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2023/05/17(水)Vol.470

新「起承転々」 漂流篇 vol.74 生成AIの衝撃
2023/05/17(水)
2023年05月17日号
起承転々
連載

新「起承転々」 漂流篇 vol.74 生成AIの衝撃

生成AIの衝撃

 コロナも5月8日から5類感染症になって、季節性インフルエンザと同様の扱いになった。これをきっかけに人々が一気にマスクを外すのかと思えば、周りの目を気にする日本人はそうならないから不思議だ。それでも、喉元過ぎて熱さを忘れてしまったのか、街は賑わいを取り戻し、すでにコロナが遠い過去の出来事ことのように感じる。劇場でもようやくブラボーが解禁になったが、一日も早く完全復活し、客席中に熱気があふれることを願っている。
 東京バレエ団はまもなく古典の名作「ジゼル」を上演する。この「ジゼル」は東京で上演した後、7月にオーストラリアのメルボルンで11回上演することになっている。コロナ禍をはさんで4年ぶりの海外公演だ。オーストラリア・バレエ団の芸術監督であるデヴィツド・ホールバーグから同団の今シーズンのゲスト・カンパニーとして招かれたもので、ホールバーグがダンサーとして東京バレエ団の「ジゼル」に客演したとき、一糸乱れぬコール・ド・バレエに驚嘆したことが、今回の招待に繋がったのだ。
 「ジゼル」はバレエの歴史上、現存するもっとも古い作品のひとつで、1841年にパリ・オペラ座で初演された。それが時代とともに少しずつ改良されながら、現在まで脈々と上演され続けている。舞踊は原始宗教の儀式から生まれた人類で最も古い芸術とも言われるが、舞台芸術では悠久の昔から時間がゆっくりと流れているように思える。それでも舞台芸術は少しずつ進化しているが、その一方で、我々の実生活においては、時が凄まじいスピードで移っていくのを痛感する。
 いま一番ホットな話題が生成AIのチャットGPTだ。私は2017年6月のこのコラムで、「AI恐るべし」と題し拙文をしたためたのだが、それから6年、瞬く間にテクノロジーの世界が大きく変わっていることに愕然とする。生成AIによって産業革命以来の大きな革命が起きようとしているという声も聞く。対話型AIチャットGPTなどの登場で、文章や画像を生成するAIが一般の人でも簡単に使えるようになった。大きな恩恵が期待できる半面、リスクも高い。偽情報やプライバシーの侵害、著作権の問題などから、海外では規制をかける動きもある。日本はAIの分野で後れをとっていると言われるが、やみくもにIT業界の開発競争に振り回されるのではなく、危険を伴う文明の利器を前に立ち止まって考える必要があると私自身も感じている。
 衝撃的なのは、AIの進化によりフェイク画像が簡単につくれることだ。5秒分の誰かの音声データと1枚の写真さえあれば、簡単に人工的な動画がつくれるという。実際、バイデン米大統領が、ウクライナに米軍を送ると演説するフェイク動画がツイッターに投稿されたり、ウクライナでゼレンスキー大統領が降伏を呼びかける偽の動画が拡散されるなど、AIの作り出すフェイク情報が、戦争の行方にも影響しかねない。偽情報は、「真実」よりも20倍の速度で拡散するという研究結果もあるそうだ。サイバーテロが起こるリスクも高まる。AIは2029年には人間並みの知能を備えるようになり、2045年には人間よりも賢い知能を生み出せるという説もあるようだ。まさにSFの世界で、どんどん進化を続ける生成AIには、私の旧式のポンコツ頭ではとてもついていけそうにない。
 音楽は過去の名曲を集めて簡単に作曲することができるだろうし、絵画だってさまざまな絵のデータから、簡単に新しい絵を描くことはできるだろう。小説だって書けるらしい。映像であれば、そのうち過去の偉大なオペラ歌手やバレエダンサーの映像を合成して、映像上での新たなスターが生まれるだろう。創造とは、芸術とは何なんだろうと考え込んでしまった。
 5月9日付け朝日新聞朝刊に気になる記事が載っていた。「AI時代『表現者の権利保護を』」の大見出しに、「俳優の動きスキャン・人をコピーし作曲...懸念 現場、法整備求める」と小見出しがついている。俳優や音楽家らでつくる日本芸能従事者協会が会見し、AIによって芸術・芸能の担い手が職を失う可能性が大きいとして、権利を守るための法整備などを求めた。俳優や音楽プロデューサー、映画監督の懸念の声とともに、「実演家の姿や声、動きなどに関する権利を法律で明文化した上で特別な保護を与えたり、AIが生成に使ったデータについてクリエーターらに適切な対価を還元したりするための法整備の必要性を訴えた」という。舞台芸術に携わる我々にとっても身近で切実な問題になりつつあるのだ。
 我々の劇場芸術は生身の人間でしか生み出せないものだと思っている。AIにとって代わるものではない。もっとも人間くさい仕事だ。コロナ禍が始まったころは、リアルな公演ができなかったことから過去の舞台映像が氾濫したが、いまはその反動もあって、生の舞台の貴重さが再認識されている。人々の興味は、人間の肉体を駆使する一期一会の生の舞台に回帰してきている。これからますますAIに不可能なこと、人間にしかできないことが追求されることになるだろう。将棋の藤井聡太さんはAIと対戦によって研鑽を積んだことが知られているが、人間が成長のためにいかにAIを活用できるかが大事になってくる。AIを使いこなせる人とそうでない人の差が開くのは間違いない。技術革新のスピードが速いので、いま役に立つスキルでも、すぐに役に立たなくなるものも出てくる。技術革新に後れをとらぬように、教育を拡充し続けることが重要になるのだろう。責任をもってAIを使いこなす意志の強い個人を育てなければならないのだ。
 AIが進化すればするほど、生の舞台芸術の価値が高まるのではないか。我々の舞台芸術は観客に感動を提供する仕事だ。いくらテクノロジーが発展しても、人間ならではの感動は変わることはなく、生の舞台芸術は未来永劫存続すると信じている。生成AIチャットGPTの登場によって、人間にしかできないことは何か、生身の芸術と技術革新についてあらためて考えさせられた。

髙橋 典夫 NBS専務理事