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2021/06/02(水)Vol.423

新「起承転々」 漂流篇 vol.52 漂えど沈まず
2021/06/02(水)
2021年06月02日号
起承転々
連載

新「起承転々」 漂流篇 vol.52 漂えど沈まず

漂えど沈まず

 昨年の2月以来、第1波、第2波、第3波、第4波と、次々に押し寄せるコロナの大波に日本中が翻弄され続けている。大波といえば、私にはまっさきに葛飾北斎の「冨嶽三十六景」神奈川沖浪裏の絵が思い浮かぶのだが、いま日本はあの大波にのまれそうな小舟のようなものではないか。日本を象徴する富士山も小さくなって大波にのみ込まれそうに見えてくる。東京オリンピック、パラリンピック開催の是非をめぐって、世論は日に日にかまびすしくなっている。「今、国民の8割以上が延期か中止を希望しているオリンピック。誰が何の権利で強行するのだろうか」(孫正義氏)や「まるで自殺行為」(三木谷浩史氏)といった発言が注目を集めたが、東京五輪のスポンサーになっている大手企業も多く、経済界全体では開催を支持する声が多いという。東京五輪が中止された場合の損失は1兆8108億円との試算もあるようだ。中止する権限は日本になく国際オリンピック委員会(IOC)だけが持つと知って驚いた。そのIOCが開催するといっているのだから、開幕まで2カ月を切って、もはや止められる状態ではないのではないか。IOCのバッハ会長とコーツ副会長は"ぼったくり&はったり男爵コンビ"と呼ばれ非難を浴びている。「平和の祭典」を理念に掲げていても、近代オリンピックは肥大化し、商業主義だと批判されてきた。今回の世界的な騒動でオリンピックに対する幻想のベールがはぎとられ、IOCが金権体質の組織で、オリンピックがビジネスそのものでスポーツ産業だということが露わになった気がする。
 オリンピックが開催されるかどうかは、NBSにとっても大問題だ。というのもオリンピックとパラリンピックのあいだの時期に、〈第16回世界バレエフェスティバル〉(以下、バレエフェス)を開催する予定だからだ。45年前の1976年に始まり3年ごとに開催して"バレエのオリンピック"の異名をもつが、今回16回目を迎える。早くからわが国のバレエ関係者、バレエファンの目を世界に向けさせ、日本のバレエの国際化を促したのはバレエフェスの功績と評価されている。コロナ・パンデミックのさなかにあっても、世界のトップ・ダンサーを招いてバレエフェスを開催することで、コロナ禍で打ちひしがれている世界のバレエ界に向けて、日本から元気のエールを送りたいと思っている。オリンピックの東京招致が決まった当初は「オリンピックはスポーツの祭典であるとともに文化の祭典でもある」ので文化イベントを提案してくれと、各方面から求められたものだが、いまや文化の「ぶ」の字もない。
 今回のバレエフェスは13カ国から30名のダンサーや指揮者を迎えることになっている。さまざまな制約が課せられているが、特に大きな足かせになっているのが、現時点において入国してから2週間の隔離が義務づけられていることだ。ちなみにオリンピックは1万5千人の選手のほか、大会関係者が7万5千人来日するという。しかも隔離は免除されると聞く。スポーツ選手は競技に備え身体の状況を最高にもっていかなければならないから隔離などしていられないからだろうが、ダンサーだって同じだ。「1日休むと自分にわかり、2日休むと教師にわかり、3日休むと観客にわかる」という古くからダンサーのあいだに伝わる有名な言葉がある。オペラ歌手の身体は楽器だといわれるが、ダンサーの身体は精密機械だ。今回のバレエフェスは感染対策を徹底的に施し、さまざまな困難は覚悟のうえ、何としても実現したいと思っているが、なぜオリンピックのアスリートは2週間の待機が不要で、超一流のダンサーには待機が義務づけられるのか。スポーツはよくて文化はだめなのか。バレエフェス参加のダンサーたちの入国条件がオリンピックのアスリート並みに緩和されることを切に願っている。菅義偉首相は「安心安全な大会」をくり返すばかりで、まったく具体的な説明がなく不信感がいやますばかりだ。IOCの最古参の委員は「オリンピックは絶対に開催する。それが私たちIOCの仕事だ」と発言したという。もはや私たち国民は何のために無理して開催しなければならないのかさえわからなくなっているのではないか。コロナの荒波に弄ばれる「東京五輪丸」は、誰が舵をとっているのかはっきりしないまま、あれよあれよという間に立ちはだかる岩に激突することになるのだろうか。
 「世界バレエフェスティバル丸」も波間に漂う小舟だ。バレエフェスも開幕までのカウントダウンが始まっていて、日増しに不安が募り焦る気持ちが強まっている。「バレエフェスは絶対に開催する。それが私たちNBSの仕事だ」と啖呵を切りたいところだが、すべてはどこまで感染が抑えられ、入国制限が緩和されるにかかっている。8月13日のバレエフェス開幕までに、さらに大波小波が押し寄せるに違いない。じつはこのコロナ禍の中、私の頭には折にふれ「漂えど沈まず」という言葉が点滅している。私はこの言葉を作家の開高健の名句として知っていたのだが、元はパリ市の紋章にあって、セーヌ川に浮かぶ帆掛け舟のデザインとともに記されているラテン語の翻訳らしい。パリが誕生してから戦乱や革命など歴史の荒波を生き抜いてきたパリ市の標語になっていて、2015年のパリ同時多発テロ事件の直後には、パリの街角のいたるところにこの標語が掲げられたという。漂えど沈まず。東京五輪が開催されようがされまいが、日本も東京も、そしてNBSもこの荒波の中を漂えど沈まず、なんとしても生き抜かなければならないのだ。

 

髙橋 典夫 NBS専務理事