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2024/01/24(水)Vol.486

新「起承転々」 漂流篇 vol.82 生きる
2024/01/24(水)
2024年01月24日号
起承転々
連載

新「起承転々」 漂流篇 vol.82 生きる

生きる

 2024年の辰年は龍が暴れ回る1年になるのだろうか。元日早々に発災した能登半島地震の惨状をテレビで見て、にわかに信じられなかった。私も元日に初詣に行き、今年が良い年であるようにと祈ったばかりだったのだが、被災地でも初詣で1年の平穏無事を祈った人は多かっただろう。その矢先の出来事だ。被災者のことを想うと胸がつぶれる思いだが、1日も早く物心両面で日常を取り戻してもらいたいと願うばかりだ。2日には救援物資を運ぶ海保機とJAL機が衝突し、赤々と炎を上げる映像に驚愕した。続けざまのショッキングな出来事に、「神は死んだ」というニーチェの言葉が頭をよぎった。神を頼っても仕方なく、人生は不条理だが運命を愛さなければならないということだろう。身近にもかつて一緒に仕事をしたことのある人たちの訃報が相次いで、年初から人間の生死について身につまされている。2024年はアメリカ大統領選をはじめ世界中で重要な選挙があり、その結果によって予期せぬことが起こるのではないかと不安視されている。我々の本分である舞台芸術を取り巻く状況も深刻で、私もいくつもの心配事を抱えている。
 4日の毎日新聞朝刊に「劇場なくして文化都市なし」という秋野有紀氏(文化政策学が専門の早稲田大学教授)の論考が載っていた。一読して、我が意を得たりと思わず膝を打った。私がこのコラムでたびたび取り上げてきたことと重なるところがいくつもある。劇場が次々に休館することについて、秋野有紀教授は「公演機会の喪失は、技の伝承と人材育成を断ち、市民から鑑賞機会を奪う。戦後60年、東京はニューヨーク市と並んで世界でも最高水準の舞台が招へいされる国際公演都市となり、目の肥えた市民を育ててきた」と記されている。まったくその通りなのだが、このことがいったいどれくらいの人々に認識されているのだろうか。NBSはこれまでの実績から目の肥えた観客を育てることにいくらか貢献できたのではないかと自負しているが、招聘公演も年々難しくなっている。今年一番の心配の種は6月~7月に控えている英国ロイヤル・オペラの引っ越し公演だ。同オペラハウスはいま世界でもっとも勢いのあるオペラ団と言っていいだろう。まもなくチケットの前売りが始まるが、入場料が一挙に高くなったので驚いた人もいたに違いない。極度の円安に加え、航空運賃、海上輸送費、宿泊費をはじめとす制作費の高騰はいかんともしがたく、やむなく入場料の設定に反映せざるを得なかった。心苦しい限りだが、NBSのような財政基盤が脆弱な民間団体にはオペラの引っ越し公演はリスクが大きすぎるのだ。この入場料金を観客の皆さまに受け入れていただけるのか不安で仕方ないが、本格的なオペラ引っ越し公演を存続させるためにオペラを愛する方々のご理解を切にお願いしたい。
 また、秋野教授は「劇場建設や運営には官民協働が不可欠だが、業界の停滞を回避するための縦割りを超えた調整機能は、国際的にも現代の公共政策の主流にある」とも記されている。今後ますます首都圏の劇場不足は深刻になってくるだろうが、行政は縦割りで横の調整機能がないのだ。我々実演団体は小屋がなければ公演を打てないのだから、国や自治体は我々を見殺しにするのかと呪いたくもなる。
 人の生死に関し敏感になっていたところ、8日にNHKで黒澤明監督の映画『生きる』がテレビ放送された。成人の日のための企画だったのだろう。私は学生時代にこの映画を見て感銘を受けたのだが、なぜか40年以上を経て、いまのタイミングで再び見る機会が巡ってきたことに神の啓示のようなものを感じたのだ。1952年に公開されたモノクロ作品で風俗が時代を感じさせるが、ストーリーは時代を超えた普遍的なものだ。主人公は市役所の市民課長。事なかれ主義で30年間無欠勤の模範的な役人。市民からの陳情をたらい回しにする。その主人公が胃癌で余命いくばくもないことを知り、自分の人生は何だったのか自問し、限られた時間に急き立てられるようにして自分が生きた証を求めて真剣に仕事に取り組む。それは市民から陳情されていた下水溜まりの埋め立てと小さな公園の建設だった。小雪の舞う夜、主人公は完成した公園のブランコに揺られ「いのち短し恋せよ少女(おとめ) 朱(あか)き唇あせぬまに 熱き血潮の冷えぬ間に 明日の月日のないものを」と「ゴンドラの唄」を口ずさみながら息を引き取る。
 若い学生時代にこの映画を見たときと、今回見直した印象は大きく違った。この映画がこれほど非人間的な官僚主義を痛烈に批判したものだとは思わなかったが、滑稽なくらい現在に通じるものがある。『生きる』が創られた72年前と現在では、世界がグローバル化していて単純に比較できないにしても、いまだに政治や行政が実態と乖離しているのではないか。それは舞台芸術の現場でもたびたび感じることだ。日本がどんどん沈没しているのは、時代がもの凄いスピードで移っていっているにもかかわらず、政治や行政システムが時代に追いついていないからではないか。
 秋野教授の文化政策学からの論考と、『生きる』で描かれた非人間的な官僚主義に接し、はたして、わが国の文化政策と文化行政はうまく連動しているのだろうかと思いを巡らせた。少なくても現場感覚としてはそう思えない。行政の担当者が2~3年で異動になるのも、継続性という観点から問題ではないかと考えている。国際的な視点で政治や行政が我が国の文化政策や劇場問題を大所高所から捉えているとは思えないのだ。『生きる』の主人公が人生の最後に小さな公園を造ることに情熱を傾けたように、一人ひとりが各々の仕事に情熱をもって真剣に取り組めば、日本もまた昇龍の勢いを取り戻すことができるのではないか。私も人生を終えるまでに、我々の舞台芸術の世界において、「小さな公園」を完成させるくらいの貢献をしなければと思った次第。

髙橋 典夫 NBS専務理事