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2023/03/15(水)Vol.466

新「起承転々」 漂流篇 vol.72 劇場不足深刻
2023/03/15(水)
2023年03月15日号
起承転々
連載

新「起承転々」 漂流篇 vol.72 劇場不足深刻

劇場不足深刻

 パリ・オペラ座バレエ団のオニール八菜がエトワールに任命された。エトワールになることが期待されながら、なれそうでなれなかった時期が続いたので、我がことのように嬉しくなった。芸術監督がオレリー・デュポンからジョゼ・マルティネスに代わったことがきっかけになったのだから、どこの世界でも人事の妙はあるものだ。
 先日までジョン・ノイマイヤー率いるハンブルク・バレエ団日本公演があったが、プリンシパル・ダンサーの菅井円加の活躍には目を見張った。同団随一のダンサーだと思った。6〜7月に招聘する英国ロイヤル・バレエ団には、高田茜、金子扶生、平野亮一というプリンシパル・ダンサーがいる。日本人ダンサーが世界中で活躍している。折しも、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本中が大いに盛り上がっているが、日本人メジャーリーガーだけではなく、日本人バレエ・ダンサーも十分世界に通用しているのだ。スポーツと舞台芸術は違うとはいうものの、身体表現であり観客がいるという点では共通している。スポーツ分野だけではなく、芸術文化の世界においても、傑出した日本人がいるということをもっと世界に向かってアピールするのは重要だ。そもそも同じ日本人として誇らしいではないか。
 3年にわたり我々を苦しめていたコロナ禍もようやく出口が見えてきたが、次に我々が抱えている深刻な問題は東京の劇場不足だ。在京のバレエ団・オペラ団にとっては劇場がなければ、陸に上がった河童同然で干からびるだけだ。オペラやバレエの聖地、上野の東京文化会館は以前から改修工事が噂されていたが、どうやら本決まりになるらしい。渋谷のオーチャードホールも東急百貨店本店土地の開発計画のため平日は閉館すると聞く。芝のメルパルクホールは昨年秋に閉館した。NBSは使用することはないが三宅坂の国立劇場や帝国劇場も建て替えるようだ。これでは日本の劇場文化がどんどん衰退してしまう。
 2015年に五反田のゆうぽうとホールが閉鎖された後、関係団体が集まって築地の市場跡地に劇場を建ててほしいと当時の舛添都知事に陳情したことがあった。銀座から日比谷にかけて各種の劇場が集まっているので、築地市場跡にいま一番不足している2000から2500席を有する劇場を建てることによって、築地、銀座、有楽町、日比谷とつづく劇場群をつくろうと『東京ライブシティ構想』を都知事に提案したのだ。そのとき都知事も「劇場やコンサートホールなど、にぎわいの中心になるものがあった方がいい」とマスコミに語るなど前向きだった。それがスキャンダルで都知事を辞任したことで雲散霧消してしまったのだ。
 東京文化会館が複数年改修工事に入ったら、海外から招聘するオペラ団やバレエ団の公演は実現するのは難しくなる。NBSにとっては生死にかかわる危機だ。横浜のみなとみらい地区に新劇場を建てる計画もあったが、横浜市長が代わったことで白紙に戻ってしまった。本来ならば、東京文化会館の改修工事に入るのと連動して、横浜の新劇場が完成していれば、危機を回避できたに違いない。
 築地市場跡の計画はいろいろな話はあってもまだ確定していないようだ。もちろん、急に予算はつかないだろうが、東京の劇場不足を乗り切るために、期間限定の仮設でもいいからなんとか築地市場跡に劇場を建ててもらえないものか。先日、振付家の金森穣さんと話をしていたら、劇場を改修するなら代替の劇場を確保してから工事に入るのは当然でしょうと言う。そうならないのは日本の場合、劇場専属の団体がないからだと。日本の公共ホールは貸し小屋だから実演団体のことまで気が回らないのだ。さすがに金森さんの発言は新潟のりゅーとぴあの専属舞踊団Noism Company Niigataを率いてきた経験から出ているだけあってリアリティがある。かつてミラノ・スカラ座が大規模な改修工事をしたとき、ミラノの郊外のアルチンボルディに劇場を建てて公演活動を継続できるようにした。その間、スカラ座の建物の前からバスを出してアルチンボルディ劇場まで観客を運んでいた。劇場文化を守るためにはそれくらいのことをやらなければならないのだ。
 オペラやバレエはヨーロッパ発の世界共通の芸術だが、コロナ禍収束とともにアジアの近隣諸国でも盛んになるだろう。各国で新しい劇場も建っている。この分野では日本はアジアの先進国だったはずだが、数十年前に建てられた劇場は老朽化が進み閉館や改修工事があちこちで取り沙汰されている。建て替えるか、改修するか、閉鎖するかを迫られている、まさに転換期だ。日本の公立ホールは市民が集会やイベントを行う場であって、ヨーロッパのようにプロが舞台芸術を創る場であるという認識はない。劇場は音楽家や歌手、ダンサーといった専門家の活動拠点なのであって市民の集会場ではないのだ。
 ハンブルク・バレエ団の来日公演中、何回かノイマイヤーと話をする機会があった。ノイマイヤーは彼が芸術監督をつとめてきた50年間にハンブルクを世界有数のバレエ都市に育てた。84歳を迎えた今もまったく年齢を感じさせない。彼がカーテンコールに登場すると、毎公演、観客が総立ちになる。後任の芸術監督との引継ぎのために本来の任期を1年延長したが、ずっと早く芸術監督を辞めて自由になりたいと思っていたという。行政との折衝からも解放されると喜んでいたが、ノイマイヤーのような大御所であってもやはり長い間行政と闘ってきたのだと、妙に得心した。
 残念ながら日本の文化行政は世界の主要国と比して相当遅れていると言わざるを得ない。優秀な日本人ダンサーはこれからも次々に生まれてくるに違いないが、国内にはその受け皿となる環境が整っていないのは確かだ。年々歳々状況はどんどん変わって行くが、現場にいる私には、実態と文化行政が噛み合っているとは思えないのだ。根気強く劇場文化への理解を促し、育んでいくことでしか道は開けないのかもしれない。ああ、日暮れて道遠し。

髙橋 典夫 NBS専務理事