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2021/01/06(水)Vol.413

新「起承転々」 漂流篇 vol.47 パンとサーカス
2021/01/06(水)
2021年01月06日号
起承転々
連載

新「起承転々」 漂流篇 vol.47 パンとサーカス

パンとサーカス

 ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートのテレビから流れる演奏に耳を傾け、時おり片目で画面を追いながら、この拙稿を書き始めた。毎年、テレビでウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを観るのは私の元日の恒例行事だが、ウィーン楽友協会大ホールの壮麗な内観は変わることはないものの、毎年変わる指揮者と、楽団員の入れ替わりに、伝統の継承と時の移ろいを感じてきた。今年はコロナ禍の影響でコンサートはどうなるのだろうと気になっていた。私の敬愛するリッカルド・ムーティが指揮するから、なおのこと興味津々で待ちかまえていた。結局、無観客で開催されたが、観客がまったくいない客席の映像は、いつもの華やかさがまったくなく、コロナ禍による異常事態が「見える化」されたようで悲しくなった。オンライン拍手で世界中の視聴者と繋がっている感を出そうと工夫されていたが、来年は元通りの華やかな映像を見たいと切に思った。
 昨年の今ごろは、まだ新型コロナウイルスの話題は、何も取り上げられなかった。1年後に世界がこんな事態になるとは、いったい誰が想像していただろう。いまも日本では感染者数が過去最高を更新し続け、変異種のニュースがさらなる不安を煽っている。感染症の脅威を突き付けられた1年だったが、感染症対策の要諦は人の往来を絶つことだと知ると、結果論だが、武漢で新型コロナ・ウィルスが発見された段階で、なぜもっと厳重な対策がとれなかったのかと、いまさらながら思う。実際、台湾などは見事に感染を抑え込んでいる。新型コロナウイルスが世界中に甚大な経済的損害を与え、多くの人命を奪い、不安と苦悩を与えたことを考えると、再発防止のために原因と経緯が徹底的に究明されなければならないと思うのは、私ばかりではないだろう。
 ぴあ総研は毎年、ライブ・エンターテインメントの市場規模を試算しているが、2020年は前年比79.3パーセント減の1,306億円になると発表した。約8割が消失するという壊滅的な状態にある。これがさらに1年続いたらまちがいなくエンタメ業界は死屍累々だ。我々の舞台芸術は、旅行業や飲食業等と並んで、「不要不急」と目され、自粛を強いられる対象となった。コロナ禍が少し下火になったと思えてきた夏から秋にかけて、経済活動を回さなければならないと、政府は損失の大きい旅行業に対する救済策として「Go Toトラベル」、飲食業に「Go Toイート」、興行に「Go Toイベント」といった施策を次々と打ち出した。そして、年末になって感染が急拡大すると、一斉にマスコミの集中砲火を浴び、中止せざるをえなくなってしまった。いま感染症による人の命の消失と、経済が破綻することからくる命の消失のどちらを優先して守るのかが問われているのではないか。
  12月26日付け朝日新聞朝刊の「異論のススメ」で佐伯啓思氏が「コロナ禍 見えたものは」と題して書かれていた文章を読んで目を開かれる思いがした。「人はただ生存のためだけに生きるものではない。古代ローマ人は『パンとサーカス』といった。この社会には『パン』のみならず『サーカス』も必要なのである。生存に関わる生だけでなく、精神や身体の愉楽や刺激が必要であり、人々が集まって騒ぐことも必要なのだ。(中略)『サーカス』は『生存』にとって無駄なもの、過剰なものである。必要なものではない。だが、この過剰性こそが文化を生み出した。『パン』という必要が『経済』の基礎だとすれば、『サーカス』は『文化』の基礎であった。(中略)人を動物から区別するのは、ただ生存のための食料の確保ではなく、『文化』という無駄なものを生み出し、そのために過剰なエネルギーを投入する点にこそある。」
 なるほど、我々のやっていることは「サーカス」なのだ。たしかに、舞台上では鍛え抜かれた技がくり広げられ、それに観客は感動し拍手喝采を贈ってくれる。コロナ禍で「サーカス」が失われたことで、「精神や身体の愉楽や刺激」なくしては生きていけないことを、あらためて思い知った人は多いのではないか。
  ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートの中で、マエストロ・ムーティは「美しき青きドナウ」の演奏に入る前に、世界90か国の視聴者に向け、次のようなことを語りかけた。「音楽家は花という武器をもっています。相手を殺す武器ではありません。私たちは、喜び、希望、平和、兄弟愛といった大きな愛をもたらします。音楽家はエンターテイナーと呼ばれますが、単なる職業ではありません。使命なのです。社会を良くする使命をもっています。健康は私たちにとって、もっとも重要なものですが、心の健康も重要です。音楽は心の健康を助けてくれます。文化という大切な要素が、私たちの社会をより良くしてくれるのです」。テレビの画面越しに拍手を贈った。
 2021年はいったいどんな年になるのだろう。コロナ禍の成り行き次第で、楽観論と悲観論があって、まったく先が見通せない。ただ、どちらにしても大きく変わらざるを得ないのはまちがいない。マエストロの言うとおり、NBSのやっていることも単なる職業ではなく、使命なのだ。この1年振り回され続けたコロナ禍の経験から、私たちはいったい何を学んだのだろうか。

 

髙橋 典夫 NBS専務理事