最初に断わっておきたいのだが私は政治的な人間ではない。ただ、政治に関心がないわけでもない。このところの自民党の総裁選から、石破政権誕生、それに裏金議員の公認問題、国会論戦もそこそこに就任から8日で衆院の解散へとのドタバタを見ていると、一国民として愚弄されているようで政治に対する不信感がますます募るばかりだ。権謀術数が渦巻く世界であっても、国民感情から遊離しているとしか思えず、私と同様、日本の行く末を案じる人は多いのではないか。日本が目に見えて衰退していくのは、バブル期の熱気を経験してきたものにとって、やるせない限りだ。私は長い間バレエやオペラの世界の一隅にいて、2000年代以降、仕事を通じて日本がどんどん沈没していくのを身をもって感じてきた。コロナ禍においては日本の国は舞台芸術に対して冷たいということを痛感した。たしかに日本では昔から歌舞音曲は社会的に低く見られてきた歴史はあるものの、現在に至るまで芸術文化が軽視されつづけているのは変わらない。私の身近なオペラやバレエでいえば、グローバルな芸術なのにもかかわらず、国際的な視点が欠けているのではないかと思う。それは文化政策や文化行政が世界を見ていないのであって、結局、行き着く先は政治だと私は思っている。海外の主要国と比べても、わが国のオペラ・バレエが屈辱的と思えるほど国から低く見なされていると感じる。これは政治や行政が海外と比べても文化の重要性を認識していないからだろう。
10月9日配信のニューズウィーク日本版のサイトに「21世紀の首都圏はがらんどう」という記事が載ってた。「アステイオン」100号(公益財団法人サントリー文化財団、アステイオン編集委員会編 CCCメディアハウス刊、2024年5月)から転載されたものだが、劇場問題に関し音楽評論家の片山杜秀氏と文芸評論家の三浦雅士氏が発言していて、そうだそうだと頷きながら読んだ。少し長くなるが抜粋して引用させていただく。
片山杜秀氏の発言「メルパルク、ゆうぽうと、厚生年金など古いホールは閉めて建て替えられずに終わってしまった。国立劇場は建て直し。オーチャードホールのあるBunkamuraも長期間閉めているでしょう。神奈川県民ホールは閉館してしまう。東京文化会館も長く改修が入ると聞きます。21世紀の首都圏はこれではがらんどうみたいなものです。・・・80年代には、サントリーホールが建ち、オーチャードホールが建ち、官僚や政治家にもそういう"古風"な価値観に共鳴する実力者が世代的に居ましたから、東京都も東京芸術劇場を建てたし、彩の国さいたま芸術劇場とか川崎市のミューザとか、都市周辺にまで波及していきました。もちろん新国立劇場もできた。しかし、『もっと建てよう』というムードはその辺までだったのではないですか。さらにその後は、『何でこんなものを建てたのか。金がかかるだけじゃないか』となり、さらに、先ほど言ったように古いホールなどは老朽化で取り壊しとなって、『後継ホールをつくるのはやめましょう』ということで、80年代、90年代に建って、その前からあったものと組み合わさって豊かだった環境が今日では続かなくなっています。」
三浦雅士氏の発言「欧州を見れば、パリ、ロンドン、ウィーン、ベルリンなど、都市計画で都市の中心に必ずオペラハウスに類するものがつくられている。翻って日本は、明治から大正にかけては日比谷公会堂があり帝国劇場があったのに、そういうことを考える官僚や政治家がもはやいなくなってしまった。・・・日本政府は劇場事業について大所高所から見ることをしません。見る機関もない。・・・『1つの都市にはこの規模のオペラハウスが必要だ』と配慮する人が国のトップにいないことが、持続的な問題としてあると思います。本当の外交には劇場が必要なんです。・・・いくら何でも、ゆうぽうとがなくなり、メルパルクがなくなり、国立劇場がなくなり、全部なくなっても誰も何も言わないという状況はいびつであるということは言っておいたほうがいい。そして、それを話題にする媒体がないということも問題です。新聞もテレビもジャーナリズムとして機能していない。」
私には二人の碩学の発言はずしんと腑に落ちた。いまや、ポピュラーなイベントをやるアリーナは造っても、"古風"な価値観の劇場を建てる必要はないということか。時代が移り変わり、オペラやバレエ、伝統芸能などは古いからなおざりでいいということだろうか。そうであるなら、やはり日本は世界の主要国と芸術文化に対する価値観が違うということだ。そうした空気があるから、東京の劇場不足が世間を騒がす話題にならないのかもしれない。隼町の国立劇場閉館の話だって、わが国の伝統文化の継承に関わる深刻な話なのに、世間の耳目を集める話題になっていない。
日本が劇場文化に冷たいと思うのは、本コラムの8月号で触れた韓国の状況と比較しても明白だ。韓国は国策として欧米のバレエ先進国の実情を研究し、良いと思えるところを大胆に取り入れている。一方、日本はお稽古事から始まったバレエ文化を引きずっていて大きく変えられない。先日、NBS理事の東海千尋が韓国のバレエ事情を視察に行ってきた。一言でいって日本は韓国より相当遅れてしまっているという。紙幅がないので一例だけ示すと、東京に例えれば台場のようなロケーションに「芸術の殿堂」と称される1988年創立の芸術施設群がある。その広さはなんと270,000平方メートルで、東京ドームの約6個分という。あらゆる大きさのホールを備えていて、四面舞台の機構を持つオペラシアター(2,340席)のほか中劇場(1,004席)・小劇場(241席)ではバレエ・オペラから演劇までさまざまな作品が上演される。また、音楽のためのホールも、リサイタルホール(2,505席)・室内楽用ホール(600席)・リサイタルホール(354席)と多様な公演に対応できる。加えて、野外劇場を備えているほか、韓国国立芸術大学の建物も擁しているというのだから、日本の環境との違いに呆然とするばかりだ。どうして東京でも築地の市場跡に「芸術の殿堂」のような構想が描けなかったのか、と思ってしまった。築地のような東京都が所有する数少ない限られた一等地に、なぜ公共的な施設だけではなく、民間のマンションを建てなければならないのか。民間のデベロッパー任せでは一番儲かるマンションを建てることになるのは当然といえば当然の話だ。都市計画がないのだ。これは日本の政治や行政が、場当たり的で文化の重要度を認識していないからだとしか私には思えない。日本がどうして変われないのかは、私の身近な舞台芸術の世界だけの話ではない。日本の国全体に関わる大きな問題だと思っている。
日本はかつて技術大国といわれ世界から尊敬されていたと思うが、いまや海外からのインバウンド需要に頼っているようで、昭和世代としては情けなく思ってしまう。それならそれで劇場は観光資源でもあるのだから、もっと劇場整備に力を入れ、そこで上演されるコンテンツを充実させるべきなのではないか。いつの間にか日本は観光立国に変わっていて、インバウンドは観光やショッピング、日本食、アニメなど日本の文化に支えられているのではないか。NBSが招聘している外国人アーティストたちは、日本の文化は素晴らしいと口をそろえる。これまで「文化は票にならない」といわれ、政治家たちからないがしろにされてきた。不遜ながら私流に言わせてもらえば、いまや日本は過去の遺産で食いつなぐ観光立国に成り下がってしまったのだから、いっそのこと将来の観光資源として芸術文化にもっと力を入れるべきではないだろうか。私は芸術文化を軽んじる日本の将来を憂えている。芸術文化は日本人の気品とかプライドに関わっていると思う。10月27日に衆院選があるが、新しい政権には芸術文化の重要性を認識してもらい、大所高所からこれ以上日本が沈没する前に具体的な政策づくりに取り組んでもらいたい。
髙橋 典夫 NBS専務理事