シュツットガルト・バレエ団の日本公演を終えたところだ。今回はクランコ振付の「オネーギン」とノイマイヤー振付の「椿姫」を上演したが、連日、スタンディング・オベーションで大いに盛り上がった。同バレエ団の評価も一段と上がったと思う。このところ劇場不足問題に関する報道が相次いだ。私なりに本コラムで書きたいテーマはいくつかあるのだが、我々にとって一番切実なのは劇場問題だから、優先して今号でもこの問題を取り上げることにする。10月29日付け読売新聞夕刊に「大ホール不足 首都圏で再び」と題する記事が載り、その記事がYahoo!ニュースでも取り上げられた。日本経済新聞も朝刊の「迫真」欄で11月4日から7日まで「文化インフラ決壊前夜」と銘打ち、4回にわたって「伝統芸能の『顔』休眠」、「箱を失うバレエ・オペラ」などといった見出しで報じたし、共同通信も劇場不足問題を取り上げて配信した。そのせいもあってか公演会場で何人もの人から東京文化会館の休館中はどうなるのか、と声をかけられた。舞台装置のほとんどないガラ公演のようなプログラムならまだしも、今回の「オネーギン」や「椿姫」のような大掛かりな舞台装置を必要とする作品を上演できる劇場が他にないから、海外からの招聘公演は難しくなると答えるほかなかった。東京文化会館の代わりになる劇場は、舞台機構的に東京近郊では初台の新国立劇場以外にはないのが実態だが、新国立劇場は原則として外部の招聘公演には貸し出さない方針だという。地方都市にも立派な劇場があるから、そこを使ったらどうかとしばしば尋ねられるが、十分な舞台機構を備えた素晴らしい劇場であっても集客が難しい。公演ができるにしても1回かせいぜいで2回だから、海外からの団体の日本ツアーは経済的に成立しないのだ。
最近の記事でも昨年10月に改築のために閉場した伝統芸能の殿堂、国立劇場の窮状が報じられているが、オペラやバレエの世界にも同様なことが起こりうるので身につまされている。国立劇場は2回の入札で建設業者が決まらず物議を醸したが、3度目の入札は2年後になるという。そこで決まったとしても、新しい劇場ができるまでに6年はかかるといわれている。都合9年間伝統芸能の「聖地」がない状態が続くことになる。閉場以降、歌舞伎や日本舞踊、文楽の主催公演は都内の別の公共ホールなどを借りて開催されているようだが、国立劇場が使えないことによって、コロナ禍前の2019年と比べ歌舞伎の主催公演日数が4割以上減少しているらしい。この状態がこれから8年続いたらいったいどうなるのか。演者や裏方などが少しずつ離れてしまい、公演ができなくなる可能性すらあるという。劇場というハードと舞台芸術というソフトはコインの裏表のように一体のものだから、劇場が閉場されることによってお客が離れてしまうのも無理はない。日本の貴重な文化的財産である伝統芸能をこのまま見殺しにしていいのか。国立劇場の関係者によると、改築の話が出たときから代替え施設や事業継続に関して懸念する声があったとのこと。現場ではそれが分かっていても手をこまねいたまま、現在のような状況に陥ってしまったということだ。
東京文化会館の改修も公共工事だから入札になるのだろうが、そこで不調になったら当初予定されている3年の改修工事の期間が延びることになる。NBSが運営する東京バレエ団は国内や海外のツアーを増やすなどして、何としても公演活動を継続し、団体を維持しなけなければならないと思っているが、NBSのもう一つの事業の柱であるオペラの引っ越し公演、海外のバレエ団の招聘公演に関しては完全にお手上げだ。我々には手の打ちようがない。NBSとしては当然公演数が減り、間違いなく観客も離れていってしまうことになるだろう。この劇場不足を機に廃業を考えている同業他社もあるらしいが、招聘公演ができなければNBSの事業規模は半分以下になるから、それに合わせて事務所の規模も縮小せざるを得ないかもしれない。東京文化会館の3年間の休館は、NBSにとって存亡に関わる切実な問題なのだ。この首都圏の劇場不足問題によって、日本のオペラ・バレエ文化がどんどん衰退していくのは目に見えている。
Yahoo!ニュースに対するコメントで気になるものがあった。建設計画が頓挫してしまった横浜の新劇場ができていれば、少しは違ったのに残念だというものだ。実は建設計画が立ち上がる段階から私も意見を求められていたが、当初から、横浜の新劇場のオープンを東京文化会館が改修工事に入るタイミングに合わせたほうがいいという話が出ていた。東京文化会館が使えなければ、それまで同館で公演してきたオペラやバレエは、横浜の新劇場に移ることになるだろう。新劇場が素晴らしければ、東京からも観客が行くだろうし、地元の新たな観客も育つのではないか。そうした目論見があったのだ。ところが市長選の際に政争の具に使われ、神奈川県民ホールがあるのだから新劇場は不要だという建設反対の意見が大きくなった。そして市長が代わったことで、この計画はすべて白紙に返ってしまった。その後、神奈川県民ホールが2025年4月から改築のため閉館すると発表があった。どうして、事前に神奈川県と横浜市が連携して調整できなかったのだろう。これこそ縦割り行政の典型的な例で、このたびの劇場不足問題を招いた根本的な原因がここにあるのかもしれない。
こんなにも東京近郊の劇場不足が深刻な状況にあるにもかかわらず、世間の関心は不思議なくらい薄い。知人に東京文化会館が3年間休館するので大変だと嘆いたところ、サントリーホールは使えないのかと問われて愕然としたこともある。それが劇場にあまり縁のない普通の人の認識かもしれない。2015年に五反田のゆうぽうとが閉館したときも同様に劇場不足問題が取り沙汰され、多くのマス・メディアが一斉に報じた。今回の劇場不足はそのときと比較にならないほど深刻なのに、世論が大きなうねりになっていない。私なりに考えを巡らせてみると、SNSが発達・普及する中で、新聞やテレビなどのマス・メディアの影響力が落ちているのではないか。一方SNS上で、劇場は一部の人たちのものでしかないから不要だといった、劇場文化にまったく興味も関心もない人たちが無責任に反対意見を主張している。これが劇場不足問題の本質を見えなくしている一因かもしれない。権威ある新聞の記事も個人がSNSに上げた意見も、重さの違いがあまり感じられなくなっているのではないか。それは劇場問題だけではなく、いまや社会全般のさまざまな問題に通じることかもしれない。
私はNBSが招聘している海外の団体やアーティストたちとの間で、東京の劇場不足問題に話が及ぶたびに居たたまれない思いをしている。恥ずかしい。国際的な常識ではありえないことだ。日本の伝統芸能にしても、すでに日本の文化として定着しているオペラやバレエなどにしても、政治や行政は劇場文化を見殺しにするのかと私は訴えたい。劇場不足問題の深刻さが一般に理解されず、社会問題化されなければ、コップの中の嵐でこのまま何も変わらず劇場文化が衰退してしまうだけだ。この問題は民間で解決できることではない。この状態が国際的にも異常事態であることを政治や行政の当事者たちがしっかりと理解し、大局的な視点で解決に向けて真剣に取り組んでほしい。この令和の劇場不足騒動は、日本の舞台芸術史上に大きな汚点として刻まれることだろう。おこがましくも、私はそのことをはっきりと予言しておきたいと思う。
髙橋 典夫 NBS専務理事