連日の猛暑で朦朧としている。英国ロイヤル・オペラの日本公演が7月2日に終り、気持ちが切り替わらないまま7月27日初日の〈第17回世界バレエフェスティバル〉に突入した。全幕特別プロ「ラ・バヤデール」を皮切りに、Aプロ、Bプロ、ガラと続いたが、熱帯のような気候の中、疾風怒涛の16日間をどうにか乗り切った。この〈バレエフェス〉は3年ごとに開催しているが、2021年の前回はコロナ禍の真っ只中で、1年後ろ倒しになった東京オリンピックとパラリンピックの合間だった。今回はパリオリンピックと完全に時期がダブっていたが、あれから早3年が経ったのかと、あらためて感慨にふけってしまった。前回はコロナ禍で入国制限や感染対策、入場制限など開催に至るまで血を吐くような毎日で、開催規模も縮小せざるを得なかったが、それでも多くの人の後押しがあって、なんとか実現することができた。今回の〈バレエフェス〉は花をテーマにしたが、私なりに今回は満開でやりたいという思いを込めたつもりだ。もともと〈バレエフェス〉は他の公演に比べ海外からの観客が多いのだが、今回の〈バレエフェス〉は日本博の助成金により海外からの誘客に努めたこともあって、外国人のお客さまがこれまで以上に多かった。特に中国語や韓国語が多く飛び交っていた。韓国人のスターダンサー、キム・キミンが出演したことも影響したかもしれない。手前味噌との誹りを受けるかもしれないが、48年間続いてきた〈バレエフェス〉は日本が世界に誇れる文化資源になっているという思いが、今回さらに強くなった。
この〈バレエフェス〉を観に来た韓国国立バレエ団のダンサーから話を聞く機会があった。かつて2017年に日本バレエ団連盟がまとめた調査報告書「韓国におけるバレエ団の運営実態と助成制度」に目を通したことがあって、お隣の国、韓国バレエ界の状況にはとても関心があった。今回あらためて日本と韓国のバレエ事情を比較する機会となって、考えさせられてしまった。韓国国立バレエ団の年間公演数は120~130回ほど、海外公演もコンスタントに行い、主に欧米圏で公演しているという。団員は全体でおよそ100名、期間の定めのない雇用契約を締結するダンサーが65名程度いるという。ダンサーの多くを雇用契約で抱えるバレエ団は韓国国立バレエ団とユニバーサル・バレエ団のみで、その他小規模のバレエ団は継続的に多くのダンサーを抱えることができないので、一部のダンサーのみを雇用したり、プロジェクトごとの契約になったりしていることも多いようだ。
韓国でのバレエ教育についても聞いた。韓国では各都市に芸術系の中学校があり、まず中学校への入学が難関という。さらに、芸術系の高校に入る場合には、各都市の精鋭が受験する形で選抜される。キム・キミンの出身校である韓国芸術総合学校は、その当時約200人が受験して合格者が14人程度という狭き門だそうだ。高校を卒業してプロになるのは一部で、ある学年は20人中7人が国内外のバレエ団に就職し、そのほかの人は大学に進学してコーチになったり、バレエから離れたりと、プロのダンサーとは別の道を歩むのだという。世宗大学の舞踊科も200人が受験すると合格者はその10分の1程度。プロになるのは当時1~2名だったらしい。また、韓国でバレエを習うために海外に出る場合、まずは国内の教育システムを経るので、海外に出るのは早くて高校を卒業してからとのことで、若いうちから海外で学べる日本人を羨ましく思っていたとの発言もあった。この話を聞くに、韓国におけるプロのダンサーになるための教育は、欧米の教育システムに近く、お稽古事文化から始まっている日本のバレエは、バレエ学習者の裾野は広いが、プロになるためのシステムは海外の状況と比較しても特異の発展の仕方をしてきたように思う。
最近ソウルと光州に劇場ができ、このあと12月頃には釜山にも劇場ができるようだが、そこの劇場に専属バレエ団もつくるらしい。バレエの分野においては日本の方が先進国だと思っていたが、こうした話を聞くと日本は韓国に後れをとっているのではないかとショックを受けた。韓国は他の分野でも感じるところだが、国策として欧米の良いところを研究し、積極的に取り入れているように思える。日本と韓国はライバルと見なされることが多いが、国や地方自治体のバレエへの取り組み方において彼我の違いは歴然だ。韓国は国土の面積は日本の約4分の1、人口は日本のおよそ半分だが、文化予算は日本の約4倍ついている。日本は政治や行政の旧来のシステムをなかなか変えられず、硬直化しているのではないか。私は40年以上の長きにわたって日本のバレエ界の片隅に棲息してきたが、ほとんど変わっていないと感じる。時代や環境が変わっているのに、それに合わせて進化していない。グローバル戦略がなく、どんどんガラパゴス化しているのではないか。バレエやオペラ、オーケストラなどはグローバルな芸術なのだから、国際標準でなければ世界に通用するはずがないのだ。
NBSが運営する東京バレエ団は来る8月30日に60回目の創立記念日を迎える。これに合わせて60年史「東京バレエ団60年のあゆみ」を製作しているが、あらためて東京バレエ団の創立者・佐々木忠次は設立当初から国際標準をめざしていたことがわかる。振り返ってみると、佐々木の闘いは東京バレエ団を世界に通用する国際的なバレエ団にすることだったのではないかと思う。近年はバレエの分野においてもアジアの近隣諸国の台頭がめざましく、海外の主要なバレエ団においてもアジア系のダンサーの活躍が目立つ。パリオリンピックでは日本人選手の活躍が目を引いたが、オリンピックに出られるようなアスリートたちには、公的にも民間からも支援が得られる体制が整っているように思える。日本のバレエ界も過去のしがらみに捉われず、韓国を見習って国際標準に変わらなければならないのではないか。そのためには国や地方自治体などの文化政策、文化行政のシステムをドラスティックに変える必要があるが、それが一番の難関のように思える。だが、それができなければ、この先も日本は世界の主要国に後れをとる一方だろう。今回の〈バレエフェス〉では身をもって感じさせられることが多く、暑さで朦朧とした頭にさまざまな思いが巡った。
髙橋 典夫 NBS専務理事