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2022/12/21(水)Vol.460

新「起承転々」 漂流篇 vol.69 歓喜のブラヴォー
2022/12/21(水)
2022年12月21日号
起承転々
連載

新「起承転々」 漂流篇 vol.69 歓喜のブラヴォー

歓喜のブラヴォー

 コロナ禍が始まって以来、3年ぶりに海外に出た。来年9月に予定しているローマ歌劇場日本公演の打ち合わせのためだ。コロナ禍の間はメールのやりとりやリモート会議で準備を進めていたのだが、やはりフェース・トゥー・フェースで話をすることの重要性をあらためて思い知った。今回は当方の技術監督とともに舞台装置の倉庫にも行き、ゼッフィレッリ版の『トスカ』の舞台装置をパーツごとに実際に間近で見せてもらった。
 イタリアは街中誰もマスクは着けていない。私もマスクなしで行動していたが、マスクを着けるのが長い間の習慣になっていたせいで、マスクなしの生活はまるでパンツを履いていないような心許なさを覚えるのだ。げに習慣は恐ろしい。
 ローマ歌劇場の日本公演を初めてNBSが手がけたのは2014年のことだった。そもそもNBSがローマ歌劇場日本公演を手がけることになったのは、当時音楽監督だったリッカルド・ムーティからの要請だった。マエストロとはそれまでミラノ・スカラ座やウィーン国立歌劇場の引っ越し公演、スカラ・フィルの日本公演を通じて馴染みはあったものの、私にとっては近寄りがたい存在だった。ローマ歌劇場の日本公演を実現するにあたって、さまざまな困難があったが、それを克服し成功裏に終えられたことでマエストロとの信頼関係を築けたような気がする。いま日本経済新聞の「私の履歴書」でムーティの連載が進行中だが、私にとっては1回1回がとても興味深く、毎朝、目を通すのを楽しみにしている。
 来年9月のローマ歌劇場日本公演の演目は、ゼッフィレッリ演出の『トスカ』とソフィア・コッポラ演出で前回の日本公演でも好評を博した『椿姫』の2本だ。『トスカ』はローマを舞台にしたプッチーニのオペラで言わばご当地物だが、"豪華屋"と異名をとるゼッフィレッリの生誕100年を記念しての上演になる。もう1本の『椿姫』は売れっ子女流映画監督ソフィア・コッポラ初のオペラ演出に加え、衣裳はイタリア・ファッション界の重鎮ヴァレンティノ・ガラヴァーニの衣裳が話題を呼んだものだ。まったく想像だにしなかったコロナ・パンデミックで3年間、オペラの引っ越し公演ができなかったので、このローマ歌劇場日本公演によって、4年ぶりとなるオペラ引っ越し公演復活の狼煙を上げたい。
 コロナ禍のただ中では公演ができなかったので、映像配信があふれていたが、いまはその反動で生の舞台の重要さが顧みられているようだ。ひところと比べ映像配信がめっきり少なくなっているが、これはどうやら世界的な傾向らしい。ローマ歌劇場との打ち合わせの際にも、観客が生の舞台に飢えているという話を聞いた。人々が一堂に会し、視覚や聴覚による感動を他者と共有することは人間の本能に根ざすものであって、人間の営みとして必要不可欠なものではないか。サッカーのワールドカップは日本チームの大健闘で大いに盛り上がった。長友佑都選手が発した「ブラヴォー」が一躍流行語になったが、私もテレビの画面に向かって選手たちに「ブラヴォー!」を浴びせた。テレビ観戦や配信で観るより、現地のスタジアムで観戦するほうが興奮するだろう。映像での観戦にしても、一人で観るより大勢で観たほうが、感動が増幅される。劇場も同じだ。人々が劇場に集って喜怒哀楽を共有することで、連帯感が生まれるのだ。劇場ではまだ「ブラヴォー」の掛け声は禁じられているが、「ブラヴォー」の掛け声があるかどうかで、客席の盛り上がり方がまるで違う。「ブラヴォー」は人々の連帯を強める魔法の言葉だ。ローマ滞在中、音楽監督のミケーレ・マリオッティが指揮する『カルメル会修道女の対話』というプーランク作曲のオペラを観た。頻繁に上演されるオペラではないが客席は満席で、「ブラヴォー」が盛大に飛び交っていた。
 NBSはオペラが総合芸術だということにこだわり、指揮者や歌手はもちろん、オーケストラや合唱の音楽面とともに、これまで演出や舞台装置、衣裳などにおいても優れたプロダクションの紹介に努めてきたつもりだ。簡素な舞台装置で2つの演目を1日ごとに演目を交互に変えて上演する招聘公演もあって紛らわしいが、ローマ歌劇場の場合は初日を開けるまでに『トスカ』では6日間、『椿姫』は前回も上演した経験があるから1日少ない5日間かかる。ペラペラな舞台装置ではオペラの醍醐味は伝わらない。2023年はローマ歌劇場のほかにも海外からのオペラの招聘公演が相次ぐようだが、NBSとしてはこれまでの引っ越し公演の実績を裏切ることなく、クオリティの上で観客の満足度が高い公演を提供しなければならないと思っている。
 一方で4年ぶりのオペラ引っ越し公演に心配の種は尽きない。コロナ禍の先行きはもちろんだが、経済的なリスクはいかんともしがたい。現時点で航空運賃はかつての約2倍だし、海上輸送費も3倍だ。国内のホテル代も1.5倍くらいに高騰している。極度の円安でもある。収支を考えると入場料金の設定にそれらを勘案せざるを得ない。本当にこのまま突っ込んで行っていいのかという不安が時おり頭をよぎる。オペラの引っ越し公演は経済規模が大きいだけに、集客がうまく行かないと大きな経済的な損失を被るのだ。バレエ公演はほぼコロナ禍前に戻っているように思えるが、オペラ公演は年齢の高い観客が多いせいか、まだ観客は完全に劇場に戻っていないようだ。その傾向は日本だけではなく、海外でも同じらしい。この状況下においても、なんとか最善を尽くして実現しなければならないと強い覚悟をもって臨んでいるつもりだ。勝手な言い草かもしれないが、多くのオペラ好きがコロナ禍で傷ついた劇場文化を支えようという心意気で、積極的に劇場に足を運んでいただけないものだろうか。このローマ歌劇場日本公演によって、オペラの引っ越し公演を本格始動させたい。そして、歓喜の「ブラヴォー」が客席中に響き渡る日が近いことを願うばかりだ。

髙橋 典夫 NBS専務理事