年末年始の休みに入った途端、気が緩んだせいか風邪をひいてしまった。実は休みをとると体調を崩すことが多く、回遊魚のマグロやカツオが泳ぎ続けないと死んでしまうように、貧乏性の私は仕事をしていないと死んでしまうかもしれないと自嘲している。やむなく外出を控えて、買い置いていた本を読むことにした。その中の一冊が鈴木忠平著のノンフィクション『アンビシャス 北海道にボールパークを創った男たち』(文芸春秋)だ。日本ハムファイターズが総工費600億円を投じて完成させたエスコンフィールドHOKKAIDOを造った男たちの物語だ。マスコミを通じて見聞するエスコンフィールドの情報から、ボールパークというのが、我々の主戦場である劇場に通じるものがあって、以前から関心があったのだ。
そもそも日本ハムファイターズは東京ドームを本拠地にしていたものの、あくまで仮の住まいだったから、札幌ドームに本拠を移した。それでも、サッカー場と併用だったので野球にふさわしい芝生ではなく、さまざまな不具合があって改修する必要があったが、札幌ドームでは難しく、将来のために新しい球場を造る必要があった。札幌市と北広島市の熾烈なファイターズ誘致合戦の結果、軍配は北広島にあがったが、そこに至るまでの紆余曲折、担当者たちの奮闘ぶりが面白かった。NHKテレビの人気番組「プロジェクトX」のように、このプロジェクトに関わった人たちの情熱と苦難と努力が描かれていて、読んでいて胸が熱くなった。球団にとってホームグラウンドは重要だ。阪神といえば甲子園、ジャイアンツと言えば東京ドーム、ソフトバンクといえば福岡ドームなどなど。あらためて野球場と劇場は共通点が多いと思う。エスコンフィールドはアメリカ大リーグのボールパークを目標に構想された。街を活性化させる原動力になることが期待されているが、一方、劇場のほうは海外では都市の中心に位置していて、劇場を中心に街が発展してきたのだ。エスコンフィールドによって北広島市が発展していくことは間違いないだろう。NBSはこれまで東京文化会館をホームグラウンドのようにして公演を行ってきたが、そこが2026年5月から3年間改修工事で使えなくなる。
このノンフィクションを読んで、私の心にしばらく眠っていた熱いものが蘇ってくるのを感じた。私にはどうしても思い出されることがあった。以前、このコラムで少し触れたことがあるが、舛添要一元都知事の時代には築地の市場跡に本格的な劇場ができる可能性があったのだ。時は2015年に遡るが、仲介してくれる人がいて、私は当時舛添氏の個人的な勉強会に何度か出席していた。舛添氏のウォーターフロント開発の構想を興味深く聞いた。当時から築地市場跡にオペラハウスができないものかと考えていた私は、2015年9月に舛添氏と直接電話で話をすることになった。そのとき舛添氏から、それならばその劇場のプランをつくってくれといわれたのだ。そういわれて私は頭を抱えてしまった。私の限られたコネクションから、ある高名な建築家を紹介してもらい、その建築家からさらに劇場建設が専門の大学教授を紹介され、その教授と話をするうちにプランを実際の図面におこすにはゼネコンの設計部に頼んだほうがいいということになった。そして、劇場を設計した経験のあるゼネコンの建築士たちと何度も打ち合わせを重ね、大学時代に演劇をやっていたという舛添氏の政策秘書とも話し合い、ようやく完成したプランをその政策秘書に渡した。週刊文春の記事をきっかけに舛添氏のスキャンダルが連日マスコミを賑わしていたころである。そのプランを秘書に渡した数日後の2016年6月21日に、舛添氏は都知事を辞任することになったのだ。私の手元にはそのときのプランが残っている。舛添氏が辞めていなければ、もしかしたら、いまごろ築地市場跡に立派な劇場が建っていたかもしれない。そう思うと当時の無念が蘇ってくる。もし、築地に新しい劇場ができていれば、現在の東京の劇場不足の状況も少しは違っていただろう。
時は流れて現在の小池百合子都知事のもと、すでに築地市場跡地の再開発の計画は発表されている。東京都のホームページによれば「交流により、新しい文化を創造・発信する拠点の形成」とあり、その中で想定されている収容人数約1200席という「シアターホール」は、「文化・芸術の発信拠点となり、季節ごとに変化するエンターテイメントの提供やイベントの実施により、まちの魅力を継続的に向上」とされている。客席数が1200席程度の規模のホールなら区民ホールなど都内でいくつもある。都内で一番足りないのは東京文化会館並みの2300席くらいの客席数と舞台機構を備えた海外のオペラハウスと同等の劇場なのだが、そもそもこの「シアターホール」はオペラやバレエの上演をまったく想定していないのだろう。
築地市場跡地には後楽園の東京ドームが移転するという話があり、国際会議場や展示場、富裕層向けのホテルやオフィス、レジデンス棟の建設が予定されているようだ。東京のオペラやバレエの劇場不足は都市としての致命的な欠陥だと私は考えている。オペラ・バレエといったグローバルな芸術を上演する劇場は、観光資源であり、社交場でもある。ビジネスや観光で来日したさまざまな国籍の人たちが一堂に会し、オペラやバレエを一緒に鑑賞し、感動を分かち合うことこそ、いまの時代に一番求められていることではないか。これからAIやITが進化すると、ますます人間同士が集まりコミュニケーションする場が重要になってくるだろう。築地の市場跡地は都心に残された「最後の大規模開発」と言われているが、何よりも低迷している日本の将来のために必要なものを優先すべきではないか。この貴重な限られた空間に、オフィスやレジデンス棟を造る必要があるのだろうか。オペラやバレエを主に上演する劇場は、私のこれまでの経験上、採算がとれないから民間で運営するのは経済的に難しいと思っている。東京文化会館は改修工事をするにしても、すでに開館してから64年が経つから、やがては東京文化会館に代わる新しい劇場が必要になるだろう。いま予定されている「シアターホール」に関しては民間のデベロッパー任せではなく、ぜひ東京都が全面的に関わって、「シアターホール」計画を第二の東京文化会館建設に変えてもらえないものか。築地市場跡地こそ北広島市のエスコンフィールド以上に、東京から世界に向けた「文化・芸術の発信拠点」にしなければならないのではないだろうか。「Boys, be ambitious!(少年よ、大志を抱け)」とはクラーク博士の有名な言葉だが、日本が低迷し元気がなくなっている今、私が言うのもおこがましいが「日本人よ、大志を抱け!」と檄を飛ばしたくなるのだ。
髙橋 典夫 NBS専務理事