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2024/02/21(水)Vol.488

新「起承転々」 漂流篇 vol.83 時 代
2024/02/21(水)
2024年02月21日号
起承転々
連載

新「起承転々」 漂流篇 vol.83 時 代

時 代

 このところ、昔一緒に仕事をしたことのある人の訃報が相次いでいて、そのたびに当時のことを思い返している。季節がうつるように時代がどんどん変わっていくのを身にしみて感じる。この拙稿は連日続くパリ・オペラ座バレエ団日本公演の合間を縫って、公演会場で細切れの時間に書き綴っているのだが、ここ数週間に起こった出来事が頭の中をめぐり、さまざまな思いが交錯してうまくまとまらない。
 パリ・オペラ座バレエ団の公演は、連日スタンディング・オベーションでたいへんな盛り上がりを見せているが、どうしても思い出すのは4年前の日本公演のことだ。コロナ禍が始まったばかりで、一日一日、公演ができるのかどうかでピリピリしていた。中止になったら、お客さまにチケット代の払い戻しをしなければならない。中止に追い込まれたらNBSは潰れてしまうと毎日生きた心地がしなかった。今日も何とかできた、明日も何とかやりたいと必死にもがいて、どうにか最後まで公演をやり切れたことが昨日のことのように蘇ってくる。パリ・オペラ座バレエ団側、NBS側が最後までツアーをやり抜くんだという強い気持ちでパンデミックに立ち向かったからこそ実現できた奇跡だったと、いまでも思っている。あれからすでに4年も経ったのだ。芸術監督もオレリー・デュポンからジョゼ・マルティネスの時代にうつり、今回の公演では何の憂いもなくパワー全開だ。
 パリ・オペラ座バレエ団日本公演に先立つ2月2日。突然、モーリス・ベジャール・バレエ団の芸術監督ジル・ロマン解任の報が飛び込んできた。呆然とした。その4日前にジルとリモート会議で、今秋予定している日本公演の演目を協議したばかりだったのだ。パリ・オペラ座バレエ団の公演会場でも、何人ものお客さまからジルを救えないのかと声をかけられた。この解任劇の発端は約3年前に遡る。プロダクション・ディレクターがセクシャル・ハラスメントにあたる言動をしたと解雇され、ジル本人もパワー・ハラスメントを疑われて窮地に立たされていた。私はつぶさに実状を知っているわけではないので軽々に物を言うことを控えるが、ジルはベジャールの後を継いでよくやってきたと思う。私はジルの気性の激しさを知っているし、彼の芸術性の高みをめざす執念も知っているつもりだ。バレエにおける指導なのかパワハラなのかは、受け手によって差があって、そのダンサーとジルとの距離も影響するのだろうと思う。ベジャール・バレエ団はローザンヌ市が所轄する「ベジャール・バレエ・ローザンヌ財団」が運営するが、ジルに批判的な財団の副理事長がジルを芸術監督解任に追い込んだと噂されている。ジルの後任の芸術監督には暫定的とはいうものの、ジュリアン・ファヴローが指名されている。ジルが去った後、芸術的なレヴェルがどこまで維持できるのかはまったく未知数だが、期待するほかない。
 2月6日には指揮者の小澤征爾氏が亡くなって、ついに来るべきものが来たとおののいた。小澤さんの訃報はマスメディアが一斉に報じたが、報道の量からしても小澤さんの存在の大きさがわかる。まさに音楽界の"アイコン"だった。小澤さんがいなかったら、日本人アーティストの海外進出がここまで盛んにはならなかったろう。ずいぶん昔に小澤さんが26歳のときに書いた『ボクの音楽武者修行』という本を読んだが、痛快な青春小説のようだった。1959年に貨物船でマルセイユまで行き、そこからスクーターでパリにたどり着く、61年にニューヨーク・フィルの副指揮者に就任し、演奏旅行で日本に凱旋するまでが描かれている。その後、1973年にボストン交響楽団の音楽監督に就任、2002年にはクラシック音楽界の最高峰のポストといえるウィーン国立歌劇場の音楽監督に就いた。時代に背中を押された面もあったと思うが、才能と情熱、意志の力が運を呼び寄せたのだろう。毎朝5時に起きて楽譜を勉強し続けた努力の人でもあった。
 小澤さんがウィーン国立歌劇場の音楽監督のとき、2度の同劇場の引っ越し公演で一緒にお仕事をさせていただいた。飾らない人柄で誰とも壁をつくることなくコミュニケーションがとれた。周囲を惹き付ける人間的な魅力を備えているのだ。愛娘の征良さんが父を尊敬する理由として、征爾さんの言葉「ぼくが音楽を好きだという気持ちと、7歳の子が音楽を好きと思う気持ちは全く同じ。音楽はあらゆる国境も言語も文化の違いも人種も超えて、人の心と心を繋ぐことができる」(文藝春秋2023年9月号)を挙げているが、まさに「世界のオザワ」と言われる所以だろう。
 日本での活動は、「小澤征爾音楽塾」など教育と後進の育成に積極的に取り組まれた。NBSは2012年のウィーン国立歌劇場日本ツアーの一環として、小澤さんが同劇場で製作した小学生のためのオペラ『魔笛』をKAAT神奈川芸術劇場で上演した。そのとき小澤さんに「子どもたちには大人以上に真剣に向き合わなければならないんだ」と言われたが、その一言が重く響いた。それがNBSも子ども向けの公演に本格的に取り組むことにつながったのだ。日本のみならず世界の音楽界に大きな足跡を残した、日本が誇るマエストロだった。小澤征爾死去の報に、一つの時代の終わりを感じたのは私だけではないだろう。
 劇場で起こることは社会の縮図である。舞台上でくり広げられる身体表現や演奏される音楽は美しいが、ダンサーも音楽家も普通の人間である。神様や聖人君子などではない。私なりに言わせていただければ、表現者として生きたいという人生の目標をもって研鑽に励んでいる人たちは、例外なく自己顕示欲が強く、上昇志向が高い。それゆえ、人と人との織り成すドラマが生まれる。成功もあれば挫折もある。私自身アーティストの感情の荒波に揉まれ、その波間を漂いながら、これまでどうにか生き延びてきたという思いが強い。良いも悪いもアーティストたちの感情のエネルギーの爆発が、舞台を生き生きとさせてきたのだ。このところ、さまざまな思いに絡めとられているが、私の中では物かわり星うつり、古い時代がどんどん遠のいていくばかりだ。

髙橋 典夫 NBS専務理事