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写真提供:東京文化会館

2025/10/15(水)Vol.528

東京文化会館の65年とNBS [1]
2025/10/15(水)
2025年10月15日号
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写真提供:東京文化会館

東京文化会館の65年とNBS [1]

オペラやバレエ、コンサートを楽しむ方にとって、東京文化会館は「在る」ことがあたりまえとなっているでしょう。いまや海外のアーティストやスタッフたちもTokyo Bunka Kaikanと呼び、親しんでいる東京文化会館。開館から65年を迎える2026年5月からの長期閉館まで半年となったいま、その成り立ちや歴史のなかでの出来事、近年ではおそらく同会館を最も多く使用して公演を開催しているNBSならではのエピソードなど、来年春まで、シリーズで振り返ってみることにします。

始まりは「東京に本格的なコンサートホールの建設を」求める声

東京文化会館の開館は1961年4月のこと。その発端は1952年(昭和27年12月)に東京商工会議所の会頭から「コンサートホールの建設に関する意見書」が都知事と都教育委員長あてに出されたことでした。昭和27年は、4月にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本が独立を回復した年でもありました。人々は苦しい生活を余儀なくされる状況があるとはいえ、欧米諸国から一流の演奏家や楽団が来日し、音楽文化の活況がみられるものの演奏会用施設が貧弱を極めているという背景のもと、近代的なコンサートホールの建設を提唱するものでした。
戦後復興の真っ只中にありながら、こうした意見書が提出されたこと、また受けた側が本気で取り組み、実際に実現に向けて動き出したことに驚かされます。現在の行政の在り方では考えられないようなことへの羨ましさも。

"本気で取り組む"とはいえ、ゼロからの出発には課題が山積でした。敷地の選定、建物の内容や規模、建設費の捻出などなど。当初より審議に関わっていたのはいわば当事者となる音楽や舞台の関係者でしたが、そのなかに唯一建築関係者として参加したのが前川國男氏でした。ル・コルビュジエの弟子として近代建築を学び、戦後日本のモダニズム建築を牽引した建築家です。自身も音楽愛好家であり、当時すでに神奈川県立図書館・音楽堂の設計を担っていた前川氏は、新たな音楽施設には、当初からホール(演奏会場内)そのものだけではなく、ホワイエやロビーなどの広いパブリックスペースの確保を求めていたそうです。現在の大ホールのホワイエは、前川氏の意図を表すものの一つといえます。

大ホールホワイエ
(NBS主催「世界バレエフェスティバル」より)

東京文化会館開館50周年を記念して編纂された「音楽の殿堂〜東京文化会館ものがたり」(東京新聞発行)"音楽の殿堂を造った人々"の章では、その成り立ちについてのたいへんな道のりが記されています。
その記録のなかに、「開都500年」が最大の山であったとあります。「開都500年」とは、太田道灌による江戸城築城の1457年から500年目の1956年を指し、同年には数々の行事が開催される「大東京祭」が繰り広げられましたが、このとき、記念事業として採用されたことで、それまで4年にわたって準備された構想をもとに、翌年には上野公園を敷地とし、建設費を13億円程度とすること、建設年度は3年以内とされるなど、「記念文化会館(仮称)」の建設実現へ一気に進んだのでした。

1957年に正式に設計者となった前川氏には、敷地が縮小されたり、新たに都市公園法が立ちはだかるほか、上野駅前という立地のため汽笛や振動の影響を避けること、文化会館と向かい合う国立西洋美術館や南西側に隣接する日本芸術院会館との配置計画まで、多くの難題解決が求められました。さまざまな難題に立ち向かい、エネルギーをもって解決へと尽力したのは前川氏だけでないことはいうまでもありません。例えば、基本設計から着工までの15カ月間、前川氏をはじめとする設計担当者や前川建築事務所スタッフは超過密スケジュールで突貫的に設計作業を進めなければなりませんでした。後々、前川氏が当時のことを振り返り「一時はどうなるのか、畳の上では死なないぞと話をしていた」というこのときの様子は「未完の建築 前川國男論・戦後編」(松隈洋著 みずず書房)に記されています。

前川氏はかなり早い時点からオペラハウスについて調査を進め、設計作業中の1958年にはウィーン国立歌劇場を訪れ、修復工事の担当者から詳しい説明を受けていたこともわかっています。
この10月、東京文化会館ではウィーン国立歌劇場の日本公演が開催されています。ウィーン国立歌劇場の引越し公演は、1980年以来今回で10回を数えますが、文化会館誕生前からの繋がりもあったのだというのは興味深いところでもあります。

前川氏は「都民と管理者と私ども設計にたずさわったものと、おたがいに意見を出し合って、完全なものに育てていかねばならない」と一般雑誌に書かれたそうです。建築物が竣工したらそれで終わりではなく、建物をかわいがっていくことが必要なのだと(前出「未完の建築 前川國男論・戦後編」より)。今回の取材を進めるなかで、NBSの公演を長年手がけてきた舞台スタッフからも同様の言葉が聞かれました。「どう使っていくかを工夫することは会場を育てるということにもなる、そしていかなければ」と。次回は、こうしたスタッフの言葉やエピソードなどをご紹介します。

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