桜が満開の4月4日、俳優の中谷美紀さんのウィーン国立歌劇場日本公演の公式アンバサダー就任記者会見を開催した。オペラのコア層だけではなく、ウィーン国立歌劇場日本公演に関し、もっと幅広い層の人々に関心をもってもらえればと思ってのことだ。折にふれ記者会見を開いているが、ムービーのカメラが10台入ったのは、やはり話題性と中谷さんの吸引力だろう。私は中谷さんとは初対面だったが、記者会見の発言を聞いても、芸術全般に通じていて、とても聡明な人だと感じた。彼女の夫君はウィーン国立歌劇場管弦楽団ならびにウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のヴィオラ奏者ということもあって、アンバサダーとしてこれ以上の適任者はいないだろうとあらためて思った。
今回の記者会見は音楽記者ばかりではなかったので、ウィーン国立歌劇場日本公演の全体の規模感を記者たちに理解してもらうために数字で示すことにした。指揮者や歌手をはじめオーケストラ、コーラス、音楽スタッフ、舞台スタッフ、事務局などで総勢340人。それらのメンバーが途中で出入りがあるものの、最初に来日するグループから最後に離日するグループまでで、28日間東京に滞在することになる。舞台装置や衣裳などの物量は11トントラックで約40台。経済的な規模はざっと15億円くらいになるだろう。オペラの引っ越し公演は、朝から仕込んで、その日に公演ができるような簡素な"ペラペラ・オペラ"とはまったく別物だが、オペラ初心者が"ペラペラ・オペラ"を観て、オペラとはこんなものかと思われたらやるせないかぎりだ。ぜひ本場の本物を体験して欲しいものだ。
ウィーン国立歌劇場のチケットの一般発売を4月18日に控え、私の頭の中はウィーンのことでいっぱいだ。ウィーン国立歌劇場の初来日は1980年のことだった。私は何の因果か、初回から同歌劇場の引っ越し公演に携わっている。これまで同歌劇場の日本公演は9回行っているが、思いをめぐらすとさまざまな記憶が蘇ってくる。第1回は今では考えられないが5本のオペラをもってきた。カール・ベーム指揮による『フィガロの結婚』とエディタ・グルベローヴァが鮮烈な日本デビューを果たした『ナクソス島のアリアドネ』、加えて4人の指揮者によって『サロメ』『後宮からの逃走』『エレクトラ』を上演した。これまでの日本公演を1回1回紹介するには紙幅が足りないから私の記憶の中で強烈な印象として刻まれている公演を挙げてみたい。1989年のクラウディオ・アバド指揮の『ヴォツェック』と『ランスへの旅』、1994年のカルロス・クライバー指揮の『ばらの騎士』だ。いま考えても、よくぞ引っ越し公演で、『ヴォツェック』や『ランスへの旅』というポピュラーではない演目を上演したものだと思う。実は演目を最終的に決めるウィーンでのミーティングの際に私も同席していたのだが、音楽監督だったアバドの熱意に押されて佐々木忠次が決断したのだ。マイナーな演目だけに集客には苦労したが、アバドが絶対の自信をもっていただけに奇跡のような上演だった。それから印象に残っているのは、何といっても1994年のカルロス・クライバー指揮の『ばらの騎士』。そのときの異様な熱気と観客の興奮ぶりを思い出すが、私にとってもあの『ばらの騎士』が音楽的に日本におけるオペラ芸術の頂点だったのではないかと思っている。
社会現象になったのは、2004年の小澤征爾氏が音楽監督に就任しての凱旋公演だ。マスコミも大きく取り上げた。『フィガロの結婚』がNHKホールで3公演と『ドン・ジョヴァンニ』が東京文化会館で4公演だったが、即日完売の大人気だった。私はちょうど最近刊行されたばかりの「タクトは踊る 風雲児・小澤征爾の生涯」中丸美繪著(文藝春秋)を読み進めていたのだが、伏魔殿ともいわれるウィーン国立歌劇場の音楽監督就任に至る背景も記されていて、とても興味深く読んだ。小澤氏は称揚されるだけではなく批判の声もあったが、さまざまな意味で2004年のウィーン国立歌劇場を率いての凱旋公演は小澤氏の人生のピークだったのではないかと思う
これらの公演以外でも、2008年のリッカルド・ムーティ指揮の『コジ・ファン・トゥッテ』や2016年の『フィガロの結婚』、"ウィーンの女王"と異名をとったエディタ・グルベローヴァの活躍など、私にとっては宝物のような記憶が次々に脳裏に浮かんでくる。忘れてはならないのは、一貫して影の主役はオーケストラ・ピット内のウィーン国立歌劇場管弦楽団だ。言わずと知れた「ウィーン・フィル」の母体のオーケストラだが、毎晩違うオペラでさまざまな物語の登場人物たちの喜怒哀楽を奏でてきたからこそ、聴き手の琴線に触れるあのウィーン・フィルの響きが紡ぎ出されるのだと私は思っている。ウィーンは音楽の都であり、憧れの聖地であって、「ウィーン・フィル」に対し日本の音楽ファンは格別な思いを抱いている。コロナ禍を経て9年ぶりとなる今回の日本公演では『フィガロの結婚』と『ばらの騎士』のもっともウィーンらしい演目をもってくる。特に『フィガロの結婚』は9回の日本公演中、5回上演している。『フィガロの結婚』はウィーン国立歌劇場の看板演目だが、2023年に初演された今回のバリー・コスキー新演出版は、とりわけ大きな成功を収めた。1968年の初演以来変わることなく上演されてきたオットー・シェンク演出の『ばらの騎士』は、同劇場を代表する名プロダクションだ。
中谷さんは記者会見で、「生の歌声はやがてAIに取って代わられるかもしれません。私は"オペラは勝敗のないオリンピック"と呼んでいます。人間の極限の声はいつ失われるかもしれない。そんな恐怖に怯えながら歌手の皆さんは舞台に立たれています。はかない歌手生命をかけて舞台に立っていらっしゃる皆さんの歌声を、AIに取って代わられる前にぜひ味わっていただきたい」と目に涙を浮かべながら訴えた。
泣いても笑っても来年5月からの東京文化会館休館に伴い、少なくても3年間は日本でオペラ引っ越し公演を観ることはできないだろう。3年後に引っ越し公演が再開できるかどうかだってわからない。だからこそ、日本に居ながらにして本物を体験できる今回の貴重な機会を逃さないで欲しいと、私はどうしても思ってしまうのだ。感動はお金には代えられない生涯の財産だ。私が追懐の年齢になったからかもしれないが、過去の日本公演の追憶に浸っていると、そのときどきの熱気を思い出す。今秋のウィーン国立歌劇場日本公演では、あの狂熱の日々が戻ってきて欲しいと痛切に思う。
髙橋 典夫 NBS専務理事