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2021/11/03(水)Vol.433

新 起承転々 漂流篇 vol.57 砂浜の道
2021/11/03(水)
2021年11月03日号
起承転々
連載

新 起承転々 漂流篇 vol.57 砂浜の道

砂浜の道

 渋谷から目黒まで山手線に乗っている数分の間に、車内のドア上のモニターにエディタ・グルベローヴァ死去のニュースが流れて驚いた。10月20日の夕方のことだ。その前日に彼女の訃報が飛び込んできて、そのショックを引きずったままだったが、グルベローヴァの死は社会的な事件なのだと、あらためて感じ入った。享年74歳、死因は明らかにされていないが、どうやら転倒による事故死らしい。
 グルベローヴァはNBSがもっとも多く招聘した歌手だったから、さまざまな思い出が蘇った。初めて彼女が来日したのは、1980年のウィーン国立歌劇場日本公演だった。カール・ベームが指揮する『ナクソス島のアリアドネ』のツェルビネッタを演じたのだが、超絶的なコロラトゥーラに衝撃を受けた。当時の日本ではグルベローヴァはまったく無名だったが、長大なアリアが終わるや嵐のような拍手と歓声が沸き起こった。初来日の衝撃的な日本デビューを受けて、NBSの創立者の佐々木忠次は、グルベローヴァを招聘してコンサートを開こうとしたが、彼女は地震の多い日本に行きたくないと断り続けた。地震そのものが怖いというよりも、地震によるショックによって声が出なくなることを恐れていたのだ。それでも佐々木のねばり強い交渉により、1987年に来日が実現する。地震が来たら、窓から逃げられるように2階以下の部屋に泊まることが条件だった。
 その後も、日本はヨーロッパから離れているので、ジェットラグ(時差ボケ)に悩まされるから行きたくないと言い出したこともあった。ジェットラグで体調がくずれると声が出なくなるというのがその理由だ。当方はすでに彼女の出演するオペラのチケットを売り出しているから、なんとしても来てもらわなくてはならないのだ。ジェットラグを感じないよう、飛行機を乗り継ぎ、1週間くらいかけて来日したらどうかと提案もした。最終的には、ジェットラグをとるマッサージ師がいることを探し当て、彼女もそれならばと来日することになった。マッサージを受けながら自然な眠りに入るらしく、実際、そのマッサージを受けたことでジェットラグは感じなかったようだ。いまとなっては来日が15回を数え、大の親日家と呼ばれるようになったのが不思議な気がする。
 グルベローヴァは素朴でチャーミングで親しみやすい面がある一方、芯が強く私はプリマドンナよ、という強烈な矜持があって、面食らうこともたびたびだった。本番の前後3日間は、修道女のような禁欲的な生活を送っていた。彼女の絶頂期は1993年に来日したときだったのではないかと思う。東京で5回コンサートを開いたが、全席売り切れだった。『キャンディード』からのアリアや、『ラクメ』の鐘の歌、『こうもり』からアデーレのアリアなど、満場の観客を狂喜させた。そのしなやかさとスケールの大きさ、輝かしさ、それに超絶的なテクニックを楽々と操るのを見て、なるほど「美は、楽々たる様子をしている」と、ジャン・コクトーの言葉を思い出して感心したものだった。彼女は七色の虹のような声によって周囲を明るく照らし、聴く者を天国のお花畑にいる気分にさせてくれた。そのグルベローヴァが地上での大きな仕事を終え天へ帰って行ってしまった。
 グルベローヴァの生き方に思いを馳せたときに、先日見たばかりのNHKのETV特集で、たまたま遠藤周作の未発表原稿「影に対して」に関する放送が頭に浮かんだ。遠藤周作の父は典型的なサラリーマン、母はヴァイオリニスト、彼は父の血と母の血の狭間で苦しんだらしく、「アスファルトの道と砂浜の道」という例えで表現している。アスファルトの道とは無難で安全な道だが、足跡は残らない。砂浜の道は、歩きにくいけれど砂浜に足跡は残る。遠藤周作の父は「生活」を優先して安定したアスファルトの道を選び、母は「生活」よりも「人生」を選び、才能の高みをめざして砂浜の道を歩んだという。そして、遠藤周作本人は砂浜の道を選んで足跡を残した。
 グルベローヴァの評伝「うぐいすとバラ」(音楽之友社)には、彼女が名声を得るまでの苦難の道が記されている。彼女の才能は天からの贈り物だったわけではない。不遇なスロヴァキア時代、屈辱を味わいながらも天から授かった声を磨き、刻苦勉励の末に獲得したものだったのだ。彼女も砂浜を歩き、輝かしい足跡を残したのだ。
 目黒駅で降り事務所に戻ると、牧阿佐美さんの訃報が入ってきて、さらにパンチをくらったように打ちのめされた。彼女は牧阿佐美バレヱ団の主宰者であり、新国立劇場バレエ団の芸術監督もつとめられたが、私は日本バレエ団連盟の前身の東京バレエ協議会の時代の駆け出しのころから長くお付き合いさせていただいた。牧阿佐美さんも砂浜の道を歩んだ人だった。亡くなる前夜、文化勲章内定の報せが本人に伝えられたと新聞報道で知ったが、これに勝る冥土の旅への餞はなかったのではないか。ご冥福を祈るばかりだ。
 では私自身はどうかと自問すると、アスファルトの道でも砂浜の道でもない。日暮れて道遠しだが、歩きにくく足跡も消えてしまうような泥濘の道をもがきながら歩いている。

 

髙橋 典夫 NBS専務理事