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2021/07/07(水)Vol.425

新 起承転々 漂流篇 vol.53 HOPE JAPAN
2021/07/07(水)
2021年07月07日号
起承転々
連載

新 起承転々 漂流篇 vol.53 HOPE JAPAN

HOPE JAPAN

 開催か中止で大揺れだった東京五輪だが、3月25日に福島からスタートした聖火リレーは騒動の間もひっそりと聖火ランナーたちによって引き継がれており、新国立競技場の聖火台に聖火がともるまであと2週間に迫った。あんなに紛糾していたのに、いつのまにか開催することが既成事実のようになっているのは私には不可解としかいいようがない。いま再び感染者が増え、無観客にしろという声が強くなっている。いっとき開催そのものに否定的なスタンスをとっていたマスコミも、何もなかったかのようにオリンピックの話題を取り上げている。実際、試合が始まれば手のひらを返したように競技の熱闘を報じ、感動物語をつくり上げるに違いない。テレビは視聴率を稼がなければならないし、新聞や雑誌は部数を売らなければならないから当然といえば当然なのだが、違和感を覚えるのは私だけではないだろう。NBSはオリンピックとパラリンピックの間に、"バレエのオリンピック"の異名をとる〈第16回世界バレエフェスティバル〉を開催する予定だが、海外からの渡航者に対し、あまりにも多くの制約があって、何度も心が折れそうになっている。入国規制や感染対策上の行動制限がきびしくて、出演予定者の中には来日直前になって参加を断念せざるを得なくなる者が現れるのではないかと心配だ。
 〈世界バレエフェスティバル〉のプレ・イベントというわけでもないが、〈HOPE JAPAN〉と題する公演を東京バレエ団が聖火リレーのように東京を皮切りに7月19日の福島県のいわき市まで全国10都市で巡演する。この公演ツアーは文化庁によるコロナ禍による芸術団体救済を目的とする「大規模かつ質の高い文化芸術活動を核としたアートキャラバン事業」という長い名前の助成事業の一環なのだ。コロナ禍が始まって、我々の事業は公演中止や延期、入場者を50パーセントに抑えられて甚大な損害を被った。昨年は個人のアーティストたちへの助成が主だったが、団体が潰れてはアーティストだけでなく周辺で働く人たちも仕事を失うということから、このアートキャラバン事業が考えられた。統括団体である日本バレエ団連盟が傘下団体の協力を得て申請し、幸いにして採択された。ただ、新規事業に対する助成制度だから、急ごしらえの突貫事業にならざるを得ない。来年1月までの間に東京バレエ団をはじめ日本バレエ団連盟傘下の7団体が全国各地で32公演を行うことになったが、この取り組みが今後新しい観客層の開拓や拡大につながることを願っている。
 じつは「HOPE JAPAN」というタイトルは、2011年の東日本大震災の後、日本の復興を願い、シルヴィ・ギエムの呼びかけで故・髙田賢三氏の描いたロゴマークを旗印に、「ボレロ」ほかの作品をもって全国各地を巡演したときに使ったものだ。橙色の日の丸に一輪のポピーの花のデザインが、震災と原発事故によって傷ついた人々の心に沁み、希望を感じさせた。ちなみにポピーの花言葉は「いたわり」。現在のコロナ禍による閉塞感は、当時の気持ちを思い起こさせる。どの公演会場でもシルヴィ・ギエムが踊る「ボレロ」の後、感極まった観客たちが総立ちで熱狂的な声援を送っていたのを昨日のことのように思い出す。
 今回のアートキャラバン事業では、東京バレエ団は再び髙田賢三デザインのロゴマークの使用許可を得て本ツアーを企画した。チラシにはロゴマークとともに「不安の時代にバレエの力で勇気と希望を!」というコピーを入れた。公演をご覧になった観客が一時であっても不安を吹き飛ばし、元気を出してくれれば公演に携わる者として冥利に尽きる。
 新型コロナウイルスの感染拡大が始まった昨年の2月以来、さまざまな災厄が飛び出してきたが、まさに「パンドラの箱」の蓋が開いたようなものだ。あっという間にパンデミックに陥り、世界中に甚大な被害を与えた。技術が発展するにしたがい災いも広がっていくというが、今回の新型コロナウイルス感染症は、私には近年のITやAIなどの科学技術の急激な進化と関係していると思えてならない。
 聖火はオリンピックの象徴だが、その起源は古代ギリシャ時代にさかのぼり、プロメテウスが全能の神ゼウスの元から火を盗んで人類に伝えたという神話に由来するという。プロメテウスは人間が幸せになると信じて火を与えた。火の使用は科学技術の源で、それによって人間の生活は豊かになるが、同時に火を用いて争いをするようにもなった。そこでゼウスは人間たちを懲らしめるために、パンドラという女性に箱を持たせて人間界に送り込む。絶対に開けてはならないといわれていたその箱を、パンドラは好奇心に駆られて開けてしまう。すると中から、疫病、犯罪、悲しみなど、ありとあらゆる災いが飛び出した。なぜか、いま我々が直面している新型コロナウイルスの感染拡大の状況に似ている。私には科学技術の開発競争が災厄を招いたのではないかと思える。驚いたパンドラは慌てて箱の蓋を閉めるが、箱の中には「希望」だけが残された。人間の手元に希望が残ったからこそ、人間は現代に至るまであらゆる災厄や困難を乗り越えてこられたのだろう。人間に残されたのは希望を持ち続けることなのだ。
 東京五輪はたとえ無観客であったにしても実際に始まったら、マスコミがいっせいに報道するだろうから世の中の空気が一変するに違いない。超一流のアスリートたちが全身全霊をかけて闘うのだから、テレビの画面越しでも観る者の心を打つだろう。かたや我々が携わっている舞台芸術は、無観客では難しい。劇場は出演者と観客の熱気と呼吸が一体となることによって感動空間が創られるからだ。感動の共有があるからこそ、出演者から観客へ直に希望を届けることもできる。そうした思いで今回の〈HOPE JAPAN〉ツアーでは「希望」のトーチを掲げて各地を回り、観客一人ひとりの心に希望の灯をともしたいと思っている。

 

髙橋 典夫 NBS専務理事