NBS News Web Magazine
毎月第1水曜日と第3水曜日更新
NBS日本舞台芸術振興会
毎月第1水曜日と第3水曜日更新

2023/01/18(水)Vol.462

新「起承転々」 漂流篇 vol.70 一陽来復
2023/01/18(水)
2023年01月18日号
起承転々
連載

新「起承転々」 漂流篇 vol.70 一陽来復

一陽来復

 昨年は私にとって酷い1年だった。私は信心深いほうではないのだが、気分を一新したくて元旦に初詣に出かけた。見上げれば、雲一つない真っ青な空、穏やかな陽光が降り注いでいる。「何となく、今年はよい事あるごとし。元日の朝、晴れて風なし」と、思わず石川啄木の歌が口をついて出た。厄落としのため久々にNBSの創立者の佐々木忠次が眠るお寺に行ってお参りした後、お神籤を引いた。『小吉』。「ものごとを控え目にし、さき走るようなことはいけません。悪い人に邪魔されたり、間違いをおこすことがあります。人との交際などに気をつける事です」とのご託宣だった。じつは去年さんざん悩まされたのが、まさにこれだったのだ。ご託宣どおりならば、まだ今年も引きずることになるのかと、ため息が出た。事の真相をいつか詳らかにする機会が来るのかもしれないが、今でないことはたしかだ。
 年末にテレビの番組で定番の2022年に亡くなった有名人の回顧映像を流していて、石原慎太郎が取り上げられた。それで思い立って、夏に買いおいていた石原慎太郎の遺稿というべき『「私」という男の生涯』(幻冬舎)というタイトルの本を引っ張り出して読んだ。本の帯に「『自分と妻』の死後の出版のために書かれた自伝」というコピーがついている。たしかに本人とその妻が存命中は公表できないことまで赤裸々に書かれている。石原氏は一人の人間として、中身のたっぷり詰まった素晴らしい人生を送ったのではないかと羨ましくもなった。運に恵まれていたのか、あるいは運を呼び寄せる努力をしたのか。石原氏は政治家としての顔が妨げとなって、文学者として正当に評価されてこなかったことに不満を抱いていたようだ。特に私には日生劇場誕生の火つけ役が当時27歳の石原氏だったという話がとても興味深かった。
 成功する人はみな運を味方につけているように思える。私が知るアーティストはみなそうだ。才能が運を呼び寄せるのだろう。3月にハンブルク・バレエ団を率いて5年ぶりに来日するジョン・ノイマイヤーもその一人だ。アメリカのミルウォーキー出身だが、英国ロイヤル・バレエ・スクールで学ぶ機会があり、シュツットガルト・バレエ団のマリシア・ハイデの目にとまり、シュツットガルト・バレエ団に誘われる。やがて振付の才能を認められた。フランクフルト・バレエ団の芸術監督として4年、ハンブルク・バレエ団の芸術監督として50年務めたが、2024年で芸術監督を退く。
 私がノイマイヤーに初めて会ったのは、ブリュッセルのモネ劇場で20世紀バレエ団の25周年記念ガラがあったときだ。38年前のことである。東京バレエ団から藤堂眞子と夏山周久が招かれベジャールの『詩人の恋』を踊った。そのときマリシア・ハイデとノイマイヤーが踊るベジャール振付の『椅子』を観たが、その時の感動はいまだに私の身体の奥底に刻印されたままだ。
 今回の日本公演で上演される演目は『シルヴィア』と〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉。この〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉もバレエによる自伝だと思った。このタイトルで2016年と18年の日本公演でも、構成作品を一部変えて上演した。ノイマイヤーにとって今回がハンブルク・バレエ団を率いての最後の日本公演になる。まさに今回の〈ジョン・ノイマイヤーの世界 Edition 2023〉は、ノイマイヤーのバレエ人生の集大成と言っていい。ハンブルク・バレエ団はこれまで8回の日本公演を行っているが、2009年から7年間日本公演が途絶えていた。ノイマイヤーは東京バレエ団に彼の作品を提供してくれていたが、ある日、直接ハンブルク・バレエ団を日本に呼んでほしいと頼まれた。結局、NBSが前のオーガナイザーから引き継いで2016年から主催することになった。現在、ノイマイヤーは御年84歳。ハンブルクを世界有数のバレエ都市に育てた功績は大きい。市民にバレエを浸透させるために自らレクチャーをしたり、バレエ学校を充実させたり、一人のアーティストが成し得た業績としては、バレエ史上においても最大級といえるのではないか。
 ノイマイヤーの後任の芸術監督はデミス・ヴォルピ。彼はまだ若いので、ノイマイヤーは彼の後見人を務めるために2024年まで1年芸術監督を延長した。副芸術監督はロイド・リギンズだが、ノイマイヤー作品を引き継いでバレエ団に残す役割だと見なされている。ノイマイヤーは最後の巨匠ともいわれるが、〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉においては、巨匠自らが舞台に登場する。これも最後の機会になるだろう。
 私が15歳のときに『太陽の季節』を読んで以来、ずっと気になる存在だった石原慎太郎と、『椅子』を観て以来、身近に感じてきたジョン・ノイマイヤー。二人に共通点があるわけではないが、私の空疎な人生の精神世界において、この二人が重要な位置を占めていたことに気づかされた。芸術にとってダイナミズムがあった良い時代に二人が活躍できたのは羨ましいかぎりだし、運に恵まれていたのだろう。
 光陰矢の如しで、ますます時の移ろいの速さが身に染みている。コロナ禍で舞台芸術が停滞していた2年半を経て、再び舞台芸術が勃興する時がやってくるのだろうか。運を切り拓く努力を続けなければならないのだろうが、かの松下幸之助は「運がいいと思いなさい。そう思ったら、どんどん運が開けてくるんだ」という言葉を残している。運は天に在り。早く冬の時代が過ぎ去り、一陽来復を祈るばかりだ。この拙いコラムに付き合ってくださっている皆さんにとっても、2023年が素晴らしい年になりますように。

髙橋 典夫 NBS専務理事