(水)Vol.409

イングリッシュ・ナショナル・バレエ
逆境を力に変える人、それがタマラ・ロホ
2020/11/04(水)
2020年11月04日号
TOPニュース
バレエ

Photo: Jeff Gilbert

イングリッシュ・ナショナル・バレエ
逆境を力に変える人、それがタマラ・ロホ

タマラ・ロホは、今足りないものを嘆くのでなく、
今自分たちにできることが何かを模索しながら前進し続けることを選んだ

逆境を力に変える人、それがタマラ・ロホだ。それも、圧倒的なスピードで。3月下旬に英国が全面的なロックダウンに入った際も、いち早く自宅キッチンからプロダンサーのためのバレエ・レッスンをライブストリーミング配信し、それを40日間継続。その姿は、先の見えない状況で不安な隔離生活を送っていた400万人もの人々を勇気づけた。同時に立ち上げられたデジタルプラットフォーム「ENB at Home」もまた、子どもや若者、大人のバレエ初心者からパーキンソン病患者まであらゆる人々のニーズに応える充実の内容で、ひとりでも多くの人にバレエを届けたいというイングリッシュ・ナショナル・バレエ(ENB)のミッションを体現し、世界中のバレエ団にオンライン配信の可能性を示した。

9月には、本来5月に予定されていたENB団内コンクール「エマージングダンサー・アワード」を昨年移転したばかりの新本拠地のスタジオから全世界へライブストリーミング配信して、待望の新シーズンを開幕。依然多くの制限があり劇場も営業再開できない中で、バレエ団が大切にしてきた恒例イベントを実現してみせたその行動力からは、団内での才能開発を芸術監督就任当初からの目標に掲げて団員たちの士気を高めてきたロホの、どんな状況でもぶれない姿勢が窺える。

10月から徐々にロンドンの劇場が営業再開すると、以前の半分以下の収容人数に制限されるにもかかわらず、11月にはサドラーズ・ウェルズ劇場で新作バレエ5作品からなる「REUNION」(※)、12月にはロンドン・コロシアム劇場で短縮版『くるみ割り人形』を上演することを発表したENB。特に前者は、若手女性振付家として英国で注目を集めているアリエル・スミスとスティナ・クァジバーに加え、人気振付家のラッセル・マリファントやユーリー・ポソホフ、さらにコロナ禍でなければ難しかったであろうシディ・ラルビ・シェルカウイとの初のコラボレーションが実現するということもあって、チケットはまたたく間に売り切れとなった。

たとえ収益性を二の次にしても、まずは大打撃を受けたこの業界全体を活性化させていかなければならないとその歩みを止めないロホの行動力と情熱の裏には、もちろん犠牲もある。収入の3分の2を失い、ロホが初の振付に着手していた現代版『ライモンダ』の制作は当面の間お蔵入りに。バレエ団スタッフの85%は英国政府が導入した「コロナウイルス雇用維持スキーム」によって一時帰休扱いとなってロホ自身も含め2割以上の減給となり、いかにスケールを縮小して活動を継続していくかが目下の課題となった。さらにバレエ団の活動においては、リハーサルが再開された夏以降、ダンサー間で接触できる相手を厳密に指定する〈バブル〉システムを導入し、ダンスに不可欠な接触を最小限に抑えてきた。

ジゼル役のタマラ・ロホ(左)
2017年にローレンス・オリヴィエ賞を受賞したアクラム・カーン振付『ジゼル』は、ロホがENB芸術監督就任以来の活躍ぶりを示す作品となった。
Photo: Laurent Liotardo

こうした数々の制限を受け入れながら、今足りないものを嘆くのでなく、今自分たちにできることが何かを模索しながら前進し続けることを選んだロホ。その勇気と努力に報いるようにして、10月24日、ENBに政府から300万ポンドの緊急助成金が支給されることが決定した。現在英国は新型コロナウイルス第二波の真っ只中にあるが、ENBはきっとこの先も、この危機を創造の力に変えて、この困難なときだからこそ必要な、人々の心を豊かにするバレエという芸術を通じて世界中の人々に希望を届けてくれることだろう。再始動したENBの今後から、ますます目が離せない。

(※)英国のボリス・ジョンソン首相は10月31日、新型コロナウイルスの感染再拡大を受け、イングランドで11月5日から12月2日までの4週間、2度目のロックダウンを開始すると発表し、この間劇場は閉鎖されることになった。

實川絢子 在ロンドン ライター