NBS News Web Magazine
毎月第1水曜日と第3水曜日更新
NBS日本舞台芸術振興会
毎月第1水曜日と第3水曜日更新

2021/09/01(水)Vol.429

新「起承転々」 漂流篇 vol.55 薄氷を踏む
2021/09/01(水)
2021年09月01日号
起承転々
連載

新「起承転々」 漂流篇 vol.55 薄氷を踏む

薄氷を踏む

 〈第16回世界バレエフェスティバル〉はコロナの大波に翻弄されながらも、なんとかゴールまでたどり着くことができた。きびしい入国規制やバブル方式の行動制限によって、正直、開催を諦めかけたことが幾度もあった。まさに薄氷を踏む思いの連続だった。猛暑の中の感染爆発で氷がいつ溶けてもおかしくない状況だったが、氷が割れて地獄の血の池に落ちなかったのは、運が良かったとしかいいようがない。バレエファンの熱烈な応援と、出演者たちの参加への強い意志がなければ間違いなく暗礁に乗り上げていただろう。加えて、コロナ禍における開催に深い理解を示してくださった特別協賛の株式会社コーセー、ダンサーたちの入国にあたりご尽力いただいた文化庁をはじめ関係各所の方々にたいへんお世話になった。この場を借りて心より御礼を申し上げたい。
 〈バレエフェス〉をご覧になったある舞台芸術好きの企業経営者から「執念だね」と声をかけられたが、どんな仕事も執念がなければやっていけないと私は思っている。出演するダンサーも我々公演を実施する側も、これが自分たちの職業だから簡単に諦めるわけにはいかないのだ。〈バレエフェス〉の創始者である佐々木忠次が、「不可能を可能にするのが仕事であって、可能なことを可能にするのは仕事ではない」とたびたび口にしていたことを思い出し、45年間続いている〈バレエフェス〉の伝統を途絶えさせてはならないと思った。非常時には執念が強いものが生き残るのかもしれない。〈バレエフェス〉をなんとかやり終えたからといって、ホッとはしているものの〈バレエフェス〉全体の収支を考えると喜んではいられない。どこかのタイミングで早めに中止したほうが、経済的な損失が少なかったのは確かだからだ。
 〈バレエフェス〉の出演者全員が帰国の途についた8月24日朝日新聞朝刊に「フジロック 悩みながらの決行」という見出しのついた記事を見つけた。「フジロックフェスティバル」は、国内最大級の野外音楽フェスティバルだが、新規感染者が急増するさなかでの大規模イベントの開催に賛否の声が渦巻いたらしい。初日に出演者したRADWIMPSの野田洋次郎氏が観客と配信の視聴者に次のように語りかけたという。「いま、『正しさ』っていうのが世の中に何百個、何万個とあふれている。他人が自分と違うからといって全否定したり、すべてを排除したりするんではなくて、全員がまだわからない正解にたどり着こうと、あがいている姿を誰も否定すべきじゃないと思う」。私もこの意見に同感だ。「正しさ」は正義とは違って、一人ひとりがそれぞれの「正しさ」をもっている。現在のような時々刻々変わるコロナ禍の状況下では、その人の立ち位置によって「正しさ」は違って見えるのではないか。〈バレエフェス〉開催についても賛否両論があった。圧倒的多数の人は開催を支持してくれたが、ネット上では開催に疑問を呈する意見や感染対策の不足についてもきびしい指摘が散見された。それらの課題を検討し、会期中の会場の運営に取り入れさせていただいたし、今後の公演にも活かしたいと思っている。いっぽうでコロナ禍におけるNBSの「正しさ」とは何だろうと考えた。まず、舞台芸術が衰退しないようさまざまな手を尽くしても活動を継続すること。それにアーティストたちに可能なかぎり活動の場を提供すること。そして何よりも、公演をご覧いただくことによって、観客の皆さまに「希望」を与え、元気を出してもらうことだ。一番重要なのは、我々は歴史の一部を担っているにすぎない存在なのだから、いかなる状況にあっても舞台芸術の灯を絶やしてはならないということだ。
 東京五輪だって開催の是非、有観客無観客の是非をめぐって議論百出だった。テレビのコメンテーターが、「何年か後に歴史が判断する」と言っていたが、逆に言えばいまは誰にも開催の是非を評価できないということだろう。
 今回は「緊急事態宣言」下での開催であったが宣言が発出されたのが7月9日。そこでチケットを販売停止しなければならなくなった。コロナ禍にあっては公演直前までチケットを買い控える傾向があるが、約70パーセント売れた段階でストップがかかった。いざ開催が現実のものになると、バレエファンからチケットが買えないなら、有料でいいので舞台映像を撮って配信してほしいという声がたくさん寄せられた。これまでの〈バレエフェス〉は日本全国や海外からもバレエファンが観にきてくれていたが、今回観ることができなかった人たちのためにも、配信を実現したいと思っている。配信するためには出演者の同意や作品の権利関係のクリアなど膨大な手間はもちろん、撮影費や編集費、著作権をクリアするための費用など追加経費がかかる。それでもこの未曾有の状況下における〈バレエフェス〉を後世に語り継ぐために記録しておきたいという思いが強い。なんとか不可能を可能にして、本年末くらいを目標にして配信できればと考えている。
 今回のパンデミックは我々を取り巻く世界を大きく変えることになるだろうが、困難を克服するためには、果敢に挑戦し、可能性を追求しなければならないことを今回の〈バレエフェス〉でいっそう感じた。次々に新たな手を打ち続けなければ生き残れないのだ。結局は自分たちの「正しさ」を信じてやり抜き、あとは歴史が下す評価にまかせるほかないのかもしれない。

 

髙橋 典夫 NBS専務理事