東京文化会館とNBSのエピソードを紹介するシリーズ3回目は、出演アーティストからの目線に焦点をあててみます。アーティストにとっては必須の"舞台がある場所"。ほとんどの場合、アーティストが会場を選ぶことはできないでしょう。それだけに、世界のさまざまな劇場に出演しているアーティストたちはあまり会場・劇場に関してコメントすることはありません。そうしたなかでも、東京文化会館で度々出演を重ねるかれらから聞かれたホンネは彼らが感じた真実にほかなりません。
指揮者のズービン・メータは、オーケストラ、オペラを率いて何度も来日、東京文化会館でも数多くの公演を指揮しています。メータが音楽監督として率いたオペラの日本公演は、フィレンツェ歌劇場とバイエルン国立歌劇場がありますが、何度もの公演を重ねるなかで、メータは「東京文化会館はフィレンツェのテアトロ・コムナーレとは比べものにならないほどいい音響なんだ!」と語りました。「フィレンツェは水に浸かったしね」と。メータの言うのは、1966年にアルノ川が記録的な豪雨により氾濫したことで、歌劇場も大きな被害を被ったことを指すもの。もちろんテアトロ・コムナーレはその後復興したので、水害が音響にどのくらい影響があるかは不明ですが......。ともあれ、メータは東京文化会館の響を気に入っていたことは確かです。
1990年代初頭から、バレエ界の貴公子として多くのバレエ・ファンの目をハート型にしたウラジーミル・マラーホフ。初来日はモスクワバレエ学校の生徒だった1985年、日本での最初の舞台も東京文化会館でした。後年のインタビューで「私はすっかり日本に魅せられたのです。東京文化会館はよい印象と雰囲気があって、そこで踊るのは気持ちがいい。劇場を出ると、公園や買い物ができる場所、レストラン、デパートもあります。劇場の外だけでなく、中でも楽しめます。4階では、何もすることが無いときには音楽などを聞いたりできます。いつも文化会館でバレエをしたいと思いますよ(笑)」(東京文化会館発行「音脈」2003.Summerより)と語っています。
NBSでは、英国ロイヤル・バレエ団やパリ・オペラ座バレエ団をはじめ、海外のバレエ・カンパニーを招いて公演を行ってきましたが、どのカンパニーのスタッフも「東京文化会館なら安心して公演ができる」と言います。ハンブルク・バレエ団の2016年日本公演では、「リリオムー回転木馬」「真夏の夜の夢」〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉の3つの演目がプログラムされ、全8公演を東京文化会館で開催しました。このとき芸術監督のジョン・ノイマイヤーは「それは素晴らしい!」と驚いたそうです。ハンブルク・バレエ団は、それまでに何度も日本公演を行っていましたが、全8公演を同じ会場でということはなかったのです。そしてそれが東京文化会館で、ということを喜んだというわけです。
舞台に立つアーティストではありませんが、長年世界中の劇場や舞台公演を撮り続けた写真家の木之下晃さんは、NBSが1976年に開始した「世界バレエフェスティバル」を"バレエ史上空前絶後の画期的な出来事"とし、それが第10回を迎える2003年に、東京文化会館のことを「世界にホール多しといえども、これだけ多彩なカンパニーが次々と客演公演しているホールは他に無い。歴史は一朝一夕で出来るものではなく、ステージを飾った多くの舞台芸術家たちの汗の結晶が舞台に滲みついて積み重ねられたものである。それこそがホールの最高の財産なのである」と記しました(東京文化会館発行「音脈」2003.Summerより)。「世界バレエフェスティバル」をはじめ、バレエ、オペラ、オーケストラと、さまざまな公演を開催してきたNBSは、この"ホールの財産"に少なからず貢献しているといえるはずです。
アーティストの視点からの東京文化会館の一方で、市民との重要な関わりに関するエピソードもご紹介しておきましょう。
2011年3月11日、日本中がショックを受けた東日本大震災の当日、東京文化会館ではフィレンツェ歌劇場日本公演『運命の力』のリハーサルが行われていました。交通機関もストップしたことから、発生からほどなく、東京文化会館は楽屋口ロビーに一般の方々も入れるようにしました。ただ、楽屋口のロビーは広くはなく、トイレも1カ所しかありません。時間を経るにしたがって気温も下がっていくなかで、東京文化会館の事務局から、この日会館を使用しているNBSに「大ホールを開放してもよいか?」と要請がありました。NBSの快諾の後、緞帳を降ろした状態で客席を一般開放しました。状況を伝えるラジオ放送も館内に流されたので、交通機関の状況を聞いて夜のうちに帰られた方もありましたが、開放は翌朝まで続けられました。
現在では緊急避難施設(指定緊急避難場所)の制度が定められていますが、これは2014年4月から施行されたもの。施行以後では、2019年の台風19号の際に帰宅困難者や被災者の一時滞在のため開放されました。
(東京文化会館は災害時の臨時対応です。常時開設の避難所ではありません)